「人は見た目が9割」は衝撃的なタイトルからベストセラーを記録し、現在もビジネスシーンで引用されることが多い。しかし、根拠とされるメラビアンの法則には実は誤解が含まれている。今回はメラビアンの法則の本来の意味と、効果的な取り入れ方を解説する。
営業ケーススタディ(7)――新入社員・新垣の挑戦
新入社員の新垣理子(22)は、15年目のベテランである先輩・及川圭佑(37)の営業に同行した。訪問前に「今日は新垣が話してみて」と無茶ぶりされるも、ソツなく話し始める新垣。しかし、お客様の反応は新垣の予想とは違っていた――。及川の解説で、メラビアンの法則の誤解と正しい活用法を紹介する。
営業先で突然の無茶ぶり!度胸試しで臨む初めての営業
満員電車で乱れた髪を整え、新垣はフロアに足を踏み入れた。新垣の教育係も務める隣の席の先輩・若林に挨拶をする。若林は既にデスクいっぱいに資料を広げている。一体何時に出社したんだろうと新垣は内心肩をすくめた。
若林は熱心で暑苦しいところもあるが、新入社員である新垣を何かと気にかけてくれるやさしい先輩だ。営業成績もよく、上司は口ぐせのように「若林を見習うように」と新垣に言う。
しかし年次が近いことからも、新垣はあまり若林に素直にアドバイスを求める気になれない。どちらかというと「自分は自分のやり方ですぐに追い抜いてやる」と思っていた。
とはいえ、一人で営業に行けるのは入社後3年を過ぎてからだ。先輩・及川の営業に何度か同席したものの、名刺交換以外は隣で話を聞いているだけで、眠気との戦いだった。独り立ちまでの道のりはまだまだ長い。
今日も午後から及川の営業に同席する予定だ。及川とは現地で待ち合わせの予定なので、行きの電車でお客様のWebサイトでもチェックしよう。そう思っていた矢先に、突然及川から声をかけられた。
「新垣、今日の午後のお客さんだけど。提案書の内容、新垣から説明してみて」
突然の提案に驚いて新垣は及川を見上げた。及川の顔を見れば、冗談や意地悪で言っているわけではないと分かる。
「私が話していいんですか?大事な営業ですよね?」
上ずった声で聞き返すも、フォローするから大丈夫、と余裕の笑みで返された。及川はさらに、いたずらっぽく笑って付け加える。
「この間、眠そうだったし。自分で話したほうが、眠気も飛ぶんじゃないかな」
どうやら及川にはお見通しだったようだ。新垣は承諾の返事をして、提案書や会社案内のパンフレットをデスクに広げた。若林は「よかったな新垣」と満面の笑みでのんきに声をかけてくる。
こうして、午前中は来週提出予定の資料をのんびり作成しようと思っていた新垣は、提案書とにらめっこすることになった。
午前中は瞬く間に過ぎ、あっという間に及川との待ち合わせの時間になった。及川が緊張しているかと笑って肩をたたいてくる。強がって微笑んで見せたものの、内心なんともいえない不安が渦巻いていた。
営業は1回1回が勝負だ。失敗すれば次のチャンスはない。そのことが、初めて身をもって新垣にも感じられた。受付で会社名を告げ、別室に通される。社長と専務が現れ、名刺交換をした。
及川は社長と近い席を新垣にすすめてくれた。社長と専務の目が自分に向き、今日は自分が話すのだと改めて実感する。午前中にしっかり準備し、戦略も練った。あとは話すだけだ。新垣は深呼吸をし、口を開いた。
(1) 及川の営業トークを参考に流ちょうな説明を心掛ける。
(2) たどたどしくとも自分の言葉で丁寧に説明する。
先輩の営業トークを完コピしたのに!何がいけなかったの?
新垣は(1)を選んだ。及川の営業にはこれまでも何度か同席している。及川がどの箇所でどんな説明の仕方をしていたか、新垣は丁寧にメモをとっていた。だから午前中はその内容を徹底的に頭に入れた。
営業成績トップを誇る及川の営業トークなら、間違いないはずだ。そのことが自信となり、新垣は思った以上に落ち着いて話すことができた。
「ヒト・モノ・カネの中で、実は一番コントロールできないのがヒトなんです。だからヒトの問題が一番怖くて、奥深いものだと思っています。たとえばですが……」
及川は口を挟まずに隣でじっと耳を傾けている。すべての説明が終わり、新垣は安堵と達成感で体から力が抜けるのを感じた。初めての説明だったが、ミスもせずソツなくこなせたはずだ。
しかし、長い沈黙の後に社長から発された言葉に新垣は衝撃を受けた。
「説明は分かりやすかったけど……なんでだろう、薄っぺらく思えちゃったんだよね。正直、期待外れかな」
凍りついたしまった新垣の隣で、及川が身を乗り出した。
「ご期待に沿えず申し訳ございません。匿名性を保つため、どうしても教科書的な事例しか載せられなくて。最近学生の就職活動の内容が多様化していますが、それに合わせた取り組みは何かされていますか?」
気乗りしない様子だった社長と専務の表情は、及川と話すうちにみるみる変化していく。及川はそんな相手の変化に合わせて絶妙に話題を変え、相手の興味を引きつけて離さない。
新垣は息をのんで一部始終を見守った。ただ同席しているだけでは気づけなかった相手の表情の変化や仕草が、今日は鮮やかに目に飛び込んでくる。この間のように眠くなる暇などなかった。
あっという間に3時間が過ぎ、及川は見事その場で契約を取り付けた。最後には社長と専務が見送りに来てくれる。及川に頭を下げる二人に、及川はさらに深く頭を下げ、オフィスを去った。新垣はただただ、及川の手腕に感嘆するばかりだった。
