世界的デザイナー、トム・フォードの7年ぶりの監督作『ノクターナル・アニマルズ』が11月より全国公開される。第73回ヴェネツィア国際映画祭で審査員グランプリを受賞した注目作だ。

トム・フォードの名はグッチと切っても切り離せない。フォードが2004年にグッチのクリエイティブディレクターを退任してからすでに10年以上が経つが、トム・フォードといえばグッチという印象を持つ方は多いだろう。このテキサス出身のアメリカ人デザイナーと、あまりにイタリア的なラグジュアリーブランド、グッチの歴史を振り返ってみよう(文中敬称略)。

スキャンダルまみれの名門ブランド

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ヴェネツィア国際での新作プレミア上映に出席したトム・フォード(写真=Andrea Raffin/Shutterstock.com)

フェンディやプラダなどイタリアブランドの多くがそうであるように、グッチも一家総出で経営を行うファミリー企業としてスタートを切った。

創業者グッチオ・グッチは息子たちにブランドの未来を託し、末永く一族のみで経営を続けていくことを願った。跡継ぎたちは品質への情熱と優れた美的感覚を持ち、早期にアメリカ進出を果たすなど新しいものへの確かな嗅覚を持つ一方で、ブランドを支えるマネジメントを意識する者はいなかった。

バンブーバッグ、ホースビットモカシン、フローラプリントなど、時代のアイコンと賞賛される製品を次々と生み出しつつも、経営は常に不安定だった。やがて会社経営の主導権や株式をめぐり、骨肉の争いが起きる。

1990年代前半のグッチはファミリーのメンバーそれぞれが好き勝手に商品を売り出すという有様で、世界各地にフランチャイズ店が乱立し、コピー商品が氾濫していた。ブランド自体は人気でも、未熟なマネジメント体制の下で資金繰りが悪化し、優れた人材は次々とグッチを離れていった。

ファミリーによる脱税や詐欺疑惑がグッチの名をおとしめ、莫大な財産をめぐる身内同士の泥沼の訴訟合戦が繰り広げられた。1995年には創業者の孫マウリツィオが元妻の差し向けた殺し屋により殺害されるという前代未聞の不祥事を引き起こす(ちなみに2017年現在、このスキャンダラスな殺人事件の映画化プロジェクトが始動しているという。監督には香港映画界の巨匠ウォン・カーウァイの名が挙がっている)。

迷走するブランドを舵取りできる者はファミリーの中にはいなかった。グッチの株式はアラブ系の投資会社インヴェストコープの手に渡り、創業家のメンバーはすべてグッチから姿を消した。以後、グッチは経営のプロに任されることになる。

グッチの救世主