要旨

●社会保険の短時間労働者に向けた適用拡大が進んでいる。昨年10月には501人以上の企業について社会保険の適用要件が106万円に引き下げられた。今年4月以降は、500人以下の企業についても労使合意による適用拡大が認められている。社会保険の適用拡大が雇用に与える影響を見て行きたい。

●昨年12月分の厚生年金月報によれば、短時間労働者の厚生年金への加入は約27万人となった。国民年金保険料をこれまで納付していた第1号被保険者からの移行だけでなく、保険料負担のない第3号被保険者からの移行も多く、8万人の女性が第3号被保険者から厚生年金保険料を納める側に回ったことになる。また、加入者の標準報酬月額をみると、新規に追加された8.8万円を上回る層での加入者が目立つ。社会保険の適用拡大は、非正規雇用者へのセーフティーネット格差の解消、女性の就労調整の解消、いずれの面からみても順調な滑り出しとなったようだ。

●足元でパート比率の高い飲食・宿泊業や小売業、なかでも規模の小さい企業において人手不足が深刻であることを考慮すれば、500人以下事業所における任意の適用拡大が解決の糸口となる可能性がありそうだ。企業にとって人件費上昇要因であるものの、パート時給の上昇が続く中、パート労働者の収入制限が無くなることは貴重な労働力の有効活用につながる。すでに人手不足は頭数確保の時期を過ぎ、労働時間確保の時期に入っている。正規雇用者の長時間労働が是正される中、人手不足の解消は非正規雇用者の労働時間を延ばせるかにかかっている。社会保険適用拡大が中小企業でも導入され、所得制限無く、皆が働きたいだけ働ける社会作りが進むことが期待される。

社会保険の適用拡大広がる

 昨年10月より、これまで年収要件130万円以上だった社会保険の加入要件が501名以上企業に限り、106万円に引き下げられる短時間労働者への社会保険の適用拡大が実施された。そして、今年4月からは500人以下企業においても、労使の合意があれば社会保険の加入要件を106万円に引き下げることが可能になった。来年より実施される配偶者控除の改正や企業が進める家族手当の変更と合わせて、パート労働者の就労に与える影響が注目されてきた。

 厚生年金月報(執筆時点で2016年12月分まで公表)をみると、短時間労働者として新規に厚生年金に加入した人は、事前の厚生労働省の試算を上回る27万人であった。本稿では、厚生年金月報の結果をもとに、社会保険の適用拡大が短時間労働者の就労行動に与えた影響をみていきたい。

8万人の女性が第3号被保険者の特権を捨てて就労拡大

 昨年10月以降に短時間労働者として厚生年金に新規加入した人は、10月が21.6万人、11月が25.5万人、12月が26.7万人と、厚生労働省の当初試算25万人をすでに上回っている。12月時点での加入者を男女別にみると、男性が8.0万人、女性が18.7万人となっており、女性の方が多い。そもそも、社会保険適用拡大の目的は、Ⅰ被用者でありながら被用者保険の恩恵を受けられない非正規労働者に被用者保険を適用し、セーフティネットを強化することで、社会保険における「格差」を是正する、Ⅱ社会保険制度における、働かない方が有利になるような仕組みを除去することで、特に女性の就業意欲を促進して、今後の人口減少社会に備える、とされていた。まず、目的Ⅰの達成状況を考えるために、この26.7 万人の短時間労働者の適用拡大前の年金加入形式についてみてみたい。

 従前の年金加入形式について想定されるのは、①国民年金保険料を自ら納める国民年金第1 号被保険者、②被用者年金に加入する配偶者の扶養家族として年金保険料が免除される国民年金第3 号被保険者、③年金制度への加入なし、の3通りである(図表1)。①の第1 号被保険者からの移行の場合には、保険料の半分が企業負担となることや年金額が上乗せされることから、移行により本人負担が軽減され、将来受取が増加する。②の第3 号被保険者からの移行の場合には、将来年金額は増加するものの、これまで保険料負担が免除されている分、本人の負担はかなり高まることになる。③の未加入からの移行の場合は、本人負担が生じることになるものの、企業負担分があるため年金額対比負担は軽いこと、また加入期間が10 年を越えればこれまで無かった年金が受給できるようになることから、将来不安の軽減に繋がるだろう。

106万円の壁を超えた女性
(画像=第一生命経済研究所)

 男性については、適用拡大後に国民年金第1 号被保険者の減少幅が3万人程度拡大しており、この人たちは適用拡大により①の経路を通じて国民年金から厚生年金に移ったものとみられる。第3 号被保険者数については、従来より低水準であり、適用拡大前後でも特に変化は見られないことから、②の経路を通じての厚生年金加入はほとんどいないようだ。となると、③の経路を通じて厚生年金に加入したものが5万人程度いたと推測される(図表2)。③に関しては自己負担が生じることになるものの、いずれにしても相対的に軽い負担で将来の年金額が増額することを考えると、総じて男性短時間労働者の将来不安軽減に繋がったと評価できそうだ。

106万円の壁を超えた女性
(画像=第一生命経済研究所)

