中国では7月上旬、小米(シャオミ)上場の話題でもちきりだった。日本のマスコミは、売出し価格を下回り、目標1兆円の半分しか調達できなかった点を強調した。しかし、中国のニュースサイトに、そういった否定的なトーンはなく、おおむね成功というニュアンスである。時の人となった創業者・雷軍は、改めてスポットライトを浴びている。ニュースサイト「今日頭条」は、雷軍と、他のIT大手創業者の学歴にスポットを当てた記事を掲載した。彼らの学歴とはどのようなものだろうか(文中敬称略)。

時の人、雷軍の学歴は?

中国経済,学歴社会
(画像=雷軍氏 微博より)

高考(普通高等学校招生全国統一考試)とは、日本の大学入試センター入試とほぼ同じである。違いは9月新学期のため、6月7~8日(固定)に行われること。ほとんど一発勝負であることである。毎年、親や高校、一般市民をも巻き込んで大変な盛り上がりを見せ、6月の風物詩となっている。2018年の参加者は、975万人に上った。

もちろん、この大騒ぎに対する反作用として、高考にはそれに値する価値があるのだろうか?という問いかけは、絶えることがない。

本稿はIT創業者たちの学歴から、それに対する答えを探すのを目的としている。まず時の人となった雷軍から見ていこう。

雷軍(シャオミ/小米)

湖北省仙桃市の生まれ。貧しい農村の出身である。その利発さは群を抜いていて「三好学生(思想、学習、身体すべて良し)」の表彰も受けた。89年の高考は、北京大学にも行ける成績だったが、地元の武漢大学・計算機系に進学した。おそらく家庭の事情であろう。

同大は当時国内で最も早く“学分制(単位取得に制限を設けない)”を実施していた。雷軍はここでも抜群に優秀だった。2年で卒業に必要な単位をほぼ取得し、残り2年は学生起業に努めていた。その存在感から、武漢大学の“学覇(学生覇者)”とされた。

超秀才揃いのIT創業者たち

続いてその他のIT創業者を見ていこう。

李彦宏(バイドゥ/百度)

山西省陽泉市の“普通家庭”の出身。父親は多少の“文化的傾向”を持つボイラー工であった。87年の高考では、陽泉市ナンバーワンの成績で、北京大学に進学した。典型的な地元の“神童”である。

王興(美団点評)

福建省龍岩市の出身。父親は商売を営み、その家庭は龍岩市で最富裕の“大戸”だった。恵まれ過ぎた家庭環境も、彼の抜きんでた闘志を、削りとることはなかった。97年高考の成績はずば抜けていた。龍岩一中から清華大学と、典型的な地方のお坊ちゃん秀才コースを歩む。

張朝陽(捜狐)

陝西省西安市の出身。幼年時代は西安市郊外にある工場の家属院(社宅)で過ごす。両親はともに医者であった。寛大な両親のもとで自由闊達に育つ。81年高考を受験、西安中学から清華大学とやはり地元の超エリートコースを歩む。入学後は全国39位の成績でCUSPEA奨学金を獲得、マサチューセッツ工科大学へ留学する。

王朝時代なら、彼らはいずれも科挙の試験に合格し、王朝の中枢を担うレベルの秀才たちだろう。彼らをみれば、受験生と両親のみならず、中国全体が高考に熱狂するには、それなりの理由はある。しかし人生はそれだけではない。

馬雲(ジャック・マー)は例外中の例外

馬雲(アリババ)

これに対し、アリババ創業者の馬雲は、対極の人生を歩んだ。浙江省・杭州市の出身。芸術家肌の両親の元で育つ。しかし喧嘩早いガキ大将となり、学校の成績は常に平均点以下だった。ただし英語の成績は優秀だった。これからは英語と見定めた馬雲は、外国人客の多いホテルに出向き、体当たりで実践英語を磨いていた。 。 82年の高考に初参加、数学はわずか1点だった。83年に2回目の受験、数学は19点に上昇した。84年に3回目の受験、数学はヤマがあたり89点に上昇。しかしこれでも本科(四年制)合格ラインに5点たりなかった。

仕方なく杭州師範大学の専科(三年制)に進もうとしていたとき、偶然同大本科の英語科に欠員ができ、英語が高得点だったため、推薦され本科入学がかなったのである。つまり二浪した挙句、ごく一般レベルの大学に、かろうじて引っかかったのだ。

エリート秀才たちとは似ても似つかない、こうした馬雲の経歴は、彼の高い大衆的人気の根源ともなっている。

しかし馬雲を例外的存在と呼ぶなら、エリート創業者たちもまた例外的存在だろう。創業で大成功するなど、いずれも超人の所業に違いないからだ。「それでも、高考でよい成績をとった方が、その確率は高いのだよ。」中国の両親たちは、今日もこうして受験生のモチベーションに働きかけ続けているのだろう。(高野悠介、中国貿易コンサルタント)