国際交流事業のNPO設立
「父は、国際交流事業のNPOをつくりました。 外国人に来てもらうことで、人口を増やしたい、と考えていたようです。 観光資源もなく、農業も衰退しているこの町を復興させないと、ウチのスーパーにも将来がない・・・ そういう思いもあったようです。」
なるほど、素晴らしい志と実行力をお持ちですね。 どのようにして、外国人に来てもらおうとお思いになったのですか?
「留学生、あとは農業研修などの技術研修、そして文化研修です。 留学を受け入れる団体に行ったり、語学学校に働きかけたり、農業研修生を受け入れる農家や技術研修を受け入れる工場に行ったりしました。 外国人が来たら来たで、歓迎行事をやったりです。 あと、東南アジアなどにもよく行くようになりました。 私は役所に勤めているので、いろいろと手伝わされましたよ!」
なるほど、国際交流のNPOってそんなに大変なのですね。 想像もできなかったです。
「父の場合、いろんなことを一人でやろうとしたので、その負担は凄かったとおもいます。 帰国したと思ったら、その足で工場に行って、深夜に帰ってきたり… 歓迎行事のあとは、農家への挨拶回りとか… 入管法とかの勉強も必要だったみたいで、大変そうでした。」
国際交流だけでなく、それを町の人口増加などの「町おこし」にも繋げるためですものね。 町を背負ってらっしゃる気概がお強かったのでしょうね。 お体は大丈夫だったのですか? それにスーパーでのお仕事には支障は出なかったのですか?
スーパーでの誤表示
「何度か倒れて、入院したこともあります。 しかし、その入院の原因は、このNPOだけではなかったようです。 ウチのスーパーが、食品の日付の誤表示をだしたんです。 父は、経営には、完全にノータッチになっており、常務さんたちだけでやっていました。 そして、日付の問題が悪化し、表に浮上してしまったのです。」
地元の方々の反応はいかがでしたか?
「どう対処したかは、詳しく話せませんが、テレビのニュースにはなりませんでした。 私達が一番気になったのは、地元の方々からの反応です。 きっと怒った方々もいらっしゃったでしょうが、町の人達は、私を見るなり、『Rちゃん、大丈夫よ。 あなた達の責任じゃないから。 お父さん、頑張ってるもんね!』と声をかけてくれました。 正直、毎日、逃げたかったですし、役所を辞めることも考えました。」
その後のNPO活動はどうなりましたか?
「父は、スーパーの社長は引退し、私の兄弟が後を継ぎました。 父は、何ヶ月もかけて、町の人達を一軒一軒訪ねて、謝罪しました。 今は、NPO活動だけをしています。 ボランティアの方も増えたので、前よりは楽になったみたいで、ちゃんと毎日、帰ってきてます。」
社会貢献に直接参加する、という意味
多くの成功した経営者の方々が、社会に還元したい、とお考えになっている一方で、自らが社会貢献に直接参加される、というのはとても大変で、かつリスクのある作業になることもある、ということがみてとれます。 経営をおろそかにされ、問題の悪化にお気づきにならないこともあるからです。 私自身、昔、英会話教室を経営しながら、社会貢献ではないのですが、私個人の志のために司法試験に没頭した時期があり(!)、2年後、案の定経営は行き詰りました。 経営以外のことにうつつを抜かした結果です。
今回、お話を伺い、やはり、経営者は、その経営を中心に勉強し、経営とともに生きていくことが大事なのだろう、という印象を受けました。 その上での、社会貢献の直接参加、ということなのです。
BY 飯川慶:英会話を教るかたわら、チラシ等を書くコピーやセールスライティングもしている