前回は、日本におけるキャッシュレス化の進展状況と海外との比較を行った。今回は、キャッシュレス化が進展することで、具体的にどのような便益があるかについて考えてみたい。

キャッシュレス化によるメリット

キャッシュレス化
(画像=PIXTA)

現金決済は物理的に硬貨・紙幣をやり取りすることで取引が完了するが、キャッシュレス決済では電子データを記録することで取引が完了することになる。よって、キャッシュレス決済を用いることで、消費者は金融機関の窓口やATMから現金を引き出して持ち運ぶ必要がなくなり、物やサービスを提供する小売業者にとっても現金の管理・運搬に関する手間を削減することが可能となる。つまり、キャッシュレス化によって、現金を管理・運搬する際の紛失や盗難のリスクが逓減されることになる。

例えば、補償や保険が付帯しているクレジットカードや記名式の電子マネーであれば、偽造や不正使用によるリスクを逓減でき、電子データがお互いの帳簿に記録されることで、資金管理のコストも削減される。そのため、消費者はカード決済や電子マネーの利用状況を電子データで確認し、家計簿ソフト等を活用することで容易に資金管理が行えるようなサービスを安価で享受できる。小売業者サイドも大量の購買データを容易に入手することができ、ビッグデータ等で消費者の購買行動を分析することで消費活動を活性化させ、収益向上を狙うといったことも可能となる。

ビッグデータ分析による消費活性化以外の面でも、キャッシュレス化は経済活性化に寄与するとの指摘がある。現金決済の場合、消費者の予算は財布の中にある手持ちの硬貨・紙幣の総額に制約されるが、キャッシュレス決済も活用できる場合は、金融機関に預けている資金にクレジットカードの与信枠を加えた総額にまで予算制約が拡大することになる。それに加えて、キャッシュレス決済はECサイトのようなデジタルエコノミーとの親和性が高い。そのため、消費者がキャッシュレス決済を用いる際の物やサービスを購入する選択肢は、消費者自身が移動可能な距離の範囲にとどまらず、インターネットでアクセスできる範囲にまで拡大することになる。Moody’s Analyticsの分析(*1)によると、キャッシュレス決済の利用率が1%上昇すると、世界のGDPが平均的に0.1%増加すると指摘しており、日本においても0.04%増加する。つまり、キャッシュレス決済は現金決済よりもGDPの増加に寄与するのである。

キャッシュレス化による社会的な便益は、経済の活性化だけではなく、公平な課税適用にも寄与する。日本では、家庭ごみから所持者不明の現金が発見されるといった報道も増えており、タンス預金等で多額の現金が保管されているとの指摘もあるが、世界では地下経済において多額の現金が流通していると言われている(*2)。現金による取引では匿名性が確保されるため、その特性から脱税や犯罪に利用されることもある。キャッシュレス化を通じて、これらの取引が電子データで管理されるようになれば、現金決済では捕捉されなかった取引が透明化され、税収入の増加や税務処理の事務効率化が実現されると期待できる。

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(1)”The Impact of Electronic Payments on Economic Growth,” Moody’s Analytics, 2016
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2)”The Course of Cash,” Rogoff K. S., Princeton University Press, (邦訳「現金の呪い」村井章子 訳, 日経BP社)などで指摘されている。
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新興国におけるキャッシュレス化と金融包摂

世界的には金融包摂(3)促進の観点でもキャッシュレス化が注目されている。新興国を中心にモバイル決済が普及している。日本銀行の調査(4)では、日本におけるモバイル決済の利用率が6.0%(2016年調査)であることが紹介されている。また、米国で5.3%(2015年調査)、ドイツで2%(2014年調査)、中国で98.3%(2016年調査)、ケニアで76.8%(2015年調査)であることも紹介されている。

新興国では固定電話網が未発達の状況で携帯電話網が整備され、太陽光発電も普及した。それに加えて、金融インフラも未整備であったことから、通信業者が信用リスクを負う後払い式ではなく、前払い式の携帯電話が普及した。つまり、プリペイド型のモバイル端末を活用したキャッシュレス化との親和性が高い環境にあった。とはいえ、携帯電話網にその機能を全て移管できる固定電話網とは異なり、キャッシュレス化の恩恵を最大化するには、大口資金決済が円滑に行える金融インフラの存在は欠かせない。実際に、新興国においてモバイル決済のサービスを受けるには、銀行口座の開設を必要とするのが通例であり、金融包摂を促進したい新興国の政府の意図が見える(*5)。

