次の勤め先を決めずに、45歳で伊藤忠を辞めた理由
ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人やカルビーのトップを務め、業績を大きく向上させた松本晃氏は、日本を代表するプロ経営者の一人だ。現在はRIZAPグループで構造改革担当の取締役を務めている。伊藤忠商事の一社員だった松本氏は、どのようにしてキャリアを築いてきたのだろうか。
伊藤忠商事に入社して2~3年目には、45歳で辞めようと決めていました。伊藤忠商事の社長にはなれないと気がついたからです。
社長になれば、自分の思い通りのことができるのですから、これほど面白いことはありません。だから、規模は大きくなくてもいいので、どこかの会社の社長になりたい。社長として招聘してもらうためには実績が必要ですから、それを45歳までに作ってから辞めよう、と考えたのです。
そして、実際に、45歳の誕生日を迎えてから2週間後に退社しました。もとから決めていたこととはいえ、長年勤めた会社を辞めるのは、やっぱり勇気がいりました。
そのとき、私は次の勤め先を決めないまま辞めました。それは、私が持っていた仮説を検証したかったからです。
その仮説とは、人の実績を社内の人は見ていないし評価もしないが、社外の人はちゃんと見ていて評価している、というものです。
結果、23社もの会社からオファーをいただくことができました。ですから、私の仮説は正しかったわけです。
私のどこを評価してくれたのか、具体的に聞いたことはありませんが、6年間出向していたセンチュリーメディカルを再建させたことでしょう。
やったことは簡単です。利益が出ない事業を畳んで、利益が出る事業に集中するだけ。そして、売上げを伸ばし、コストを抑えれば、利益が大きくなる。ごく当たり前のことです。
私は、ビジネスの理屈を難しく考えたことはありません。問題は実行できるかどうかで、実行するためにも、理屈は簡単でなければならないのです。
もちろん、投資も必要です。何に投資するかといえば、設備などではなく、人。要するに、会社に利益をもたらしてくれる人の給料を高くするのです。そうすれば、ますます会社のために働いてくれて、会社の利益が大きくなります。
私がジョンソン・エンド・ジョンソンの社長になってからしばらくは、私よりも給料の高い社員が何人もいましたよ。野球のスター選手の年俸が監督よりも高いのと同じで、当然のことだと思います。
ジョンソン・エンド・ジョンソンやカルビーの社員で、「松本さんの時代は良かった」と言ってくれる人がいますが、それは給料を高くしたから。給料を高くすれば、社員はモチベーションを上げてくれるし、消費する金額も増えてデフレ脱却へと向かうのに、日本企業はなかなか給料を上げませんね。
今、40代の読者の皆さんには、私のように、次の勤め先を決めずに退社することは必ずしもお勧めしません。転職を考える前に、世の中がどう変わっているのかを、もっと勉強していただきたい。
そのために最も効率が良い方法は、本や雑誌を読むことです。それで得たことをもとに自分で考え、行動し、失敗したら失敗から学ぶ。それを繰り返すことで、大きな実績を出せるようになると思います。
松本 晃(まつもと・あきら)RIZAPグル―プ〔株〕取締役 構造改革担当
1947年、京都府生まれ。72年、京都大学大学院農学研究科修士課程を修了後、伊藤忠商事〔株〕に入社。86年、センチュリーメディカル〔株〕へ取締役営業本部長として出向。93年、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル〔株〕(現・ジョンソン。エンド・ジョンソン〔株〕)代表取締役プレジデント。99年、同社代表取締役社長。2009年、カルビー〔株〕代表取締役会長兼CEO。18年、RIZAPグループ〔株〕代表取締役。19年、同社取締役。(『THE21オンライン』2019年2月号より)
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