株式会社の運営には、さまざまな立場の人が関わっている。CEO(最高経営責任者)や役員、従業員といった業務執行者はもちろんのこと、株主をはじめとする利害関係者も無視できない存在だ。 コーポレートガバナンスとは、こうした人たちが効率よく会社を運営できているかどうかをモニタリングし、必要に応じてコントロールするしくみのことだ。「一億投資家時代」と言われる現代において、このコーポレートガバナンスは、ますます重要な要素として捉えられている。

今、なぜコーポレートガバナンスに注目すべきなのか。コーポレートガバナンスは社会全体に、そして投資行動にどのような影響を及ぼすのか。ファイナンシャル・プランナーとして資産運用のアドバイスを行うGAIA代表の中桐啓貴氏と、投資信託の運用を手がけるスパークス・アセット・マネジメントの清水裕氏に聞いてみた。

今、社会の流れはコーポレートガバナンスに向いている

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――先日、清水さんがGAIAでコーポレートガバナンスに関するセミナーを開催されましたが、非常に好評だったそうですね。

中桐啓貴氏(以下、中桐)/そうですね。当社で何か月かに一度、このような形でセミナーを開催しているのですが、清水さんに担当していただいた回は、なんと出席率100%でした。 やはりコーポレートガバナンス、そして当日のお話しの中にあったESG投資というトピックに対してのお客様の関心の高さが、今回の結果につながったと思っております。

――あらためて清水さんにお聞きしたいのですが、なぜコーポレートガバナンスやESG投資というテーマを選ばれたのでしょうか。

清水裕氏(以下、清水)/ひと言でいうと「必要だから」ということなのですが、これには2つの側面があると思っています。ひとつは社会的側面、もうひとつは経済的側面です。噛み砕いて言うと、世の中の流れやコーポレートガバナンスやESG投資に向いており、ここに注目して株式投資をすると儲かるから、ということですね。

ひと昔前なら、会社に投資するのは限られたお金持ちだけというイメージでしたよね。それが今では年金や投資信託を通じて、誰もが投資に参加できる時代になりました。世の中全体がインベストメントのチェーンに組み込まれていっているとも言えると思います。

もうひとつの大きな流れは、やはり「IT化」です。情報がどんどんオープンになっているので、機密情報をもった特定の人だけが儲けるという時代は過ぎ、より多くの人の共感を得ることがビジネス成立の必須条件になってきています。

こうした流れの中では、投資家も社会的貢献を意識して投資をしなければなりません。アベノミクスも、それに対応する動きです。安倍首相になってから急速に進められている「働き方改革」も、企業の統治構造、つまりコーポレートガバナンスを改善していきましょうという掛け声です。

日本企業が「株主との対話」を重視しはじめた理由

――なるほど。セミナーでお話しされた内容を拝見すると、株主の構造も変化しているのだそうですね。

清水/そうですね。1986年の段階では、日本全体の株主のうち外国人投資家の持ち分は、たった5%程度でした。個人投資家や信託銀行の年金資金が3分の1、残りの3分の2は金融機関や事業法人の持ち合い株。投資のリターンを求めない人が半数以上を占めていたわけです。統治構造が少しゆがんでいたんですね。

それが今では3分の2が純粋な投資家で、その中でも外国人投資家が3割になってきている。今までは取引関係がある人が株主だったので「仲間うちで“シャンシャン”で済ませよう」ということができましたが、これからはそうではありません。株主との真剣な対話が求められるでしょう。

――ひと昔前は「仲間うちで株をもつことが日本企業の強さだ」とも言われていましたが、それが時代とともに変わってきたということなのでしょうか。

清水/そういうことだと思います。株主が日本企業をモニタリングする主たる存在だということを、意識しなければならないのです。

明治維新以降、戦争以前は、財閥が日本企業の主たるオーナーでした。これが戦争準備で、突然銀行中心のメカニズムに変わります。利益を求めて動くと軍需産業にお金が流れませんので、中央が権限を握って、国として重要な産業にお金を配分しようとしました。これを一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんは、「1940年体制」と、おっしゃっています。

