中国共産党五中全会の決定事項の一つとして一人っ子政策の廃止が発表された。「二孩政策全面放開」と新聞では一面トップで大きく扱われ、“明るいニュース”として伝わった。この政策の意味するところと、今後の影響について、現地報道をもとに検討する。


新聞は「70年代生まれの夫婦に朗報」などと報道

一人っ子政策が登場したのは1978年3月だが、ここでは21世紀に入ってからの過程に絞ろう。

2002年9月には「社会托養費征収管理辧法」により、法律に符合し、規定の条件を満たせば、第二子生育の申請ができる、とされた。

ただしこれは、厳しい条件の上、社会托養費(罰金)を収めなければ、やっぱりダメということを意味した。2013年11月の三中全会で、一人っ子同士の両親に限り、第二子生育を認める「単独二孩」政策が決定され、初めて大きく緩和された。今回の決定は、対象を全ての夫婦にまで拡げるものだ。

すでに35歳未満の男女はほとんど一人っ子のはずだから、すべての夫婦に拡大したところで大した意味はあるまい、と考えるのは間違いである。

沿海部の大都市某市の場合を見てみよう。市衛生計画生育委員会によると、2014年4月末の段階で一人っ子同士の両親は11万5000組、翌2015年9月末までに、第二子生育を申請した夫婦は5万6000組だった。

これが全面開放となれば、対象は100万組の夫婦に拡がる。つまり同市では、一人っ子同士の夫婦は11.5%以下に過ぎなかった。実際に中国では、20代、30代にもかかわらず、兄弟がいる人に出会うのは、まれではない。

また新聞の小見出しには、「70年代生まれの夫婦に朗報」とあり、今回の決定が非常に広範囲に影響することがわかる。


2人目妊娠すると堕胎勧告や嫌がらせを受けた夫婦

この決定が“明るいニュース”である真の理由は、当局の縛りから解放されることに尽きる。

「社会托養費征収管理辧法」によると、托養費の算出は、その地方の居民平均収入を基数とし、実際年収の6倍以上、10倍以下にするとある。地方の裁量権が非常に大きい。さらに執行にあたり、財産の差し押さえや、殴打、侮辱の禁止という項目まであり、この法律以前の悲惨な状況を率直に物語っている。

ある夫婦に2010年ころの情況を聞くことができた。2人目の妊娠が明らかになったころから、堕胎勧告やいやがらせが目立ち始めた。当局者は表に出てこない、すべて所属不明な代理人らしき手合いたちの仕業である。本人は4人兄弟、妻も2人兄弟で、二孩申請の対象とはなりえず、結局21万元(約400万円)の「托養費」を徴収された。ただし中小企業経営者で高所得だったことを思えば、この金額ならうまく立ち回ったといえるだろう。

また山東省・臨沂市では、盲目の人権活動家・陳光誠が、当局に集団訴訟を起こしたことで、その政策執行の陰険、強権ぶりが世界的に有名となった。歴史小説に出てきそうな、権力を笠に着る典型的な小役人の暗躍が、つい最近まで本当にはびこっていた。