セントラルバンカーとは、いったいどういう仕事をしているのか? その役割と力の限界について知るには、下手な概説書や専門書に当たるよりも、ライアカット・アハメド氏の『世界恐慌(上・下)』(吉田利子訳、筑摩書房)と本書『マネーの支配者』を読むとよい。

アハメド氏の著書は1914年から45年までの英米独仏中央銀行総裁の「必死の、しかし結局は無益だった闘い」を描いたものだが、本書は2007年から12年にかけて起こった一連の金融・経済危機が世界恐慌に拡大するのを防いだセントラルバンカーたちの奮闘ぶりを叙述したものである。そして、その物語は現在に直結している。

マネーの支配者――経済危機に立ち向かう中央銀行総裁たちの闘い
著者:ニール・アーウィン
訳者:関美和
出版社:早川書房
発売日:2014年3月25日

マネーの支配者
(画像=Webサイトより)

セントラルバンカーはアルケミストか?

本書の主役は、米連邦準備制度理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長、イングランド銀行のマーヴィン・キング総裁、欧州中央銀行(ECB)のジャン・クロード・トリシェ総裁である。彼ら3人が「錬金術師」(原題The Alchemists)かどうかはさておき、歴史的に見れば、セントラルバンカーが錬金術師とみなされるのには、それなりの理由がある。

「史上初のセントラルバンカー」ヨハン・パルムストルヒのストックホルム銀行は、1656年に国王令で設立の認可を受ける。1661年に欧州初の銀行券を発行した同行だが、取り付け騒ぎで破綻し、1668年に「世界初の正式な中央銀行」国立諸階級銀行(リクスバンク)がストックホルム宮殿内に設立される。この歴史から見えてくるのは、無から有を生み出す錬金術に必要なのは、「紙と輪転機と中央銀行、それに国家権力のお墨付きだけだった」ということである。

イギリスでは、1866年のオーバーレンド・ガーニー商会破綻の際に、イングランド銀行が大規模な信用供与で危機の拡大を防いだ。これをつぶさに観察し、パニック時において、中央銀行は「最後の貸し手(lender of last resort)」として、金融機関に無制限に融資を行う必要があり、「適切な担保があれば、商人にも、中小銀行にも、あの人にもこの人にも(to 'this and that man')貸し出さなければならない」と唱えたのがウォルター・バジョットである。

しかし中央銀行が常に皆から歓迎されるわけでない。たとえばアメリカの第二合衆国銀行(1816~36年)は、中央銀行嫌いの第七代合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンによって息の根を止められた。以降、アメリカでは中央銀行不在の時代が続くなか、幾度もパニックに見舞われる。なかでも1907年秋の金融恐慌の際には、ジョン・ピアポント・モルガンらの銀行家が事実上のセントラルバンカーの役割を果たして投資銀行を救済する。

このときの経験から、アメリカではパニック時における中央銀行(=錬金術師)の必要性が認識され、1913年に連邦準備制度(FRB)が設立される。しかし他方で、FRBの権力強大化を危惧し、中央銀行の存在自体に敵意を抱くアメリカ人は依然として少なくない。ジャクソン大統領を尊敬するトランプ大統領もその一人である。

「最後の貸し手」としての役割

本書第二部から第四部までは、サブプライム・モーゲージ危機を発端としてリーマン・ブラザーズの経営破綻へと至る連鎖的な金融危機(2007~08年)とその後の余波(~2010年)、ギリシャの財政危機に端を発するユーロ危機(~2012年)とそれらにたいする主要国中央銀行の対応を克明に描いている。

2007年12月、カナダ、イギリス、欧州、スイス、アメリカの中央銀行間で、ドル不足に陥った欧州の銀行を助けるための通貨スワップが合意され、金融危機にたいする国際協調による対処がなされた。ところが2008年3月になると、欧州の問題が大西洋を越えてアメリカの投資銀行ベア・スターンズに襲いかかり、同行は実質破綻に陥る。

元来「最後の貸し手」としてのFRBの役割は、伝統的な銀行を対象とするものだった。ところが、「多くの点で伝統的な銀行と同じように振る舞ってはいたが、異なる種類の生き物だった」ベア・スターンズは、FRBが定める資本規制の範囲には入らず、FRBによる緊急融資の対象にはなり得ないはずだった。

つまり、バーナンキにベア・スターンズを助ける義務はなかったのである。しかし大恐慌について研究し、一つ二つの金融機関の破綻を許せば、金融システム、ひいては経済全体に深刻な悪影響を及ぼすことになる(=システミック・リスク)という教訓を学んでいたバーナンキは、苦肉の策を講じてベア・スターンズの救済に踏み切る。

ベア・スターンズの救済について、ポール・ボルカー元FRB議長は、「中身の疑わしい不動産ローンとモーゲージ証券を投資銀行からFRBに直接譲渡することは、長い歴史のなかで中央銀行が危機時に掲げてきた哲学への挑戦のように見える。その哲学とは、良質の担保に対してのみ高い金利で無制限に貸し出すことだ」と批判している。つまり、バーナンキが講じた措置は、バジョットの教訓を破ることになるという指摘である。

今年読むべき一冊

本書は、中央銀行の理事会人事や運営スタイル、総裁の個性と手腕と権限、政府や議会との関係、マスコミ対応などの実態について詳細に描いており、また目の前で起こっている事態や今後起こりうる事態への対処と対策、その規模や手法、策を講じるタイミングをめぐる当事者たちの議論や駆け引き、逡巡や決断について見事な筆致でリアルに伝えている。

加えて、金融市場をロンドンのミレニアム・ブリッジに譬えて金融危機発生の仕組みについて説いたヒュン・ソン・シンLSE教授の説明(第8章)や、米中の金融危機対応を比較し、金融救済法案が政争の具になってしまう民主主義国家アメリカよりも、政府が銀行を支配下に置いている全体主義国家・中国のほうに利があったという見方(第20章)など、本書には興味深い解説や指摘が随所に見られる。

2018年は、2月にFRBの新議長にジェローム・パウエル氏が就任する見通しである。また年央には(12ある地区連銀のうちで最も有力な)ニューヨーク連銀のビル・ダドリー総裁が退任する予定である。日本でも、黒田東彦日銀総裁が4月に任期を迎える(報道では再任が有力視と伝えられているが)。このように、今年は太平洋を挟む両経済大国の中央銀行人事が注目される年になる。その意味でも、本書を通じて、セントラルバンカーの役割と力について改めて確認しておく必要があるのではなかろうか。(寺下滝郎 翻訳家)