はじめに
3月30日東欧スロヴァキアで大統領選挙が実施され初の女性大統領としてズザナ・チャプトバ女史が当選確実と報道された。これまでチェコ・スロヴァキア時代から男性が努めてきたのが同国の大統領職である。ズザナ新大統領は反汚職を訴える弁護士で今回の大統領選挙でも「悪に立ち向かう」をスローガンに選挙戦を戦い当選確実までこぎつけた。なぜ彼女が支持されるに至った理由は、{これまでのスロヴァキア政界の汚職と不透明性が非難されていたゆえである}(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43156510R30C19A3I00000/)。
去る2013年にはスロヴァキア政界関係者とイタリアのマフィアが薬物取引で癒着しているという疑惑について現地の警察当局が調査をする事態にまで発展していた。その1年前の2012年にはスロヴァキア政界の汚職疑惑を追及していたジャーナリストが殺害される事件も発生していたため、反政府活動家による街頭デモにまで発展し、そこにズザナ=チャプトバ新大統領も参加していた。そのような過去を経て今回の大統領選挙ではズザナ新大統領が訴える人道主義や真実を追求する姿勢が野党の支持を獲得することに繋がった。
ズザナ新大統領は前政権の汚職の一因でもあった警察・検察の政治的影響力を取り除くべく改革に着手すると共に福祉政策・環境保護政策にも力を入れることを掲げている。いわゆるリベラル派とされている同女史の当選はポピュリズムの台頭・右傾化が懸念されているヨーロッパにおいて一矢報いた形になっている。さらには初の“女性”大統領という点でも女性の社会進出やLGBTへの寛容な姿勢を訴えるリベラル派にとっては追い風になるだろう。
他方で今回の大統領選挙の結果はヨーロッパの現状を変えるにはインパクトに欠けるのではという指摘もされていることは重要だ。なぜならば未だ東欧各国では強権的な与党が影響力を保持しており、ドイツやイタリアでもポピュリズムが台頭しているのが現状であるからだ。最近ではオランダの州議会選挙において極右ポピュリストと評されるティエリー・ボーデ党首率いるEU懐疑派政党「民主主義フォーラム」が躍進するなどEUがこれからどうなってゆくのか不透明な状況が続いている。
しかしながら本当に今回の出来事は一過性なものに過ぎないのだろうか。実は今回のズザナ新大統領の当選が“スロヴァキア”での出来事であるという点にもっと大きな意味が込められているのではないかというのが卑見である。それはプラハの春、そしてその後の東欧革命に繋がる一連の変革の発端がスロヴァキアにあったこと、そして今回の大統領選挙も当時の情勢と既視感を感じるからだ。果たしてこれからEUを待ち受ける未来とは何なのか。 なぜ東欧がEUを揺るがすのか
振り返って考えてみればヨーロッパにおける大きな変革の拠点はいつも東欧にあったのではないかと考えられる。それには東欧という地域が中央ヨーロッパと中東や中央アジアの中間点に位置するという地政学的な要因もある。もちろんロシアとの関係でも東欧全体が重要な意味を持ってきたことに加え、経済的な面でも交通の要衝として存在感を示し続けてきたのが東欧である。
歴史的な出来事を見返してみると例えば東欧ポーランドはドイツとロシアの中間地点に位置することから戦略的重要地域として幾度となく侵略され、国境線が変わってきた経緯がある。第2次世界大戦もドイツがポーランドへ侵攻したことから本格的な戦闘が始まった。ポーランドだけでなく、ウクライナやリトアニアといった国々に加え、バルト三国も歴史上その時々の情勢如何で連携・分離を繰り返してきた。その影響は決して同地域だけにとどまるものではない。実はヨーロッパ諸国をはじめとした当時の列強諸国が大きな影響を及ぼしてきたのだ。東欧地域を巡っては当時の列強による分割に関する密約が存在したことなどから国際情勢の同国を考えるためにはまずを東欧を知る必要がある。
1956年のスターリン批判が与えた衝撃はスロヴァキアにも波及し当時の共産党体制を揺るがした。そこからスロヴァキアの国内でも民主化を求める動きが加速した。当然当時の共産党体制からの押さえつけがあったもののアントニーン・ノヴォトニー党第一書記兼大統領の辞任以後共産党体制の動揺はさらに加速することとなった。
改革へと向かおうとする流れに対しついには武力介入も検討され、ワルシャワ条約機構軍によるスロヴァキアへの侵攻が実施された(チェコ事件)。表向きはスロヴァキア共産党体制からの要請によるソ連を中心としたワルシャワ機構軍の介入であったが、ふたを開けてみればスロヴァキア側から介入への非難がなされたことで共産党体制の後退が隠し切れなくなってきていた。
