重視するのは、相手が「指さなかった手」
世の中の変化のスピードが速くなるということは、これまでに経験したことがない、新しい場面に遭遇することが増えるということでもある。そんな場面であってもスピーディに適切な判断をしていくため、羽生氏はどんなことを心がけているのだろうか。
「過去に経験したことであれば、全体像や勝負の流れを把握することが容易です。すると、次に指すべき一手も、さほど迷わずに決められます。
ところが、経験したことがない場面では、今の状況がどうなっていて、これからどう展開させていけばいいのか、見えないことだらけです。それこそ全体の5%とか10%ぐらいしか掴めていない状態で、決断を下していかなくてはいけない。
そんな中で私が心がけているのは、たとえ5%しか見えていなくても、全体像についての仮説を立ててみることです。頭の中で海図を思い描き、大海原の中で、今、自分はどの辺りにいて、どこを目指すべきなのかをイメージするのです。
もちろん、仮説は外れることもあります。しかし、仮説検証を繰り返すうちに、次第に全体像をイメージする精度が上がっていくと考えています。
最初は、最低でも30%は見えていないと掴めなかった全体像が、20%や15%ぐらいでも掴めるようになっていくはずです。すると、『だいたいこの辺りに指せば間違いないだろう』という直感力も働かせやすくなります」
仮説を立てて検証していく力は、実際の対局だけではなく、情報を収集し、分析する中でも、鍛えていくことが可能だ。
「私が棋譜を研究するときに意識しているのは、その棋士が指した手ではなく、指さなかった手のほうです。
たとえば、ある一手を指すのに60分かかった場合、その間にいろんな指し手の選択肢が棋士の頭の中で浮かんだはずです。『それは何だったのか?』『その手を指さなかったのはなぜなのか?』をイメージすることで、その棋士がやろうとしたことについての仮説を立てるのです。
そうしておくと、実際にその棋士と対戦する場面が、仮説を検証する機会になります。対局中は相手の反応も見えますから、『この戦型には相当な自信を持っているな』とか、『ここまでは分析できているけど、この先はまだ迷いがあるな』といった様子を窺うことができます。想像力を働かせることが、状況を掴む力を鍛えていくのです」
より速く答えに到達する直感力の磨き方
もう1つ、羽生氏が対局で大切にしていることに、直感力がある。
「直感力とは、今、自分はどこにいて、どの方向に進めばいいのかを、おおまかに掴む羅針盤のようなものです。答えを見つけ出すときに、ゼロからロジカルに考えるよりも、直感力によって『だいたいあの辺りだな』と目星をつけてから、そのうえでロジカルに考えていけば、より速く答えに到達することができます」
直感力は、さまざまな場面で論理的思考を働かせながら答えを見つけ出す経験によって鍛えられていくと、羽生氏は考えている。その経験の積み重ねの中で、やがて論理の手順を踏まなくても、一気に答えに近づくことができるようになる。それが直感力なのだ。
瞬時に物事を判断する必要がある場面で大きな武器となる直感力は、ビジネスマンもぜひ鍛えておきたい力である。
「大切なのは、若いうちから、いろいろと考え、工夫しなくては答えが見つからない経験を、意識的にたくさん積んでおくことです。そうすると、旅慣れた人が初めて訪れた街でも栄えている場所や危ない場所についての土地勘が働くように、未知の場面に遭遇したときにも、直感力を働かせることが可能になります」
羽生善治(はぶ・よしはる)将棋棋士
1970年、埼玉県生まれ。小学6年生で二上達也九段に師事。96年、王将位を獲得し、名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王と合わせて「七大タイトル」すべてを独占。「将棋界始まって以来の七冠達成」として日本中の話題となる。2008年に永世名人(十九世名人)の資格を獲得し、現在、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将の6つの永世称号の資格を有する。12年、大山康晴十五世名人の持っていた生涯獲得タイトル数80期を超えて、歴代1位となる。同年、史上5人目となる1,200勝を最速・最年少で達成。著書に『簡単に単純に考える』(PHP文庫)、『直感力』(PHP新書)など。
(取材・構成:長谷川 敦 写真撮影:長谷川博一)(『 The 21 online 』2016年1月号より)
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