(本記事は、岡崎大輔氏の著書『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』SBクリエイティブ、2018年9月20日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

ニューヨーク近代美術館で開発された美術鑑賞メソッド

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?
(画像=Mandrig/Shutterstock.com)

いま、世界のエリートが実践している美術鑑賞法の1つとして、ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ(Visual Thinking Strategies 以降、VTS)が挙げられます。

VTSとは、米国のMoMAで1983年から1993年まで教育部部長を務めていたフィリップ・ヤノウィンが中心となって開発された美術鑑賞法です。

開発当初は、ヴィジュアル・シンキング・カリキュラム(VTC Visual Thinking Curriculum)と呼ばれていました。

ヤノウィンは、MoMAを退職後、1995年に「ヴィジュアル・アンダースタンディング・イン・エデュケーション(VUE Visual Understanding in Education)」という団体を設立し、以降はVTSという名称で、この鑑賞法のさらなる研究と普及を行っています。

VTSの大きな特徴は、鑑賞中に、作品名や作者名、解説文という、いわゆるキャプションに載っている情報を用いないことです。

そして、1つの作品あたりおおむね10分以上、純粋に作品を見ることだけに費やします。

VTSを考案したヤノウィンは、作品の情報を用いない理由について、『学力をのばす美術鑑賞』(淡交社)の中で次のように述べています。

「アート作品は文字に頼らない視覚的なもので、親しみやすい部分と謎めいた部分をあわせ持っている。

また、解釈が開かれており、幅広い層に訴えかけるテーマを扱っている。

さらに、多様かつ複雑で、概念と感情の両方を喚起するという特性を持っている」

「解釈が開かれている」とは、捉え方は1つではなく、複数あるという意味です。

要は、「あなたなりの見方をしてみよう」ということです。

このようなアート作品の特性を活かして、VTSでは、

「誰によって制作されたのか?」
「いつ制作されたのか?」
「何のために制作されたのか?」

といった、「作品の背景」を問わないことで、鑑賞の自由度をより上げようというのが狙いです。

VTSが大切にしているのは、「作品そのものへの理解」だけではなく、作品を見て自分が何を感じ、何を考えるか、なのです。

VTSを実践することで、美術への造詣を深められるだけでなく、複合的な能力を伸ばす効果もあることが、米国の教育現場で実証されています。

複合的な能力とは、具体的にいえば、観察力、批判的思考力、言語能力などです。

これらは、ビジネスシーンだけでなく、人生全般において役立つ能力といってもよいでしょう。

つまり、メソッドを実践することで、美術鑑賞そのものをより愉しむことができるようになるだけでなく、人生が大きく変わる可能性もあるということなのです。

現在、VTSはヨーロッパやアメリカはもちろん、東欧各国、中東、および南米を含む世界各国の教育現場で採用されています。

とくにアメリカでは、約300の学校および約100の美術・博物館で導入されています。

ヤノウィンはVTSを小学校の美術の授業に用い、年に10回行うだけで、子どもたちの様々な力を伸ばせることを証明しています。

ほかにも、医学生の臨床力向上を目的としたハーバード大学医学部との共同プロジェクトを展開するなど、VTSがもたらす教育効果は様々な分野で広く認められています。

いまでは、幼稚園から小学校6年生までの授業のカリキュラムを開発し、VTSを実践する4000人以上の教師たちとの関わりを通して、VTSは算数、理科、社会といった他教科に応用されるまでになっているのです。

「アート」と「アート作品」は違う

みなさんは「アート」という言葉に、どのようなイメージを持っているでしょうか?

私が行っている対話型鑑賞のコンセプトをより正確に理解していただくために、まずは、「アート」という言葉から説明をしたいと思います。

私が行う研修では、アーティストが制作した実際の作品のことを「アート作品」と呼び、「アート」という言葉と区別しています。

それぞれの言葉の定義は、次の通りです。

アート作品
アーティストが制作した作品。 基本的に、モノ。

アート
「アート作品」と「鑑賞者」の間に起こる不思議な“コミュニケーション”。モノではなく、コト。

アート作品を見たとき、自分自身の中に沸き上がる感情や考え、疑問は、見る人によって、それぞれ異なります。

同じアート作品を見たとしても、好きだと思う人もいれば、苦手だなと思う人もいます。

「この作品の意味することは何だろう?」と考える人もいれば、「なんだかよくわからない」と考える人、あるいは、作品を見ることによってインスピレーションを受ける人もいるでしょう。

「アート」には、「こう感じなければならない」「こう考えなければならない」という“正解”はないということです。

「知識」に頼らずアート作品を見る

「作者の制作意図を理解しようと努めることが美術鑑賞である」という考え方もあります。

対話型鑑賞においては、作者の制作意図を知ることは必ずしも前提になりません。

どちらが正解ということではなく、あくまで、アート作品に対するアプローチの仕方が違うということです。

たとえば、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の代表作『冨嶽三十六景』に「神奈川沖浪裏」という作品があります。