この事件に対して米国などが国連安保理を招集するなど国際的な風当たりも強まっていった。この時点では大きな変化は起こらなかったもののこの「プラハの春」は後のポーランドでの「連帯」や東欧革命へ続く重要な出来事であったことは明らかである。中央ヨーロッパに関して言えば当時の東西ドイツの統一へ続き、スロヴァキア国内での民主化運動を鼓舞することとなる。このようにして東欧における転換は中央ヨーロッパへと波及し、それが最終的には広く国際情勢を動かすことになったのである。
初の女性大統領当選が意味することとは
そこで今回のスロヴァキアの大統領選挙でズザナ・チャプトバ氏が初の女性大統領に就任することはどういった意味合いを持つのだろうか?人道主義や不正との闘いを標榜するリベラル派である同氏が大統領に就任することでEU全体を覆っていたポピュリズムの波を止めることになるとすれば非常に大きな出来事である。事実、近年EU各国で席巻してきた右派勢力の勢いに陰りが出てきていることが昨年10月のポーランドのワルシャワ市長選挙での親EU派候補の勝利で明らかになっている。ポーランドも未だポピュリズム的な強権政治が続いているともいわれている一方で徐々にではあるが再び東欧で変化の兆しが見え始めている。
ズザナ・チャプトバ新大統領の当選は女性の社会的地位の向上を意味するだけでなく、EUの今後を示している出来事なのではないかというのが卑見である。ポピュリズムの台頭やブレクジットによって分裂へと進むEUにおいてその先にあるのは人道主義・真実・不正との闘いを中心的価値観に置く勢力の台頭の可能性は十分に考えられる。あえて一度分解し再び組み直す過程を経ることによってたどり着くのがEU2.0という新秩序であり、今回の大統領選挙はそこへ向けた1ステップとは考えられないだろうか。ヨーロッパ全体において右派勢力が伸長する中で東欧で逆向きの流れが現出しつつあるという事実はヨーロッパが再び転換点に差し掛かっていることを示している。
おわりに ~EUはどこへ向かうのか、EU新秩序という可能性~
以上ここまで述べさせて頂いたように“全てはそこから始まった”といえるのがこれまでのヨーロッパにおける東欧の役割なのである。大戦争の始まりもそうであったし民主化運動の第一歩も東欧からスタートしてきた。普段であれば我々日本人が東欧諸国に注目することはなかなかないだろう。しかしながらいざという時にいつも中心になるのはそこなのである。
そしてその点を踏まえた上でEUはこれからどこ向かっていくのか考えてみたい。EUは右派勢力の台頭を受け分裂の可能性を日々高めつつある。さらにはブレクジットによって英国によるEU離脱が最終的に実現されれば大きな混乱をもたらすことは明らかだろう。そうして一度激しい下げの圧力が強まることでEUは落ちるところまで落ちることになるだろう。しかしそこであるキッカケで浮上の足掛かりを掴むことができるならば一気に国際社会の中心に再び躍り出ることが出来るのである。
まさにちょうど日本がいよいよデフォルトを迎えつつある状況とも共通点がある。日本においてもデフォルトによってまずは大きく堕ちることが想定されているものの、その窮地で全く新しい方向性を示すことが出来るのならばやはり世界をリードする“中心”になりうるのである。
EUにおいても同様のことが考えることが出来る。EU瓦解によってヨーロッパの平和はついに完全な終焉を迎えることになるのか。それとも東欧諸国で見えつつある新しい価値観をもってしてEUの新しい秩序を創り出すことができるのか。日本かEUか、どちらがこれからの世界秩序をリードすることになるのかを引き続き注視すると共に、EUであればその先進的な動きをみせる東欧諸国の動向に注目いくべき情勢である。
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
岡田慎太郎(おかだ・しんたろう)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2015年東洋大学法学部企業法学科卒業。一般企業に勤務した後2017年から在ポーランド・ヴロツワフ経済大学留学。2018年6月より株式会社原田武夫国際戦略情報研究所セクレタリー&パブリックリレーションズ・ユニット所属。2019年4月より現職。