(本記事は、岡崎大輔氏の著書『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』SBクリエイティブ、2018年9月20日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

これから重要なのは教わることよりも学ぶこと

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?
(画像=Iakov Filimonov/Shutterstock.com)

私がある企業で行った研修の参加者から、内容そのものではなく研修の形式について、以下のようなコメントをいただいたことがあります。

「講師の方が全然『自己主張』をしてこない講義は初めてでした。それでも内容は覚えているし、お顔も覚えています。すべてを受け入れてくれるような感じがありがたかったです」

「何かを『教わる』のではなく『学ぶ』という感覚を、久々に味わうことができました」

「正解は1つでないという前提、多様な意見を受け入れる環境づくりによって『こういわなくてはいけない』といった優等生的な模範解答が求められてしまう研修に留まらなかった」

こうしたコメントの前提には、研修とは「教える側」と「教わる側」が固定されているもの、教える側が用意したコンテンツを教わる側が正確に受け取る場である、という認識があるように思います。

みなさんもご自身が受けられた研修を思い出してみてください。

私たちは日頃、教わることに慣れているのです。

何かを教わることの答えは、基本的に1つです。

一方、参加者がそれぞれの課題意識に基づいて、研修から何を学ぶかは、参加者の数だけ答えがあります。

学びに決まった1つの答えはありません。

すでにお伝えした通り、アート作品にも唯一の正解はありません。

作品が発している問いを受け取り、そこにどんな意味を見出すかは、見る人次第です。

アート作品を鑑賞することは、正解がない問いに主体的に取り組み、自分なりに答えを導き出すという行為でもあります。

アートは、「私たちに何かを教える」のではなく、「私たちが学ぶことを促す」のです。

こうした体験を積み重ねて習慣化することによって、正解がない問いに主体的に取り組む姿勢と意欲が養われていきます。

この姿勢と意欲は、これからの時代を生き抜くために必要な基礎力といえるでしょう。

いま、「考え抜く力」が問われている

もう1つ、今後ますます求められるであろう、重要な力があります。

明確な答えが出ない状態に耐え、考え抜く力です。

「答えは1つ」という前提で教わる経験が習慣化すると、正解・不正解、白・黒、優・劣、是・非といった二元論で物事を捉えてしまいがちです。

ある研修参加者は、アート作品の鑑賞体験から日常の自身の行動も振り返り、次のようなコメントをくださいました。

「いろいろな方の意見を聞き、発言しながら研修を受けることで『間違えてもいいんだ』『人それぞれ違いがあることっていいことなんだ』と、すべての発言を肯定的に捉えられたことが印象的でした。

その中で、いままで自分が正解・不正解を気にしながら発言をしていることに気付きました」

正解がないことを頭では理解していても、自分の考えを無意識に正解・不正解に当てはめてしまう―。

この状態では、否定や間違いを恐れ、自身の考えを率直に発言することにブレーキがかかります。

さらに、他者の考えも自分の物差しで正解・不正解を判断して受け取ってしまう可能性があります。

本来、否定する必要がないものまで、否定してしまう恐れが生じるのです。

研修であればその場に限ったことですが、こうした状態が職場の中で広がれば、正しい・正しくないという議論が生まれやすく、場合によっては賛成派と反対派の考えが平行線を辿たどり、メンバー同士の対立状態に陥りかねません。

正しい・正しくないでは、組織も人も動きません。

物事の判断基準は、人それぞれ異なるからです。

ではどうすればよいのか?

その術も、アートを通して学ぶことができます。

「まわりの方の話を聴いていると、作品の印象が初めとは違うものになりました。1つの作品には違いないのに、すなわち1つの事実として存在しているものは何ら変わっていないのに、解釈が変わる面白さと難しさを感じました。同じ作品を鑑賞しているのに、真逆の感想を抱く人がいたことには驚きました」

この研修参加者のコメントのように、アート作品の鑑賞では、正反対の解釈が出るのは当たり前です。

アート作品には、嬉しそうに見えながら悲しそうにも見える、温かそうに見えながら冷たそうにも見えるなど、相反する要素が同居しています。

また、1つの事実に対して、解釈も複数成り立ちます。

どんな事実を取り出すか、その事実をどう解釈するかによって、物事の捉え方は変化するのです。

そう気付くことができれば、1つの考えに固執することはなくなります。

ただし、物事から複数の可能性を見出すには注意深い観察と、観察によって取り出した事実に基づき、論理的かつ体系的に思考する力が求められます。

こうした思考力が身に付くと、自他問わず考えを正否で結論付けることなく、考えの根拠となっている事実に基づいて、その妥当性を検討できるようになります。

答えが出ない状態にとどまり、思考し続ける知的な体力も養われます。

そうすれば、たとえ考えの違いによってメンバー同士が対立状態に陥ったとしても、互いに共有可能な事実に基づきながら認識を擦り合わせ、「納得解」を導き出せるようになります。

