人間味の深いプラットホームに

変える力,シェアリングシティ
(画像=PHP総研)

横尾 もう一つ、根本で思っているのは、シェアリングエコノミーというけれども、日本って、絆文化があるし、もやい文化があるし、伊勢講のような講の文化があるでしょう。みんなでお金を集めて、全員は行けないけれども、「あんた代表でお伊勢さん行っといで」の講とか、そういう気質と文化と歴史がありますよね。

だから、海外とは違う受け入れ方があり得るのではないか。藤井さんがおっしゃったように、それを強烈に教えてくれたのが3.11ですよね。そういう、もやいとか絆の歴史のある日本らしい何か新しい展開を工夫して、海外のコピーではなくて、日本型で行くべきかなという気がしますね。

荒田 そうですね。かつて全国に広まった伊勢講の組織づくりには、それをコーディネートする御師がいました。今でいうソーシャルデザインの日本的なひな形のように思えます。

藤井 シェアリングエコノミーというのが、巨大なプラットフォームを民間企業がつくって、それにフリーアルバイターみたいな人たちが、細分化されたタスクをもらって、それで日々の生活の糧を得ているというだけだと、正社員がフリーランサーになっただけじゃないですか。

そういうモデルではなくて、もう少し絆だとか、地域に根ざしていたコミュニティを生かしたような、人間味の深いプラットフォームをつくれないかという話があるんです。

横尾 そうそう、ハートのあるプラットフォームね。

藤井 欧米ではこれはギグ・エコノミー問題といわれていて、シェアリングエコノミーではなくて単に「日雇い経済」なのではないかという問題意識です。企業が昔だったら下請に出して、下請の正社員がやってた仕事を、全部どこかのフリーランサーにやらせるって、そうすると社会保障だとかどうなっていくのかという話になります。

そうではなくて、まちの人たちが、自分たちで団体をつくって、あるいは、特殊な技能を持った人たちが自分たちでシェアリングエコノミー型プラットフォームを立ち上げる。例えば、タクシー運転手がウーバーをつくったらどうなのか。

横尾 それです。

藤井 これが欧米で「プラットフォーム・コーポラティヴィズム」(組合型プラットフォーム)と呼ばれている試みです。地域に根ざした組合型プラットフォームということが、今、世界では言われ始めています。ある海外のニュースレターを読んでいたら、組合型経済のデジタル化が成功した事例が日本にある、というんです。何かと思ったら、生協なんですよね(笑)。

横尾 ああ、コープね。なるほど。

藤井 灯台もと暗しというか。

大きな会社によるシェアリングエコノミーは当然あってよくて、それが遊休資産をうまく使っていくという世界はあるんだけれども、そうではなくて、地元にもともとあったギルド的なものをコミュニティを守るために組合化して、そこをプラットフォームにしていくという世界も、今後出てくるのかなというふうに思っているんです。

だから、昔のような経済成長が望めなかったとしても、豊かに暮らしていくっていうのはどういうことなんですかと。高度経済成長期のように誰でもが一軒家を買えない、正社員になれない、そうでなかったとしても、いろんな仕事を掛け持って、シェアハウスに住んでいろんなコミュニティと触れ合って、半分フリーランスだから自分のフリーな時間もあって、みたいな、そういうのがコミュニティに楽しく、より豊かに生きていくかという、価値観の転換を今後求められていくというのがシェアリングエコノミーのもう一つの側面なのかなと。

荒田 たしかにそうですね。

地方の中山間地に移住した方に話を伺ったことがあるのですが、移住仲間の生計の立て方って、夫婦で、年間50~60万円稼げる仕事を5つか6つ持つというのが主流になっているんだそうです。田舎暮らしならそれで十分やっていける。

どっちかが働いて300万円稼ぐのではなくて、夫婦2人で、例えば、自治体の仕事を何か1つ手伝いながら、自分の技能を生かしてとか、農作物をつくったりとか、小さな仕事を複数持つことで生計を立てるという志向らしいんですよ。

そういうライフスタイルと、シェアリングエコノミーってすごく親和性があるのかなと思って今のお話を聞きました。