図表1は世界各国の2011年から2016年までのATM設置台数の増加率と2014年の成人の銀行口座保有率を並べたものである。新興国における銀行口座保有率は相対的に低く(80%未満)、先進国における銀行口座保有率がほぼ100%である一方で、新興国におけるATM設置台数の増加率が高く、先進国におけるATM設置台数は横ばいか減少していることが分かる。つまり、新興国ではモバイル端末を活用した決済手段が広く浸透しつつ金融インフラの整備も同時並行で進められていることを示唆している。一方で、先進国では金融インフラが十分に整備されている状況にあることから、銀行口座の保有が前提となるカード決済(クレジットカードとデビットカード)の利用が一般的になっていると考えられる。逆に考えると、先進国でのモバイル決済の普及は、固定電話網から携帯電話網への移行と同様に、新興国と比較して緩やかなものになるだろう。

キャッシュレス化
(画像=ニッセイ基礎研究所)

ところで、キャッシュレス先進国と呼ばれることの多いスウェーデンではATMの設置台数が減少している。つまり、キャッシュレス化の進展とともに、新興国では金融インフラが整備されて金融包摂が促進される一方で、先進国ではATM等の余分な金融インフラが徐々に整理されていくことが示唆される。すでに銀行口座保有率が97%の日本では金融包摂が十分であるため、余分な金融インフラについてはキャッシュレス化の進展に伴って今後合理化が進められていくものと推測される。

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(3)「すべての人々が、必要とされる金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」(金融包摂)は、貧困からの脱却を後押しするものとして、世界的なテーマとなっている。
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4)「モバイル決済の現状と課題」(決済システムレポート別冊シリーズ、日本銀行決済機構局、2017年6月)
(*5)ケニアで普及しているモバイル決済サービスは、銀行口座を保有していなくても利用可能である。そのため、ケニアにおけるATM設置台数の増加率は他の新興国と比べて緩やかになっていると考えられる。
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中央銀行による通貨のデジタル化

カード決済や電子マネーの利用以外にも、中央銀行が高額紙幣の廃止や貨幣のデジタル化を進めるなど、国家主導のキャッシュレス化についても世界的に注目されるようになっている。中央銀行がキャッシュレス化を主導することのメリットとして、紙幣発行に関するコストの逓減、資金洗浄やテロ資金対策、金融政策の有効性向上といった効果が期待されている。

ウルグアイがデジタル通貨の試験運用を開始し、エストニアなどでも研究が進められているところである。現在のところ、日本銀行ではデジタル通貨発行の具体的な計画はないとしている。仮に、日本において全ての紙幣・硬貨が廃止される形での円のデジタル化が実現した場合、紙幣や硬貨の形で保管することはなくなるため、脱税や犯罪のための現金利用や家庭ごみから所持者不明の現金が見つかる、といった問題はなくなることになる。

ただし、日本は世界的に見ても流通している現金が多く(6)、紙幣・硬貨をデジタル通貨と交換する際のコストは無視できない。例えば、デジタル通貨に対応した社会システムに移行する際のインフラ整備も考慮する必要があり、急激に移行すると社会的な混乱も生じるかもしれない。インドでは高額紙幣の廃止が行われたが、経済停滞の原因にされるなど、想定していた効果は挙げられていないようである(7)。中央銀行によるデジタル化は世界的に研究されているテーマであり、今後も継続的に見守っていく必要があるだろう。

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(6)「BIS 決済統計からみた日本のリテール・大口資金決済システムの特徴 」( 決済システムレポート別冊シリーズ, 日本銀行決済機構局, 2017年2月)では、現金流通残高は名目GDPの19.4%で、当該レポートで紹介されている国々の中で最も割合が高い。
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7)「インド高額紙幣廃止1年 不正資金撲滅の“奇策”も効果薄く…『経済低迷の原因』指摘も」(産経新聞, 2017年11月18日)など。
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福本勇樹(ふくもと ゆうき)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 准主任研究員

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