(この記事は2014年3月31日に掲載されたものです。提供: Biglife21

奴らの歩いた後には、ペンペン草も生えない─かつて遠方からやってきた彼らを江戸在来の商人たちは、こう妬んだ。

彼らとは、そう、「近江商人」である。

当時、江戸を目指したのは近江商人だけではない。東西南北の商売人たちが、当時世界最大級の都市となっていく江戸に向かった。そういった「メガコンペティション」状態のなかで勝ち抜けたのは、なぜか。それはいまで言うところの「現地化」に長けていたのである。

近江商人の「他国者意識」

当時の文化的差異と移動手段とその距離を勘案すると江戸は全く異国である。

その異国で商売をするには、どうすればいいか─。

行商人集団だった近江商人は、その基本原則を早くから打ち立てていた。それが「他国者意識(たこくものいしき)」という考え方である。近江商人の憲法的な考えで「他国に出向いて店を構えるときは、常に他国者(よそ者)意識を忘れないようにする」というものだ。

その原点は、宝暦4(1754)年に70歳となった麻布商の中村治兵衛宗岸(そうがん)が、15歳の養嗣子に書いた書置きのなかの一節と言われる。この書置き条文は明治になって「他国へ行商するも、総て我事のみと思わず、その国一切の人を大切にして、私利を貪(むさぼ)ることなかれ、神仏のことは常に忘れざるよう致すべし」と翻訳されて、より分かりやすくなった。

分からない人のために、ワタシがヨミ下してみるとこうだ。

「儲かるからと言って、自分だけが利益をむさぼっていてはいけないよ。そこにいる人々の生活を忘れてはいけないよ、神様仏様が見てるんだから」

そんな戒めである。

耳が痛い言葉である。

とかく業績が伸びたり、地位が上がったりすると、人間という動物は図に乗るものである。ワタシなどはちょっと小銭が入っただけで、次こそは「世界を制覇だ」とか、「全てを覆い尽くしてやる! 俺様色で」とか言ってしまう。ああ、それではいかんのである。とかく商売をしたいなら、この「よそ者憲法」を心のなかに宿して拳拳服膺していなければならないのだ。