高速鉄道の父、死刑囚・劉志軍

中国共産党と鉄道とのつながりは国共内戦時の兵員輸送から始まる。軍との関係がもともと深い。それを拠りどころにして、軍同様の機密の多いアンタッチャブルな独立王国として存在してきた。その最後の玉座に君臨したのが劉志軍である。

2003年3月から解任される2011年2月まで鉄道部長職にあった。高速鉄道建設計画が動きだしたのは2004年の国務院布告「中国鉄道中長期発展計画」からだ。ここでは2020年までに平均時速200キロ以上の高速鉄道を1万2000キロ以上建設するとされていた。ところが2015年9月末の時点ですでに1万8000キロを突破している。特にこの1年では6700キロも増えている。驚異的なスピードである。

2004年時点に戻ろう。このとき国産技術のみでは計画達成は不可能ということで、入札により外国の技術が導入された。フランス、カナダと日本の川崎重工業 <7012> である。これらの技術をつなぎ合わせ「国産」と称したので、技術の整合性を欠いている。それなのに最高速度350キロという見栄にばかりこだわった。

さらに本来、安全運行のために使われるべき経費は、劉志軍を始めとする幹部たちのポケットへと収まる。当然の結果として2008年4月、山東省で乗客72人死亡という大事故が発生した。

ついには執行猶予付き死刑判決まで

ところが劉志軍は引責の危機を乗り越えたばかりか、同年9月のリーマンショックとその対策、緊急財政出動を利用し、さらに高速鉄道建設を加速させる。腐敗もそれに輪をかけて加速した。

劉志軍は2011年2月、ついに解任、逮捕される。同年7月には浙江省・温州市で、再び乗客死者40名を出す大事故が起きた。事故車両を現場付近に穴埋めにした信じられないシーンはまだ記憶に新しい。

この事故対応への批判が決定打となり、2013年3月、とうとう鉄道部は解体の憂き目を見る。同年7月には、劉志軍に対し収賄と職権乱用の罪で執行猶予付き死刑判決が出た。認定された収賄額は6460万元だった。

この件では地方の中核都市にも中央規律検査委員会の捜査が及び、10万元クラスの贈賄者の氏名まで地方紙に公表された。しかし立件されることはなく、見せしめだったようだ。