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仕事柄、幾多の経営者と出会う機会に恵まれました。成功者もいれば、失敗者もいました。そしていま、つくづく思います。これからご紹介するよう な「経営」が出来る経営者は、「運営する会社の規模の大小にかかわらず、富裕層への扉を開くことができるに違いない」と、です。


3割までのリスクは取りに向かう

ソフトバンクのCEOである孫正義氏と初めて出会ったのは、社名が示すとおりPC用ソフトのパッケージ販売を主たる業としていた時期です。「コンピューターが時代を変える」と熱っぽく語っていました。そして、「いまの(サラリーマン)経営者は楽ですよ。GDPの伸び率+αの経営を続けていれば“◎”が貰えるのですからね」とし、「要するに、リスクを取りに行かないのですから」と憎まれ口?を叩いていました。

デビュー間もない若き経営者を少しばかり懲らしめてやろう?と思い、こう問いました。
「孫さんは、リスクを取りに向かう経営を、と考えているのですね」
「勿論ですよ。リスクを取りに行かなくては、高いリターンは得られませんから」
という言葉を待ち、こう問い返しました。
「どのくらいのリスクなら、取りに向かいますか。ケースバイケースでしょうね」
孫氏の口からは間髪入れず
「3割です」
という言葉が飛び出しました。懲らしめるつもりで始めた遣り取りでしたが、正直、キョトンとするばかりでした。すると孫氏は、嬉しそうに言ったものです。
「トカゲのしっぽというのは、3割までなら切ってもいつの間にか元に戻るのですよ」
とです。若き経営者に、得体の知れないものを感じたものです。


携帯業界の風雲児の秘密

孫氏が携帯業界に足を踏み入れる契機は周知のとおり、2006年のボーダフォン日本法人の買収です。M&Aを経営の重要戦略としていた孫氏ですが、06年以前を振り返っても成功ばかりではなく、失敗も少なからずありました。ですがボーダフォンの一件は、1兆7000億円にものぼる超大型買収、しかも資金は割高金利となる、ブリッジファシリティ契約で調達しています。「携帯事業」に、よほどの将来性を直感的に?見出したのでしょう。そして持ち前の理屈でリスクを取りに向かったのだと思います。

孫氏から貰ったある記念品をいまも持っていたら、高く売れたかもしれないと後悔しています。当時は、孫氏の頭の中にも携帯の「け」の字もなかったのでしょう。「1バーディ1ボギー」のパープレイを達成した記念に孫氏は、何を作り配ったと思いますか。スコアカードをプリントした、テレホンカードです。いまとなっては“無用の長物”の感が強いものですが、モバイル業界の風雲児がかつて作った記念のテレホンカードですから、もしかしたら孫氏は大枚をはたいて買い戻してくれたかもしれませんね!?


バブル酒は呑まず

いわゆるバブル経済の時期、銀行からしこたま資金を背負わされ企業向け不動産融資の急先鋒となったのが、ノンバンクでした。最後は「総量規制」の名のもとお国の命で、銀行から梯子を外され(資金融資停止・強制的な回収)奈落の底に陥っていったものです。
そうした中で、殆ど無傷でバブルを潜り抜けたノンバンクがありました。セゾングループの金融部門の中核会社、クレディセゾンです。それを可能にしたのは、時の社長であった竹内敏雄氏が信じる経営哲学の徹底的な実践でした。


実験と学習

竹内氏は、法人(不動産担保)融資という新手のビジネスが目の前に舞い降りてきた時、持論である「失敗しても屋台骨には影響しない程度の、小規模な“実験”」をしたのです。そして、ご自身の言葉を借りれば「早々に、ほうほうのていで逃げ出しました」。
「何故」という問いに竹内氏は、「担保として差し出される不動産には“借地権”だとかなんだとか、複雑な権利問題が“怪奇”と言ってよいぐらいに絡んでいましてね。しかも絡んでくるご仁は、海千山千の面々。一件当たり3万円、せいぜい5万円の個人融資をやってきた我々の手に負える仕事ではない。担保処理を専門家に任せ、最低の実損で逃げました」といい、さらにこう言い及んだものです。「銀行なら融資先の金の流れは、チェックできるはず。そんな銀行ですら、時には煮え湯を飲まされるのですから、我々は手を出せるはずがないと痛感したものです」。

実験と同時に竹内氏は、もう一つの持論である“学習”も並行して進めたのです。
社長室のスタッフを海外に派遣し、「倒産したノンバンク、躓いたノンバンクの直接の引き金を調査するよう」命じたのです。帰国後のスタッフが精査した実例を竹内氏にレポートとし提出したのは、実験で逃げ出したのとほぼ同じタイミングでした。レポートは集約すると、「躓いた世界のノンバンクには、不動産担保融資で受けた大きな傷跡が共通している」というものでした。

以来、竹内氏は関連銀行の役員が直接持ち込んでくる「低利な資金付不動産融資話」も、「私の目が黒いうちは、一切手を出しませんので」と「ノン」をつき続けたのです。 会社四季報等でご自身の目で、ご確認下さい。バブルの絶頂期にはクレディセゾンの利益水準は、他のノンバンクより劣っています。がバブル崩壊後の収益は同社だけが、堅実な推移をみせています。