2019年4月1日、注目の新元号が「令和(れいわ)」に決まりました。出典となった万葉集が飛ぶように売れたり、次から次に令和アイテムが発売されたりするなど、巷は改元の話題で持ちきりです。身近な存在の元号ですが、決まるまでの流れやその歴史は意外に知る機会がありません。今回の改元をきっかけに、元号の基本を学びましょう。

新元号「令和」はどのように決められた?

新元号
(画像=PIXTA)

今回は天皇の崩御に伴うものではなく、初の退位による改元だったため、あらかじめ改元の時期を検討することができました。その結果、国民生活に影響の少ない5月1日が選ばれることになったのです。では、元号は誰が決めるのでしょうか。政府は元号の選定手続きを以下のように定めています。

(1) 総理大臣によって選ばれた考案者が、元号の候補を出典とともに提出する。
(2) 官房長官が、その中から数個の原案を選出する。
(3) 各界の有識者で構成する「元号に関する懇談会」および衆参両院の正副議長の意見を聞いた上で、全閣僚会議で協議する。
(4) 閣議で新元号に改める政令を決定する。

このような手順を踏んで新元号が決定したわけですが、元号をアルファベットで略記する場合を考えると、明治(M)、大正(T)、昭和(S)、平成(H)と被る漢字は避けなければならなかったため、その点も考慮して令和(R)が選ばれたと思われます。

天皇一代に一つの元号になったのは意外に最近のこと

私たちが当たり前に使っている元号ですが、そもそもいつ始まったものなのでしょうか。

日本で最初に採用された元号は、西暦645年に孝徳天皇が定めた「大化」と言われています。以来、1300年余り経過した「平成」まで、247の元号が使われてきました。247の元号で使われた文字数は504文字(4文字の元号が5回あり)ですが、漢字の数としては72文字しか使われていません。これは「良い意味を持ち、読みやすく、書きやすい」字が使われるからです。

かつては天皇の代替わりに限定せず、自然災害などがあった際にも改元され、天皇一代の間に複数の元号が使われたこともあります。明治時代にこの慣習が改められ、天皇一代に一つの元号とする「一世一元制」が採用されました。明治42年に発令された登極令で、皇位継承後直ちに元号を改めることが定められ、近年の改元の形が定着しました。

新元号「令和」がビジネスに与える影響は?

以上が元号の基本ですが、今回の改元がビジネスに与える影響はどのようなものでしょうか。分かりやすいところでいえば、「平成」と表記された文書を「令和」に修正する作業が発生します。システムやアプリへの影響も気になるところです。

マイクロソフトでは、この改元を最重要課題として捉え、4月1日以降エンジニアリングチームがプログラムの更新を段階的に行っています。ただし、更新が完了するまでに数ヵ月かかるため、その間はマイクロソフトが提供するWindows、Officeなどソフトごとの「新元号対応に関する情報」を参照しながら対応することになります。

かつて、「2000年問題」と呼ばれる1999年から2000年へ変わる時に、ソフトウェアやシステムの日付の変換処理が心配されました。下2ケタで記録される、年を表すデータ「00」をコンピュータが1900年と誤認する恐れがあるというものです。実際は、ごく軽微な影響はあったものの、社会的な混乱は見られませんでした。

今回も心配するほどの混乱はないかもしれませんが、私たちが自分でできる対策として、「平成」と表記していた社内文書などを西暦に変更するなどはしておいたほうがいいでしょう。

時代とともに歩む元号 平成も懐かしい日々に

IT時代の今、年の表記は西暦に統一してほしいという声もありますが、日本固有の文化である元号は、時代をイメージさせる象徴とも言えます。「昭和」と聞いて独特のレトロ感があるのも、元号の効果でしょう。「令和」が定着すれば、「平成」もやがて懐かしい時代になるのかもしれません。(提供:Wealth Lounge


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