引きこもり,ヤンキー,元ヤン,心理カウンセラー
(写真=PIXTA)

ベジフルファームという農園をご存じだろうか。暴走族「鉈出殺殺」(なたでここ)の元総長、田中健二氏が社長を務め、「ヤンキーは農業に向いている」との考えのもと、社員も元ヤンキーばかりということで注目を集めている農業生産法人である。

これに限らず、仕事で活躍している人にはヤンチャだった過去を持っていることが多いように筆者は思う。

対照的な存在としては「引きこもり」が想起される。この「引きこもり」だった人が社会で目覚ましく活躍しているといった話は、あまり聞かない。単に発信力の差と考えられなくもないが、理由はそれだけではないだろう。

ここ最近引きこもりの増加・高齢化が社会問題となっているが、大人になってからも引きこもったままの場合も多く、また社会に出られても、他を圧倒するような業績を上げている人は少ない。

実は、心理カウンセラーからすると、この傾向には理由がある。ヤンキーと引きこもりでは、社会生活を健やかに送るための基礎力に差ができるのだ。

ヤンキーはたくましく育つ

社会生活を送るための基礎力とは、平たく言えば「たくましさ」である。困難があっても粘り強く前向きにやり遂げるたくましさは、社会に出ればどこでも必ず必要とされる。

これに加え、状況を冷静に判断し要領よくこなす賢さや、人と協調する思いやりなどがしっかりと身につけば、土台は万全と言える。高い業績を上げている人の多くは、この土台が強固である。これは身近にいる優秀な社会人を思い浮かべれば納得が行くのではないだろうか。

ヤンキーと引きこもりを比べた場合、前者のほうがこの基礎力は身につきやすい。周囲の反対に逆らって自分の意志を貫いているものだし、さらに言えばそこにも「社会」がある。先輩や仲間との関係を考え上手に立ち回らなければ、グループにいられないだけでなく標的にされるリスクもあるので、賢さや優しさも実践的に身につくだろう。

世間に受け入れられない価値観で生きているので理解されづらいが、ヤンキーになることは、シビアな社会で生きて行くための実地訓練となるのだ。

一方、引きこもりは、基礎力を身につけづらい。言えずに苦しくても主張できないほどたくましさは弱く、引きこもればそこに社会はない。当然ヤンキーほどには、「社会でどう立ち回るか」周りへどう配慮するか」ということを体験する機会はない。内面の成長は望めないため、土台はぜい弱である。

引きこもりは知識やスキル習得前にやるべきことがある

どちらも社会に出るにあたって考えるのは、知識やスキルの習得である。

その点、ヤンキーは良い。土台はしっかりできているので、価値観の変わる出会いや自身のやりたいことに関する知識を得られれば、社会に出て適応していけるだろう。こうしたものは比較的得やすいため、元ヤンキーだったという人には社会で活躍している人が多いのだろう。

しかし、引きこもりはそうではない。どれだけ知識を増やしてもたくましく生き抜く力がない以上、力を十分発揮できないだろう。便利なアプリを多数使えるのに、毎月のように故障したりバッテリーがすぐに切れたりするスマホのようなものではないか。引きこもりの人は土台作りに注力すべきである。知識やスキルを身につけるのは後でも良いのだ。

私自身、学生時代は引きこもりに近く、人とまともに会話すらできない状態だった。

当然、社会生活を送る基礎はまったくできていなかった。変わることができたのは、カウンセラーの勉強のための学費を稼ぐため、毎月何百時間もアルバイトしていた日々のおかげである。仲間とけんかしながらも必死に働き続けた日々は、私にとってはたくましさを強化する時間となった。当時の仲間には多大な迷惑をかけてしまったが、この時があったからこそ、今日の自分があるのだと思う。

HKT48の指原莉乃さんも元不登校だったそうだが、彼女を見ていると非常にたくましいと思う。スキャンダルがあろうがバッシングを受けようが、状況を冷静に捉え、しぶとくしたたかに生きる強さこそ、彼女の活躍を支える要因だろう。

大切なのは見極め

たくましさは社会に出る前、学生のうちに強固なものにしておくべきだ。

しかし、その後でも努力次第で身につけることができる。もし部下や同僚で力を発揮できていない人がいたら、まずは「ヤンキー的」なのか「引きこもり的」なのかを見極めることが重要である。

その上で前者なら知識やスキル、社会で受け入れられる価値観を与えれば良い。後者なら、「たくましさ」を念頭に、粘り強く1つの事に取り組ませる事で、土台作りをし、活躍させて見てはいかがだろうか。

藤田大介 
DF心理相談所 代表心理カウンセラー
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