はじめに

変革は周縁(periphery)から訪れるというのは、ローマ史に対する知見から欧米では古くより認識されてきたし、我が国でも明治維新が江戸(東京)や京都から離れているという意味で周縁である薩摩や長州から始まったことからも違和感なく受け入れられてきたとも言える。

欧州問題のカギは西バルカン ~「欧州の火薬庫」が再暴発するリスク~
(画像= miron82 / Shutterstock.com)

では欧州にとって周縁(periphery)はどこかと言えば、無論どの国を中心とするかによって変わってくるのは言うまでもないが、地理的および経済社会的な中心である仏独を中心にすえてみると、ポーランドやハンガリーといった国が1つの周縁と言える。他方で欧州をより広範に捉え、アラブ世界といった他地域との境目にまで目を移せば、仏独の南西にあるバルカン半島が思い浮かぶ。

ローマ帝国とオスマン・トルコによる係争の地であったし、時代が経るにつれてオーストリア(・ハンガリー帝国)も関わってきた利、第一次世界大戦の直接的な引き金となってきたりした。直近では1992年からのボスニア紛争や1998年からのコソボ紛争が読者の記憶に新しいと推察する。

他方でこのような複雑な地域だからこそ、欧州連合(EU)にとっては「欧州」という一つの共同体を完成させる統合プロセスの成否を判断するための1つの挑戦であり続けてきた。それが、去る2014年に欧州連合(EU)で決定された「ベルリン・プロセス」では、西バルカンの併合に大きく注目してきた。

しかし歴史は繰り返す。欧州連合(EU)の未来を考えるに当たり、南欧(イタリアやギリシア)の財政問題が取り沙汰されるが、その両国の近隣諸国である西バルカンにおいて、ここにきて騒乱が拡大しているのだ。本稿は目立たないもののここにきて欧州情勢のドライバーになりつつある西バルカン問題を取り上げる。

ベルリン・プロセスを振り返る

西バルカン問題に触れる前に、そもそもベルリン・プロセスが何かを振り返る。ベルリン・プロセスはいまや健康問題が取り沙汰されるメルケル独首相が去る2014年10月28日にベルリンで開催された「西バルカン諸国カンファレンス2014」で明言したものである。同プロセスは、欧州統合プロセスの更なる拡大を目指し、EU中核国に近いものの未加入国が少なくない西バルカン諸国とEUを結びつけることを希求したものである。具体的には、正式な加盟候補国であるモンテネグロやセルビア、北マケドニアおよびアルバニア、更には潜在的な加盟候補国であるボスニア・ヘルツェゴビナおよびコソボといったバルカン諸国と、オーストリアやブルガリア、クロアチア、フランスにギリシア、ドイツ、イタリア、ポーランド、更にはスロベニア、英国といったEU加盟国の一部との関係性強化を謳ったものだ。これとは対照的に、ユンカー欧州委員会委員長は2014年からの5年間、欧州連合(EU)加盟国を増やさない旨、言及してきた586602)ことが知られている。 すなわち、このプロセスはドイツが主導してきたものであり、欧州連合全体の意思とは言い難いことをまずは押さえる必要がある。

ではこのプロセスはどのような趨勢を辿ってきたのか。ドイツ有数のシンクタンクであるフリードリヒ・エーベルト財団による報告書「ベルリン・プロセス後の欧州連合(EU)及び西バルカン諸国:不確実の時代における欧州連合(EU)拡大を振り返る(The EU and the Western Balkans after the Berlin Process: Reflecting on the EU Enlargement in Times of Uncertainty)」内において注目すべき指摘を抜粋するとこうなる:

"[T]he Berlin Process was instrumental in keeping on the radar key issues marring progress made by Western Balkan states on their way towards the European Union: their infrastructure gap and economic vulnerability; the lack of perspective perceived by WB6 youth; their democratic backsliding into stabilitocratic regimes; the persistence of ethno-nationalism under the surface of reconciliation; the destabilizing potential of bilateral disputes; and the growing engagement of Russia, China and Turkey throughout the region"

すなわち、ベルリン・プロセスは西バルカン諸国のインフラ・ギャップ及び経済的な脆弱性やStabilitocracy(註:西バルカン諸国特有の半権威主義的な政治体制のこと)的な政治体制による民主主義の後退、和解の背景で進む民族的ナショナリズム、更には二国間での係争による地域的な不安定性、そしてロシアや中国、トルコの同地域への更なる関与に対する監視レーダーであるというのだ。

ドイツは冷戦後の東西統合の後、東ドイツに東欧や中欧、更にはロシアを含む旧ソ連圏への開発を通じて発展してきた。この経緯を敷衍すれば、1点目の経済状況を監視するというのは潜在的なマーケットを確保するという意味で至極自然な事だ。しかし、それ以外のポイントを考慮すると、むしろ西バルカン諸国に対するドイツの関与は、安全保障面が強いことが見て取れる。

同報告書が触れていないものの同じ安全保障面で考慮しなければならないことがもう1つある。それが米軍基地の存在である。そもそもコソボ紛争では北大西洋条約機構(NATO)軍が中心的な役割を担ったが、米国はその推進役の一国であった。コソボには欧州最大規模の米軍基地であるボンドスティール基地が余り広くではないが知られている。さらにはこの基地が中東から中・東欧に向けた麻薬サプライチェーンと関係している可能性すら指摘されている。その真偽はさておき、米国との間で対立を深めるドイツが米軍基地の動向を警戒していたとしても不思議ではないというのが卑見である。

おわりに ~「欧州の火薬庫」は再暴発するのか~

では西バルカン問題はどうなっていくのか。フランスの対外インテリジェンス機関である対外治安総局(DGSE)が同地域に関する報告書を2017年に公表しているという点である。これによれば西バルカン半島における統合には仏独の融和がモデルとして有用である旨、記しているのだ。前述したドイツによる西バルカン諸国への浸透はフランスにとっても共通する問題であり利益である可能性があるということだ。

他方で、まず踏まえなければならないのは、ここにきてコソボとセルビアが対立を深めているという点である。また北マケドニアもギリシアと引き続き対立を深めている。バルカン半島の火薬には着実に着火されつつあるのである。そうなれば短期的には、周辺諸国には戦争経済により裨益し得るが、そもそも高い“デフォルト(国家債務不履行)”リスクを抱える南欧諸国がこれに適当に対応し得るのかと言えば難しいというのが卑見である。更にはこのような中でかつての1990年代における紛争と同様に米国が動くとは想定しづらい。すなわち、西バルカン問題は、(1)南欧の財政問題、(2)欧州連合(EU)の統合プロセス停滞、(3)米独(米欧)関係にインパクトのあるもので、全くもって無視し得ないどころか大きな問題になり得るのである。

他方で、その先を見据えると別の機会があることも併せて触れておきたい。バルカン半島が欧州と中東との境目であることは既に触れたが、逆にかつて拙稿で言及したように、「欧州としてのバルカン半島」よりも「中東(イスラム)としてのバルカン半島」が近づきつつある。すなわち、コーカサス地域がロシアも含めて広がっているが、既にルーマニアらにその動きが波及しているのである。それの一つの到達点としてバルカン半島への中東の接近があり得るということも触れておく(無論、これに付随してロシアも接近することとなる)。周縁から始まる新たな秩序への転換に注目すべきである。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職。