(本記事は、正林真之氏の著書『貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ』サンライズパブリッシング、2018年7月25日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
あえて商標で縛らない「家系」という職人つながり
ラーメンほど日本人に愛される国民食はない。
海外からのインバウンド客も、日本のラーメンは観光目的のひとつにさえなっている。
行列の絶えないラーメン店に外国人が並んでいる姿を見ることも少なくなく、実際、外国人向けの観光ガイドにはたくさんのラーメン店が紹介されている。
そんなラーメン業界で、今、一大勢力となっているのが、横浜に店舗を置く「吉村家」を総本山とする「家系ラーメン」だ。
豚骨醤油のスープに太麺と大判のチャーシューと、丼からはみ出すほど大きな海苔、刻みネギやタマネギのトッピング、そしてほうれん草が、黄金色のスープに浮かび上がり、ここまで書いているだけで食べたくなってしまう。
「家系ラーメン」と呼ばれるようになったのは、「吉村家」で働いていたスタッフや、この店の味にインスパイアされたラーメン職人たちが、「吉村家」にならい「○○家」という店舗名で独立開業するようになったことから始まる。
今では、ラーメン界の一大勢力を担う一派と言っても過言ではない。
実際「吉村家」が直系と認めているのは、「吉村家」で修行し、その味や技術で一定基準を満たした「杉田家」、「はじめ家」、「厚木家」、「高松家」、「上越家」等の数店のみだ。
しかし、実際には「家系ラーメン」と名乗っている店舗はもっと多い。
なんの断りもなく、勝手に名乗っている店が増えてきてしまったということだ。
「吉村家」としては、総本山の座を揺るがすようなことをすれば対策も講じるが、ただ単純に「○○家」と名乗っている限りは、「家系ラーメン」のブランドを広げてくれているものとして、干渉しない態度を貫いているようだ。
「吉村家」は「“家系”総本山吉村家」で商標登録をしているが、「横浜家系ラーメン」を含む登録商標は複数存在し、権利者も異なったりしている。
通常、ラーメン店というのは、3?4年の修行期間を経て独立開業するのが一般的だが、この「吉村家」ではその修行に10年を要すると言われている。
一方、関東を中心に多店舗展開する「日高屋」は、手軽な値段設定で学生やサラリーマンにたいへん人気のあるチェーン店だ。
「吉村家」のようなやり方では、数店舗の経営が限界で、売上や利益の天井は見えている。
チェーン展開することで大きくマネタイズしていくことができると考えたのが「日高屋」の創業者だ。
チェーン店といえば、ターゲットはファミリー層で、郊外に大型店舗を出店するというのが外食産業界のひとつのセオリーだった。
しかし、「日高屋」はターゲットを学生やサラリーマンに絞り、駅前や大通り沿いに出店したのである。
株式公開も果たし、今も成長を続けている。
ラーメン職人かラーメンビジネスか
「吉村家」の店主は、明らかに日々ラーメンを作ることに喜びを覚えているタイプである。
そのため、店舗を増やそうとか、もっと儲けてやろうなどといった思考はおそらくあまり持っていない。
それより、毎日目の前にいるお客さんを喜ばせることが生きがいなのだろう。
弟子をとって独立させたり、障害者の福祉施設に寄付をしていたりと、どちらかというと社会貢献に重きを置いている。
そのことで「吉村家」が後世に名を残す老舗になれば本望で、お金はあくまでそれに伴ってついてくるということなのだろう。
「家系ラーメン」が「家系ラーメン」そのままで商標登録されていれば、増え続ける自分とは「他人」である「家系ラーメン」を名乗る店舗に対して権利行使することもできただろうが、それをしなかったために慣用商標化してしまい、誰でも使えるようになってしまっている。
まさに、職人気質を貫き毎日ラーメンを作り続けているのだ。
一方の「日高屋」は、ラーメンも餃子ももちろん美味しいのだが、ラーメン作りに重きを置いているというより、効率的な店舗経営とチェーン化等、企業としての成長に重きを置いている。
株式を上場させた今、株主に対する責任等にも神経を注がなければならないなか、一杯のラーメンに対するこだわりや情熱は「吉村家」の方が勝っているのかもしれない。
職人気質の「吉村家」、根っからのビジネスマンの「日高屋」。
同じラーメンひとつとっても、こんなにも違う志と顔を持つものなのだ。
どちらの店に行きたいか、どちらのラーメンを食べたいかということではなく、どちらも必要であり、そのときの気分や状況で使い分けるのが正解なのだろう。
ちなみに、「日高屋」は株式会社ハイデイ日高屋によって商標登録されていることを申し添えておこう。
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