久留米市や大牟田市などを含む福岡県南部の筑後地方では、工芸や製造業など、ものづくりが盛んに行われてきました。

120年以上の歴史を持つ「アサヒシューズ」や、明治時代に「つちやたび店」として誕生した「ムーンスター」、そしてタイヤの世界市場シェアでトップを獲得している「ブリヂストン」が誕生したのも筑後です。加えて、東芝の創業者・田中久重の生まれたべっこう細工師の家があった場所も、筑後の久留米市です。

筑後地方に根付き、歴史と伝統を守りながら時代に合わせて変化を続ける3つのものづくり産業について紹介します。

200年以上もの歴史を誇る「久留米絣(くるめかすり)」

(写真=PIXTA) (写真=PIXTA)

「久留米絣」は、シンプルな色彩といつまでも触っていたくなる優しい肌触りが特徴の絣です。1957年には久留米絣の技法が国の重要無形文化財に、1976年には久留米絣そのものが経済産業大臣指定伝統工芸品として指定されました。

久留米絣が誕生したのは、およそ200年前です。当時12歳だった少女・井上伝によって生み出されました。普段使いできる着物の生地として庶民に浸透していましたが、戦後になると普段着は洋服へと変わり、久留米絣の需要も減少します。あわせて織元の数も激減していくなかで、消滅の危機を迎えた久留米絣は用途を着物から洋服の生地へと変えました。

その後、元々需要の少なかった無地の生地に柄を組み合わせた久留米絣の洋服が完成します。久留米絣は新しいニーズを作り出し、消滅の危機を回避することに成功したのです。そして、久留米絣は現在、洋服以外にもエプロンやバッグ、手ぬぐいなどに使われ、形を変えながらも人々の生活に寄り添っています。

和紙作りに適した土地で作られている「八女手漉き和紙 」

「八女手漉き和紙」の歴史は古く、今より400年余り前の1595年(文禄4年)に始まったとされています。そのきっかけとなったのは、全国行脚で八女に訪れた日源上人でした。

もともと、八女には和紙作りに最適な水質の矢部川が流れ、原料のコウゾとミツマタが豊富にありました。日源上人は、このことから八女が和紙作りに合う土地だと考え、自身の故郷・越前国で用いられていた紙漉き技術を八女の人々に伝えたそうです。

八女手漉き和紙の特徴は、 丈夫かつ伸縮性に富んでいる点にあります。書道で使われる半紙よりも大きいサイズの画仙紙だけでなく、提灯に貼ることもあります。加えて、ちぎり絵からラッピングなどにも使用されるなど、八女手漉き和紙の用途はさまざまです。ちなみに、棟方志功の作品「東海道五十三次」にも八女手漉き和紙が用いられています。

最近では、葉書・短冊・しおり・うちわなどを作る八女手漉き和紙体験を実施しているほか、八女手漉き和紙を繊維として利用した洋服・バッグを購入することが可能です。

日本にたった1つ残った樟脳工場「内野樟脳(しょうのう)」

古代エジプトで防虫剤や芳香剤として用いられてきた天然樟脳。みやま市には、この天然樟脳を150年以上も製造し続ける日本でたった1つの樟脳工場「内野樟脳」があります。

九州で伐採された樟のみを使用し、土佐の技術を改良した独自製法で作った天然樟脳の結晶を、八女手漉き和紙に包んで販売しています。爽やかな香りが虫だけでなく、菌の増殖や臭いの発生を防ぐ効果を持っています。内野樟脳では、天然樟を100%使用した「樟脳オイル」も販売しています。リフレッシュ効果を持つ樟は、集中力を高めたい時や気分を変えたい時などに適したアロマとしても使われています。

この世から失われかけたものの、新たな形へと進化を遂げた久留米絣や天然樟脳。八女手漉き和紙に関しては、商品作りとともに和紙作り体験を行うなど、今では少なくなった和紙に触れる機会を積極的に設けています。

伝統技術の良き部分を残し技術を継承しつつ、時代の変化に対応していくこと、ものづくりを多くの人々に知ってもらうことで、筑後の伝統工芸は今後さらに進化していくでしょう。


(提供: JIMOTOZINE )