日本の場合は、太平洋戦争が終わってからもこのメカニズムが生き続けていました。重工業中心の産業構造の中では、このしくみが非常にうまく回っていたからです。鉄鋼業やプラントは初期費用がかかりますので、創業時に国が主導してドカッとお金を投入できたということが、高度成長につながったとも言えると思います。

しかし、国際化で国の規制がどんどん緩くなっていく中で、銀行はしだいに力を失っていきました。その象徴がバブルの崩壊です。問題は、今まで企業をモニタリングしていた銀行がいなくなったのに、それに替わる存在が育っていかなかったことです。いわば「ガバナンスの空白」が生まれてしまいました。 それがアベノミクスをきっかけに、やっと「株主」という存在が育ち、企業をモニタリングする役割を担うようになってきた、ということです。

――これこそ「失われた20年」だというわけですね。

中桐/コーポレートガバナンスの発祥は、17世紀に誕生した東インド会社でしょう。そこには出資する人と経営する人、そして探検をする人を見守るしくみが整い、会計システムもあった。そういう意味では、コーポレートガバナンスはどんな時代にも普遍的に必要なものなのだと思います。

清水さんがおっしゃるように、今では投資信託などを通じて一般の人も出資できるようになりました。コーポレートガバナンスが与える社会的影響というのは、どんどん大きくなってきていると思います。

日本企業はなぜグローバル競争に負け続けてきたのか

――もう1点清水さんがおっしゃっていた「経済的側面」について、詳しくお聞かせいただけますか。

清水/日本の企業をグローバル視点で見ると、圧倒的に収益性が低いんですね。現場でのオペレーションは決して悪くないし、品質もいい。でも企業の財務を見るとなかなか儲かっていない、という会社が多いんです。

理由のひとつに、日本の企業が規模を追求してきたというのがあると思います。一方で、付加価値や利益の向上に真剣に取り組むという意識が低かったんですね。 しかし、昨今のコーポレートガバナンス重視の流れで株主がモニタリングの役割を担うようになると、企業の中でも株主にしっかり報いよう、分配しようという意識が高まってきます。そのためにはやはり利益を残さなくてはならないので、「規模は追わずに利益を追おう」という目線に変わってきているのです。結果、投資対象としても魅力的になるわけですね。

――なるほど。日本企業が規模より利益を追うようになると、どのようなことが起きるのでしょうか。

清水/市場は限られているので、みんなが規模を追い求めると、競争が激化します。これが適正規模になると競争が収まり、利益が改善、もしくは安定してくると思います。

競争が激しくなったほうがいいのではないかと思われるかもしれませんが、規模の追求を最優先事項としてきた日本企業の中には、赤字の事業を続けているケースも多くありました。 このようなギリギリの状態で事業を続けていると、経営状態がいいときは株価が上がるのですが、景気が悪くなるとまたすぐに下がってしまうということがくり返されます。非常に不安定な状態だと言えるでしょう。

もし合理的な判断によって、赤字の事業をやめたとしたらどうなるか。結論から言えば、産業全体の利益額が上がるんですね。 企業自体も大きな改善期を迎えて、そのあとは業績が非常に安定的に推移するような安定成長期に移行します。こういうことが、これからはいろいろな日本企業の中で起きてくるんじゃないかと思います。

中桐/赤字の事業を続けている企業でよくあるのが、「前の会長や社長がやっていた事業だからやめられない」という事情ですよね。そこは日本の企業もずいぶん変わってきていて、合理的な判断をしていくようになってきたということなのでしょうか。

清水/そうですね。株主の目を気にしてということもありますし、生産性を上げていかなければいけないという意識もあるのだと思います。

実際に流れが変わってきたのは、雇用環境によるものも大きいのではないでしょうか。団塊の世代がいる時代までは雇用が多かったけれど、今は人手不足だと言われています。そうすると必然的に「赤字の事業に人を割いている場合じゃないぞ」というふうになってくる。これらの要素がうまく絡み合って、企業も意思決定ができるようになってきたのでしょうね。(取材構成:大住奈保子)