「メラビアンの法則」の誤解と正しい活用法
帰りの電車で考え込む新垣に、及川はやさしく声をかけた。
「大丈夫?」
新垣は前を向いたまま答える。
「考えてたんです。私の説明の、何がだめだったのかって」
話した内容は完璧だったはずだ。それでも、及川が話すと相手に響き、自分が話すと薄っぺらく聞こえる。その理由を新垣は知りたかった。
「新垣は、メラビアンの法則って知ってる?」
メラビアンの法則なら、研修で聞いた覚えがあった。新垣は記憶をたどりながら答える。
「それって、『人は見た目が9割』ってやつですよね?話す内容より、身だしなみや見た目が重要だっていう」
新垣は完璧な回答ができたと思ったが、及川は首を左右に振った。
「それは拡大解釈したとらえ方だね。メラビアンの法則は、実は誤解されたまま使われていることが多いんだ」
新垣は及川の話に興味をひかれた。
「メラビアンの法則でよく引用されるのが、相手に伝わる内容は言語が7%、聴覚が38%、視覚が55%という話だ。このことから、言語情報より視覚情報、つまり見た目が大切だという話が独り歩きしてしまっている」
新垣が研修で聞いたのはまさにそんな説明だった。及川はさらに話を続ける。
「メラビアンが実際に行った実験は、言語・聴覚・視覚の情報が食い違った場合、どの情報が重視されるかを確かめるものだったんだ。たとえば、『うれしい』という言葉を怒った口調・悲しそうな表情で口にしている人を見た時、どう思うか。その場合、表情を手掛かりに相手の感情を判断する人が多いというのが実験の結果だ」
及川の説明を聞き、驚いた新垣は思わず問い返した。
「言葉と表情が食い違っているなら、表情を信じるのは当たり前な気がします。それに視覚情報っていっても、身だしなみとか全く関係ないじゃないですか」
及川はうなずきながら、話を今回のことに戻す。
「メラビアンの法則は本来、言語以外の非言語コミュニケーションの重要性を明らかにした実験なんだ。今回の新垣の説明だと、新垣自身の言葉で語られた内容ではないから、どうしても言葉と声のトーン・表情の間にかい離が生まれてしまう。そうすると相手の信頼を得ることはできない」
新垣ははっとして及川の話に聞き入った。それが薄っぺらいと言わせてしまった原因だったのだ。
「言葉・声のトーン・表情が一致してこそ、心に響く説明ができる。逆に相手に話が響かなかった時は、言葉・声のトーン・表情のどれが欠けていたのか、自分を振り返ってみることも大切だ」
新垣は及川の言葉に深くうなずいた。車窓から西日が差し込み、足元は橙色に染まっている。黙って電車に揺られながら、新垣は今日一日のことを何度も反すうした。
及川の営業トークは及川だけのものだ。参考にすることはかまわないが、新垣がそのまま使ったところで何の効果もない。知らず近道をしようとしていた自分を新垣は心の中で恥じた。
営業に正解はない。きっと誰もが、自分なりに試行錯誤してスタイルを確立していくしかないのだ。そのことに気づいた時、新垣は入社して初めて大きな壁が目の前にそびえているのを感じた。同時に、絶対にそれを乗り越えてやるという想いがふつふつとこみ上げてきた。
正答分析に見る教訓――本音こそがお客様の心を動かす
新垣は(1)を選択した。しかし、ここでもし(2)を選んでいたらどうなっていただろうか?この場合も見てみよう。
新垣は、たどたどしくとも自分の言葉で説明することを選択した。社長と専務を前に、緊張しながら話し始める。新垣の緊張が伝わったのか、専務は安心させるような微笑みを浮かべてくれた。
「わかりにくい点がありましたら、話の途中でもどんどん質問してください」
新垣はそう前置きして説明を始めた。ところどころ、自分の就職活動を思い出しながら学生目線の意見を盛り込む。
「これから働こうとする会社だと、どんな人がいるのか、どんな雰囲気なのか気になりますよね。だから学生はSNSをチェックするんです」
SNSのくだりは、社長も専務も関心を持って新垣に質問してくれた。採用コンサルをした経験はなくとも、就職活動の経験ならある。話しているうちに新垣の緊張も自然とほぐれた。
後半は及川も話に加わり、新垣をフォローしてくれた。その日のうちに及川は契約を取り付け、和やかなムードのまま会社を後にする。帰り際に社長が新垣に声をかけてくれた。
「新垣さんも、またSNSのこととか教えてね。どうもああいうのは苦手で」
自分の発した言葉が、お客様の中で生きている。当たり前のように、次も一緒に来ると期待されている。そのことが新垣にとっては何よりもうれしかった。
緊張していると声のトーンや表情まで気が回らない。ましてや人の言葉を借りて話しているならなおさらだ。
たどたどしくとも自分の言葉で話せば、相手には何かしら伝わるものがある。自分の得意分野に持ち込むことができたなら声のトーンや表情はあとからついてくる。本音で話すからこそ誠実さや熱意が正しく相手に伝わるということだ。
営業における「非言語」コミュニケーションの重要性
「営業トーク」という言葉があるように、営業では言い回しや言葉選びが非常に重視される。しかし、実は声のトーンや表情などの非言語コミュニケーションも同じくらい重要だ。いまいち相手に伝わらない……そんな悩みを抱えているなら、自分の非言語コミュニケーションに気を配ってみることで、活路が開けるかもしれない。(木崎 涼、ファイナンシャル・プランナー)