また、1つの方法で仕事に行き詰まったとしても、状況を俯瞰し分析することによって、既存の方法とは別の選択肢を見出すことも可能です。

1つの答えを見つけるのではなく、複数ある答えから選択できるようになるのです。

アート作品を鑑賞することによって身に付く観察力と思考力は、人間関係や組織のチームビルディング、仕事における意思決定にも活用することができるのです。

「アートを学ぶ」ではなく、「アートで学ぶ」

アートを通してセルフエデュケーション力が向上すると、自身の学びはもちろん、「他者の学びをどう促進するか?」「どうすれば学び合いの関係が生み出せるか?」という思考も働きます。

まさに企業が求めている、個人だけではなく、組織全体のパフォーマンス向上への貢献です。

しかし、求められているから行うわけではありません。

ひとりではなく他者とともに行うほうが、自分も他者も得られるものが増える、相乗効果が生まれると実感しているからです。

「経営者の言葉、会議での発言、業績データ、そうした様々なものについて、それをどう見て、どのように考えるかということで、次のアクションや展開が大きく変わってきます。顧客をアート作品に喩えるならば、我々は顧客をどう見て、その背景をどう考え、どのように接していくべきなのか、あらためて議論を深めたい」

「1枚の絵や作品からあれほど多くの異なる見方や考えを引き出すことができるということ、そして、それを人に伝えることの難しさを研修で体感できました。そして、それを自分の現在の仕事に置き換えたときに、自分の考えているビジョンや事業計画の青写真をメンバーにきちんと伝えられているかと思い返し、伝えたつもりになって、本当に伝わっているかどうかを確認することを怠り、自分ひとりの固定観念や知識で浅いビジョンや企画になっていないか、今一度考えなおす必要を感じました」

あらゆる物事に対峙する際、自分ひとりの目では必ず盲点が生じます。

他者の目を借り、複数の目線から物事を捉えることによって、より多くの発見がもたらされます。

発見とは英語でdiscover、つまり「覆いを外す」ということです。

自分の目にかかった「思い込み」というフィルターを外してくれるのは、他者の存在です。

それはお互い様。

自分の覆いを外してくれるのと同様、自分自身も相手の覆いを外す他者として存在しています。

そのことを理解していれば、自分と他者が違うことを恐れることなく、むしろ違いを歓迎し、互いの発想や可能性を広げる、建設的なコミュニケーションを取ることができます。

そのコミュニケーションの結果として、学び合いの関係や質の高いアウトプットが生み出され、組織全体のパフォーマンスが向上するのです。

アートで生きる力を育む

アートの語源はラテン語で「ars(アルス)=生きる術」です。

アートを通して得られるものは、究極的にいうと生きる力、仕事に活かせるだけではなく、日常や人生にも影響を与える学びです。

「物をいわないアート作品が、それを見る人に物をいわせ、その人たちに多様性を認め合わせ、コミュニケーションを深めさせ、仕事や生活によい影響を与えていくツールになること、まさに生きること。アートがその役割を担っていること、とても不思議で素敵なことと思いました」

「目の前にあるアート作品に向き合うことで、日頃の関係性や仕事とは異なる世界ができる。その世界では上下もなければ正解不正解もない。一人ひとりが本来の個性や違いを、アート作品の感想を語る言葉の中でためらうことなく表現することができる。そして、それは皆に受け入れられる。 また、仲間の言葉を受け入れることで、自分の見え方が変わる。日頃、色々な制約(役割、時間、環境、プライド……)の中で小さくなっている自分の思考が解放される感覚を覚えました」

「『見えているようで見えていない』ことを意識するだけで、いままで自分が見ていた職場の景色が変わりました。研修の期間、参加したみなさんと心を開き、意見を交換することは本当に心地よく、ひとりよりも仲間で議論することでの発想の広がりが、何よりも楽しく、豊かな時間でした」

フラットな関係性、安心・安全な場、鮮明に記憶に残る不思議でインパクトのある体験、多様性の受容とそのことによってもたらされる発見、自己理解と他者理解、他者とともに発想を広げる豊かな時間……。

これらはすべて、アート作品の鑑賞によってもたらされた“コト”です。

ただ、これらを生み出したのは、アート作品を前にした人同士のコミュニケーションです。

つまり、私たちはコミュニケーションによって、「よりよく生きる術」を学ぶことができるのです。

私はアートで学ぶこと、他者とともに学ぶことの面白さを、より多くの方々に実感してほしいと願い、活動しています。

仕事や人生をより豊かなものにする“コト”を体験していただけると信じているからです。

しかし、みなさんは「それって本当かな?」と疑問に感じていらっしゃるのではないでしょうか?

沸いたその「問い」の答えを、ぜひアート作品を鑑賞することによって、導き出してみてください。

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?
岡崎大輔(おかざき・だいすけ)
京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター専任講師 副所長。阪急阪神ホールディングスグループの人事部門にて、グループ従業員の採用・人材育成担当を経た後、同センターに着任。対話を介した鑑賞教育プログラム「ACOP/エイコップ(Art Communication Project)」を、企業内人材育成・組織開発に応用する取り組みを行っている。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます