1年半におよぶ闘病生活の果て、1月10日に癌で死去した英国を代表するミュージシャン、デヴィッド・ボウイ氏。70年代から常に第一線で活躍、センセーショナルな話題を振りまき続けてきたボウイ氏が、実は投資業界でもイノベーティブな人物でもあった事実は、生前あまり知られていなかった。

奇抜な発想と時代背景が成功に導いた「ボウイ債」

投資業界におけるボウイ氏のキャリアは、1997年に当時のファイナンシャル・マネージャー、ビル・ザイスブラット氏とバンカーのデヴィッド・プルマン氏の提案で、「ボウイ債」という名称の10年債券5500万ドル(約64億7020万円)相当を発行したことから始まった。

ボウイ債は著作権を確保した状態で、1969年から1990年にEMIレコードから発売された「ジギー・スターダスト」など、25枚のアルバムのロイヤリティー(知的財産権の使用料)収入を裏付けとして発行する債券という、当時は非常に奇抜な商品として話題をさらった。

ロイヤリティー債ブームの火付け役に

ミュージシャンのロイヤリティーを世界で初めて証券化したボウイ債は、既存の金融商品に飽食気味だった投資家達だけではなく、同業者だったジェームス・ブラウン氏やマーヴィン・ゲイ氏といったほかの大物ミュージシャン達の興味もそそり、CDの販売から巨額の利益が得られる時代背景に後押しされるかたちで、瞬く間に「ロイヤリティー債ブーム」を巻き起こした。

しかし消費者の需要がCDからストリーミングやファイル共有に移行するとともに衰退し、発行当初は信用格付会社、ムーディーズに「低リスク」と太鼓判を押されていたにも関わらず、2004年には「ジャンク債」に格下げされてしまった。

真のイノベーションは「無知」から生まれる?

末路はどうであったにしろ、後に様々な資産を証券化する着眼点になったという点で、ボウイ債はまさに「元祖ファイナンシャル・イノベーション」といえるだろう。

ボウイ債のアイデアが出た当初、証券という言葉すら知らなかったというボウイ氏が、どこまでその事実を理解していたか——今となっては知る余地もないのだが、ボウイ氏のイノベーションは音楽業界のみならず、金融業界でも長く語りつがれていくだろう。(ZUU online 編集部)

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