趣味の多様化やファン層の高齢化を受け、競輪・競艇・オートレースといった公営ギャンブルは売上減少と赤字体質に苦しみ、中には撤退する自治体も出てきた。それがここ最近回復の兆しが見えいてるという。ネットの活用や関係者の営業努力が功を奏した結果だ。

もともとは戦後復興時が始まり

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(画像=PIXTA)

地方競馬は戦前より行われてきたが、それ以外の公営ギャンブルは、昭和20年代後半の戦後復興期に、財政難に苦しむ地方自治体の救済策としてスタートした。

昭和23年には福岡県小倉市で競輪が、昭和24年にはオートレースが、昭和27年には長崎県大村市で競艇が初開催され、以降全国各地で公営ギャンブルが盛んに行われるようになる。現在地方競馬は13か所、競輪は44か所、競艇は24か所、オートレースは5か所で開催運営されている。

ギャンブル場を自治体が受け入れるのは、多額の税外収入のためだ。例えば、昭和26年施行のモーターボート競争法では、競艇の主催者は市町村とされている。市町村は、売上高に応じて4/1000から17/1000を振興団体(競艇の場合は日本財団・モーターボート競走会等)に交付し、運営経費を差し引いた後、残りを自治体収入に充てることができる。

自治体を潤す税外収入

実際、公営ギャンブルの売上増に伴い、市町村の財布は潤った。ピーク時に売上高は5.5兆円に達し、操出金(収入から市町村の一般会計に繰り入れる金額)も0.4兆円に上った。

こうした繰出金は、学校整備・土木事業・保健衛生などに幅広く活かされている。

公営ギャンブルの活況は、高度経済成長の波に乗った部分もあるが、特に競艇・競輪は日本がオリジナルで編み出した競技であり、日本人のメンタリティーにマッチした面も否定しがたい。

一部の自治体は撤退も

ところが、こうした盛況ぶりも90年代に入ると急速に陰りを見せ始める。2000年代に入っても衰退は止まらず、2010年に売上はピーク時の1/3にまで落ち込み、操出金は20/1の134億円にまで激減した。ファン層の高齢化や趣味の多様化がその背景だ。

不振を背景として2000年代に入ってからは、市町村長による撤退表明も相次いだ。例えば競輪では、2000年代に入り7場が廃止となった。苦しい業績が続いているうえに、老朽化した施設の大規模な補修費用も背中を押した。

突然の回復。その背景は

ところがここ数年、公営ギャンブルの業績が回復している。例えば一時8400億円まで落ち込んだ競艇の売上が、2015年度には1兆円台に回復、2016年度はさらに1.1兆円まで伸ばしている。どん底の時期から3割以上伸ばし、最悪期は脱した感がある。

総務省の「地方財政状況調査」を分析した結果によると、収益事業による赤字市町村がピーク時には4割を超えるまでに達したが、2015年度には13%にまで減少している(104団体中14団体)

収益回復の結果、公営ギャンブルは地方財政にも貢献しつつある。

一般会計への繰り出し金は2015年度には174億円と、最悪期の2倍近くまで数字を戻した。まだ自治体を潤わしているレベルには達していないが、少なくとも「自治体財政のお荷物」との位置づけからは脱している。

売上を回復させた最大の功労者はインターネットだ。地方競馬におけるネット投票のウエイトは高く、高知競馬では85%、ホッカイドウ競馬は77%に達する。交通の利便が良い東京シティ競馬でも58%だ。

ネットの役割は、売上の決済手段だけではない。日経新聞の報道によると、地方競馬では、ネットの掲示板を通じて、ファン同士が馬・ジョッキー・レース場などに関して、各自の予想や熱い思いを闘わせている。これも地方競馬人気の復権を支えている。

とはいえ、公営ギャンブルの売上は全盛期の半分に過ぎない。繰出金も1000億円には遠く及ばない。

今後さらに業績を伸ばすには、インバウンド取り込みも視野に入れつつ、顧客接点を広げ深めていくためのマーケティング努力が欠かせないのではなかろうか。(ZUU online編集部)