三菱東京UFJ銀行が来春にも、銀行名を「三菱UFJ銀行」に変更する方向で最終調整に入ったことが分かった。複数のメディアが報じている。旧東京銀行に由来する「東京」が消える。バブル崩壊後の激しい銀行再編の名残をとどめるこの銀行名に対して、顧客から「長すぎる」との指摘が出ていた。
三菱東京UFJ銀行は、1996年4月1日にまず旧三菱銀行と旧東京銀行が合併して東京三菱銀行に、次いで2006年1月1日にUFJ銀行とも合併して今の長い銀行名となった 。
金融再生プログラムで大ナタ振るう
三菱東京UFJ銀行が誕生するまでの道筋をまとめると、以下のようになる。
1996年 三菱銀行+東京銀行→ 東京三菱銀行
2002年 三和銀行+東海銀行→ UFJ銀行
2006年 東京三菱銀行+UFJ銀行→ 三菱東京UFJ銀行
三菱東京UFJ銀行が誕生した2006年までには、2001年 4月~ 2006年 9月までの小泉政権下の竹中平蔵氏(財政政策担当大臣と金融担当大臣金融担当大臣兼務)の役割が大きい。竹中氏は不良債権処理を中心とする「金融再生プログラム」(竹中プラン)によって、3兆円もの不良債権を抱えるUFJ銀行を東京三菱銀行と合併させた。これが最後の金融再編であった。
かつて大手10行といわれた銀行は、バブル崩壊後の激しい再編で、三菱東京UFJ、三井住友、みずほの大手3行に統合されたわけだ。中でも三菱東京UFJは、2004年誕生時、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)として総資産190兆円という世界最大のスーパーメガバンクグループとなった。
同行は合併によって、資本、(支店など)地域、業務が著しく拡大した。UFJは巨額の債務で自己資本が8%前半まで低下していた。公的資金を完済して、自己資本比率がほぼ13%と高い東京三菱との合併は双方に有利な状況だった。東海・関西に強いUFJとの合併も双方に有利。リテール部門重視型のUFJと大手企業をターゲットにする東京三菱との合併の利もあった。