「AIを制する者が世界を制する」とはロシアのプーチン大統領の言葉である。プログラミング言語の単著を執筆した経歴を持つ異色の経済学者である著者が、AIの発展が経済にもたらす影響を衝撃的でありながら説得力のある予想を展開し、そのような時代に必要となる社会のあり方とは何かを論じている。

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊
著者:井上智洋
出版社:文藝春秋
発売日:2016年7月20日

特化型AIの雇用への影響は既存の技術革新と変わらない

2017年現在、ある機能に特化したAI(特化型AI)はすでに日常生活に浸透している。スマートフォンでの音声入力や記事の翻訳の精度は非常に高く、車の自動運転も試験運転ができる段階で将来は道路を無人の車が走っていることは想像に難くない。

特化型AIが雇用に及ぼす影響は経済史的に考えると、これまでの技術革新と同程度だと予想されている。例えば、産業革命で機械式の織機が誕生し労働者は解雇された一方で、綿織物の価格が低下し需要が上がることで工場労働者の雇用が増加し、またイノベーションがほかの産業に波及することで雇用が増加した歴史がある。車の自動運転などでも同様に考えられるというわけだ。

特化型AIは既存の職業に対して、代替的でありつつ補完的であるため、雇用全体への影響は軽微であるという主張については、経済学者の間で差異はないようだ。

汎用AIが引き起こす第二の大分岐

本書の議論が刺激的なのは、多くの経済学者は汎用AIであっても補完的な要素が十分にあり「雇用は奪われない」と予想しているのに対し、著者は大半の「雇用が失われる」と主張している点である。

汎用AIとは、人間のようにあらゆる知的作業を行うことができるAIである。汎用AIは労働のほとんどを代替し、著者の最も悲観的な予想では、全人口の1割ほどしか労働をしていない社会に変貌させるというのだ。

汎用AIで雇用の大崩壊を起こるとしてもAIの開発を国家がやめるわけにはいかないのは、それが凄まじい経済成長をもたらすためだ。これは産業革命以来の生産性革命であり、第二の大分岐になるという。第二の大分岐が始まるのが2030年頃からだと考えられ、汎用AIをいち早く導入できた国家が世界の覇権を握ると言っても過言ではないのだ。

しかし、汎用AIで経済成長が加速するとしても労働所得が得られず失業者が溢れる社会は悪夢である。もし、そのような時代が来た時に人々の生活を支える仕組みとしてベーシックインカム(BI)を提唱している。

汎用AI時代に必須のベーシックインカム

ベーシックインカムは端的には、生活に必要な最低限度のお金を一律で配る社会保障制度である。経済成長の果実をベーシックインカムにより再分配を行えば、社会の9割が失業状態になったとしても大混乱にはならないだろう。むしろ、それはユートピアな世界なのかもしれない。

他方で、ベーシックインカムで所得は確保できても、失業により尊厳やプライドが傷つけられる可能性も考慮すべきだろう。失業率が上がると自殺率も上がるという統計分析が存在するが、それは失業により生きる苦しみを感じ、それから逃れるための自殺のメリットが増加するためだと考えられている。

汎用AI時代に多くの人は経済において消費をするだけの存在となるのだろうか、そのような時代に人はどのように生きるべきなのか、本書の最後の記述はそのヒントとなるかもしれない。私はこの部分で思索に耽ったと同時に、著者の人間愛のようなものが感じられて爽やかな読後感が得られた。

本書を読むと、経済学は汎用AIにどう対応するのかという疑問も湧いてくる。多くの中央銀行は2%程度の物価上昇と完全雇用を目標に掲げて金融政策を行っているが、汎用AI時代の完全雇用をどのように把握するのだろうか。爆発的な経済成長の余力を需要の制約により止めないために、物価目標をどの程度に設定するのだろうか。

もしかすると、それを考えるのも汎用AIになっているのだろうか。本書は読む人に様々な想像を抱かせる、知的刺激に溢れる名著である。(書評ライター 池内雄一)