激しく高く逆巻く大波と、その波に翻弄される3艘の小船、そして、はるか彼方に名峰・富士山が悠然とそびえているという構図は、日本のみならず、海外でも高い評価を得ています。

まさに、北斎の代表作といえる作品です。

この北斎の「神奈川沖浪裏」について、2011年3月の東日本大震災後、作品から受ける印象が大きく変わったという人が増えたようです。

以前は「神奈川沖浪裏」を見ても何も思わなかったのに、東日本大震災を経験したことによって、作品に描かれている激しい波を震災時の津波に重ね、様々な感情が喚起されるようになった、というのです。

当然、北斎は、東日本大震災を前提に「神奈川沖浪裏」を描いたわけではなく、作者の「制作意図」は昔もいまも変わっていません。

変化したのは、鑑賞する側の物事の見方や価値観です。

つまり、東日本大震災を経験したことによって、「神奈川沖浪裏」と鑑賞者の間に起こるコミュニケーションに変化が起こったのです。

ほかにも、たとえば、『ひまわり』『糸杉』『タンギー爺さん』『星月夜』など、数多くの有名な作品を残しているゴッホは、死後に高い評価を受けています。

しかし、ゴッホの作品自体は、ゴッホの生前と死後で何も変わっていません。

ゴッホが評価されなかったのは、ゴッホと同時代に生きた人たちにゴッホの作品の価値を見抜く審美眼がなかったからではないかと考えることもできます。

ですが、ゴッホが生きていた頃と死後で、人々の価値観や考え方に何かしらの変化が起こり、鑑賞者がゴッホの作品から受け取るものが変わったともいえるでしょう。

作品を制作したのは、アーティストです。

しかし、作品に価値を見出すのは鑑賞者、作品を生かすも殺すも、鑑賞者次第なのです。

もちろん、作者や作品にまつわる情報が鑑賞を深める助けになることはありますが、対話型鑑賞では、まずは「アート作品そのもの」にスポットを当てて鑑賞しよう、と提唱しているのです。

対話型鑑賞を通して身に付く力

次に、対話型鑑賞によって伸ばすことができる力について説明します。

アート作品には、私たちにとって馴染みのある題材が描かれています。

基本的に誰でもそれを認識することができる。つまり、見る人すべてにオープンなものです。

アート作品には平易と不可解の両方を感じさせる要素が含まれています。

そのことによって、見る人の興味をそそり、様々な「問い」を沸き上がらせます。

つまり、アート作品は私たちに「答え」ではなく、「問い」を投げかけているのです。

アート作品の分類の仕方は様々ですが、分類方法の1つとして、次のようなものがあります。

1.「現状肯定派」
鑑賞する人にYESorNOで答えられる「問い」を投げかけている

2.「現状否定派(現状疑問派)」
答えのない「問い」を投げかけている

1の「現状肯定派」のアート作品としては、たとえば銭湯の壁に描かれている富士山の絵が挙げられます。

このようなアート作品から投げかけられるのは、基本的に「素晴らしい富士山」に賛同するか否か、という「問い」です。

一方、2の「現状否定派(現状疑問派)」の作品が投げかけてくる「問い」に唯一の答えはありません。

こうした作品を見ることで、「正解のない問題に取り組む力」を磨くことができるのです。

さらに、作品から自ら問いを立てる力と自分なりの答えを導き出す力、つまり、「問題発見能力」と「問題解決能力」も伸ばすことができます。

アート作品は、比喩の宝庫です。

何かの象徴や主張であり、ときには概念を意味することもあります。

奥深い意味を読み解くには、「論理的かつ体系的な思考力」を駆使することが求められます。

「温かそうでありながら冷たそう」にも見えたり、「雑に扱われているようでありながら愛着を持っているよう」にも見えたり、アート作品は正反対の意見があって当たり前です。

アート作品の前で、私たち鑑賞者の関係性はフラットなのです。

そこから「多様性の受容」、つまり、「他者とともに生きていくための基礎」を学ぶこともできます。

さらに、アート作品はときとして、見る人を映す“鏡”になります。

たとえば、「この作品いいな」と思ったとします。

より正確な言い方をすれば「この作品をいいと思う、私がいる」ということです。

私たちが「アート作品を見ている」ときに見ているものは、「自分自身の価値観」でもあるのです。

そのことから、「自己理解と他者理解」が進みます。

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?
岡崎大輔(おかざき・だいすけ)
京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター専任講師 副所長。阪急阪神ホールディングスグループの人事部門にて、グループ従業員の採用・人材育成担当を経た後、同センターに着任。対話を介した鑑賞教育プログラム「ACOP/エイコップ(Art Communication Project)」を、企業内人材育成・組織開発に応用する取り組みを行っている。

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