 次に女性をみると、適用拡大後に国民年金第1 号被保険者の減少幅が11 万人程度拡大しており、この人たちは適用拡大により①の経路を通じて国民年金から厚生年金に移ったものとみられる。第3 号被保険者数については、適用拡大後に減少幅が8万人程度拡大しており、この人たちは②の経路を通じて厚生年金に加入したものと考えられる。となると、女性については③の未加入からの加入はほとんどいないようだ。①の第1 号被保険者からの移行については、男性同様、本人負担軽減、将来年金額増加となり、前向きに評価できる。一方、②の第3 号被保険者からの移行については、これまで保険料負担が免除されている分、本人の負担はかなり高まることになる。こうした負担増を嫌い適用拡大はむしろ女性パート労働者の労働拡大の壁を高めることになるのではないかと懸念していたが、少なくともスタート時点では杞憂に終わったようだ。

 総じて、国民年金第1 号被保険者や未加入者からの加入が全体の7割程度をしめたことを考えると、目的のⅠの社会保険における「格差」是正については進展が見られたと言えよう。次に、社会保険適用拡大の一番のネックであった女性労働者の就労の壁問題である目的のⅡの進展について確認してみたい。

壁を越えた女性短時間労働者の就労拡大

 短時間労働者の新規厚生年金加入者を標準報酬月額別にみると、7割強の人が標準報酬月額12.6 万円以下の層に属している(図表3)。男女別にみると、年収要件のあった国民年金第3 号被保険者からの移行がほぼ無い分、男性の方が平均標準報酬月額は高い。一方、女性についても、新設された8.8 万円(年収106 万円)の層に属する人は1割にも満たず、9.8 万円から11.8 万円の層に6割強の人が属している(図表4)。つまり、第1 号被保険者からの移行組だけでなく、保険料負担が免除されていた第3 号被保険者からの移行組においても、今回の適用拡大を機に就労を拡大した人がそれなりにいるようだ。

 これまでも130 万円の壁を越えた女性労働者の平均報酬月額上昇率は男性を上回って推移しており、一度壁を越えた女性は就労を拡大することで、通常の賃金上昇率以上の所得上昇を実現してきた。今回、106 万円の壁を超えた女性にも同様の動きが既に出始めていると見られる。社会保険適用拡大の二つ目の目的である“社会保険制度における、働かない方が有利になるような仕組みを除去することで、特に女性の就業意欲を促進して、今後の人口減少社会に備える”についても一定の効果が出ているようだ。総じて、短時間労働者への社会保険適用拡大は順調な滑り出しといえよう。

106万円の壁を超えた女性
(画像=第一生命経済研究所)

適用拡大の浸透は人手不足解決の一手として期待大

ここで、4 月から導入された社会保険の任意適用拡大について考えてみたい。社会保険の適用拡大は501人以上の大企業で始まったが、結果を踏まえて3 年以内に(2019 年10 月までに)、中小企業への拡充を検討し、必要な措置を講ずることになっている。それに先駆け、今年4 月からは、500 人以下企業においても雇用主と半数以上の従業員(短時間労働者以外も含む)の合意があれば、短時間労働者に社会保険加入が認められることになった。

 短時間労働者への社会保険適用拡大は企業にとって人件費上昇要因であり、ハードルは高いものの、すでに見てきた通り、106 万円の壁を超えて収入制限が無くなることは貴重な労働力の有効活用につながる。足元でパート比率の高い飲食・宿泊業や小売業、なかでも規模の小さい企業において人手不足が深刻であることを考慮すれば、500 人以下事業所における任意の適用拡大が解決の糸口となる可能性もありそうだ。

106万円の壁を超えた女性
(画像=第一生命経済研究所)

 これまで、人口減少、高齢化が続く中、人手不足を背景にパートの時給が上昇してきた。しかし、長時間働くことが出来る労働力の不足を短時間労働者の採用でしのぐことに限界が来ているようで、昨年ごろからは、大企業では非正規雇用者の正規登用、中小企業では賃上げを通じて、正規雇用者として働くことが出来る労働力を囲い込む動きが見られる。実際に、日銀短観と労働力調査のデータからみると、パート比率が高い業種ほど人手不足感が強く、十分なパートを雇用できなくなったことが企業の人手不足感を強めていると見られる。また、企業規模別に就業時間別労働者数の推移をみると、非正規雇用比率が低下に転じた100~499人企業や500人以上企業では月141~180時間の労働者が増加している(図表5上方)一方で、小規模の企業ほど月1~100時間の短時間労働者しか増えておらず(図表5下方)、このことが一層人手不足感を高めているとみられる。つまり、人手不足をパート労働者雇用による頭数確保で乗り切ることが困難になり、パート比率の高い企業、業種ほど人手不足感が高まっているのである。

 人口減少・高齢化が進む中、従来の採用要件緩和によるパートなどの頭数確保から、労働時間確保へと人手不足対応のステージが変わってきている。働き方改革やワークライフバランスが進められるもと、正規雇用者の労働時間を延ばすことは難しい。残された解は、非正規雇用者の労働時間を延ばすことであり、パートなど非正規労働者の正規登用を通じて正規雇用者並みの労働時間働ける労働力にすることや、所得の壁を撤廃し就労制限をなくすことになるだろう。2018年には、配偶者控除の拡大や契約期間が5年を超えた有期雇用者への対応が迫っている。2019年10月の社会保険適用拡大の中小企業への拡充にむけた議論も進んでくるだろう。パート労働者にとっても、パート比率が高い中小企業にとっても、変化の多い数年となるが、人手不足は待ったなしの状況であり、制度要因や慣習で就労を制限することなく、皆が働けるだけ働ける社会にしていくことが必要だ。中小企業にとってはまだ任意の適用拡大であるが、人手不足への対応として取組が広がることが期待される。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 主任エコノミスト 柵山 順子