はじめに ~ハンガリーにおけるアカデミズム支配~
去る4日、同国のアカデミズムの最高峰であるハンガリー科学アカデミーの研究機関を政府傘下に置くことをハンガリー政府が決定した。具体的には同アカデミーの研究に関わるネットワークや、施設を含めた資産を政府の管理権限の下へと委譲するというものだ。ハンガリー政府によれば、今次措置は「より有益(lucrative)かつイノベーティブな研究プロジェクトを推進するため」であるとしている。
しかし今次措置が政府による最高学府の統制とあって、明らかなアカデミズム支配であるとして国民の反発が拡大しつつある。極端な話では情報統制や、表現の自由の規制にもつながり得るだけでなく、同アカデミーが政府にとって都合の良いことのみ研究発表するような機関になる可能性もある。後者は昨今問題になっているフェイク・ニュース問題とも関連する重大事態であるにも拘わらず、あまり大きく取り上げられていないのが現状だ。
先月(5月)には欧州議会選挙が実施された結果、各国で欧州連合(EU)懐疑派の存在感が増した。特に東欧諸国を中心にBREXIT に倣ってEU離脱を訴える勢力が現れつつあり、これまでの欧州的なリベラル主義を懐疑的にみる動きが伸びつつあることは間違いない。その最中にハンガリーがアカデミズムを統制する動きに出たことは明らかにこの展開を助長するものに他ならない。
本稿では(1)今次動向がハンガリー国内で如何なる影響を及ぼすのか検討しつつ、(2)アカデミズムの支配という事実が歴史的な観点から如何なる展開可能性を示唆するものなのか例を挙げつつ検討した上で、(3)最後にこれから生じる可能性としての「ユーロ崩壊」とその後の欧州を取り巻く展開可能性について検討する。特に現実問題として既に生じている事例も取り上げつつ卑見を述べることとしたい。
アカデミズム対政府の行方、歴史的見地からの検証
ハンガリー科学アカデミーが政府の傘下に入ったことの意味を具体的に検証するべく、まずは同アカデミーの概要を簡単に参照する必要がある。1825年にセーチェニー・イシュトバーン伯爵(当時)が国会の地区セッションであるLearned Societyへ資金提供したのが同アカデミーの起源である。元々は同国における科学研究とその伝播を推進するハンガリー語による科学用語開発機関として設立された。すなわち同アカデミーの設立がハンガリーのアカデミズムの躍進と母国語による高等教育を実現したとあって、国家への貢献度が非常に高い。ハンガリーの最高学府として150年以上存在し続け、オーストリア・ハンガリー帝国時代には時の支配者であるハプスブルク家出身者が学長を務めた。このように聞くとハンガリーの学術機関が国家機関の一部であったかのように見える。しかし、元来欧州、特にドイツ語圏では学問の自由が強く保障されてきたことに留意しなければならない。事実、現在欧州連合(EU)で高等教育機関のネットワークを整備するプロセスとしてボローニャ・プロセスがあるが、これにハンガリーは1999年の創設から参画してきたのだ。したがって国家と学術機関が安直に並走している考えるのは早計である。
だからこそハンガリーの高等教育をリードしてきた同アカデミーを政府がその傘下に置くことは、欧州として全体が標榜してきたリベラリズムを毀損する動きであることを留意すべきなのである。この出来事が欧州において流れつつある閉鎖的な状況をさらに悪化させる可能性があるというわけだ。果たして今次動向がハンガリー及び欧州全体に対して如何なる影響が起こり得るのか。歴史的な観点から、分析を試みたい。
まず第1の事例として我が国を取り上げたい。昨今我が国の首相を取り巻く事件としてモリカケ問題など生じているが、過去にはより直接的な政府によるアカデミズムへの介入があった。特に同問題が戦間期に集中して生じていることが注目に値する。
大日本帝国憲法(当時)下にあった我が国では(1)非合法的左翼勢力(日本共産党・共産主義者)およびその関連団体(大衆運動組織)、(2)合法的左翼勢力(すなわち一部の急進的社会民主主義者)および自由主義的知識人、そして(3)体制内の非主流派・批判的グループなどへの弾圧・粛清が行われてきた経緯がある。また一部の宗教団体への弾圧も当時として続いていた。たとえば1900年に治安警察法が制定され、天皇機関説を唱えた東京帝国大学(当時)の美濃部達吉名誉教授が攻撃されたのもこの時期である。あるいは第1次世界大戦から第2次大戦までの戦間期において司法大臣を務める平沼騏一郎が日本大学(当時)の総長を務めた)事実があることを指摘しておきたい。
当時の我が国を取り巻く国際関係とその後の展開については自明であるので割愛するが、結論としてこの場で強調したいことは、「ある国家の趨勢を占う様な事態が生じた場合、将来を担う若者の教育こそが最も重要な統治の要素であり、国家として大学統制を強めるということは何か表向きとは別の意図があってなされる動向である可能性を考慮すべきである」という点だ。
また現代では国家による間接的な大学支配が事実上生じていることも考慮すべきである。我が国では多くの大学が授業料収入だけでなく文部科学省から支給される国家補助金を受けつつ大学運営を行っている。間接的にせよ大学側が国家の方針に対して一定程度の忖度をするような環境に我が国の高等教育があることを留意すべきである。
他方で過去のハンガリーと同じ「共産主義」として知られる中国も参照すべきだ。特に中国のアカデミズムが習近平国家主席率いる中国共産党政権に対して批判的な言論を展開する際に取締りを受ける可能性がある。たとえば同国の名門大学である清華大学法学院の許章潤教授が習近平政権に対する批判的な文章をインターネット上に上げたことについて、事実上の公職追放に至る可能性まで“喧伝”されている。当然ながら同国アカデミズムへの国際的信用にかかわる事態であり、当該問題を巡っては議論が沸き起こっている。
無論、「共産主義」という共通点だけでは、現在はそうではないハンガリーにおいて同様の事態が直ちに生じる蓋然性は低い。しかしアカデミズム支配が国家的な方針で行われているという点を踏まえれば、何かの意図を実現するための布石の可能性がある。果たしてハンガリーにおける今次動向が欧州の展開に対していかなる影響を持ちうるのか。
おわりに ~進む欧州のブロック化~
ハンガリーのアカデミズム支配が進む意図が何かを検討したい。アカデミズム支配が同国とそれを取り巻く外部環境の激変を示唆していると仮定した場合、まずあり得るのは欧州のブロック化現象である。BREXIT によって英国のEU離脱がほぼ確定しつつある中で、ハンガリーもまた欧州分裂の動きを助長する動きに出ている。必ずしも国民の支持を十分に受けているとは言えない反EUの動きを推し進める上で、アカデミズム支配は中長期的な目線で大きな意味を持つことを考慮すべきだ。欧州統合の象徴としてのEUが終焉を迎え、地域的なブロック化が進む可能性がある。BREXIT 及び先の欧州議会選挙での右派の台頭はその兆候として見るべきだということである。
他方でハンガリーがユーロ未使用国であることも重要である。同国の中央銀行は「ユーロ導入の前にそのプロセスと、ハンガリー経済に与える影響をよく研究する必要がある」としてユーロ導入を見送り続けてきた経緯がある。加盟国がEU離脱を検討する際に最も重要な要素といていかに混乱をもたらすことなく貨幣の移行を実行するかがカギになる。その点では、仮にハンガリーがEU離脱を前提に常に動いているとすれば、ユーロ導入を見送ることも納得できる。
さらに上述した欧州議会選挙における右派勢力の躍進がユーロ廃止へと導く可能性が出始めている。特にフランスのブリュノ・ル・メール経済・財務大臣が右派勢力の躍進がユーロにとって脅威となりつつある旨“喧伝”している点は注目に値する。既にユーロ崩壊の可能性が現実的な脅威として認識され始めているのだ。
ハンガリーのアカデミズム支配がこのような欧州における大掛かりな刷新に備えたものである可能性を踏まえつつ、欧州の分裂・その後のブロック化が進むことを念頭に置いた転換が生じる可能性を検討する必要がある。
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
岡田慎太郎(おかだ・しんたろう)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2015年東洋大学法学部企業法学科卒業。一般企業に勤務した後2017年から在ポーランド・ヴロツワフ経済大学留学。2018年6月より株式会社原田武夫国際戦略情報研究所セクレタリー&パブリックリレーションズ・ユニット所属。2019年4月より現職。