シンカー:日銀は国内のファンダメンタルスの悪化が確認されたら、直ちに追加緩和策などに動くだろう。ただ、足許では賃金上昇は続き、企業の投資スタンスも大幅には弱まっておらず、日本経済の海外の動きに対する耐性は強まっているようだ。円高進行だけを理由に追加緩和に踏み切ると、今後の日米貿易協議などで、緩和政策で為替誘導を行っていると見なされ、交渉が難航するリスクが高まるだろう。逆に内需や家計・企業のセンチメントが大幅に悪化しない限り、現状の緩和政策を辛抱強く維持すると、日銀の緩和政策は2%の物価安定目標達成へ向けての一環であり、為替誘導の意図はないということをアピールできるだろう。グローバルに金利低下が続く中、円債の魅力は高まっているようだ。為替を考慮すると主要国債券利回りより高いことから、円債にシフトを加速させるだろう。グローバルに不透明感が後退する兆しがない中、目先でイールドカーブがスティープ化に転じる可能性は低いだろう。ただ、ファンダメンタルスが堅調であることや中央銀行の政策スタンスを緩和方向に向いていることを考えると、近い将来のスティープ化も考え始める必要があるだろう。

SG証券・会田氏の分析
(画像=PIXTA)

●堅調な内需環境が維持される中、日本の貿易交渉は実利を優先し、妥結に進んでいるようだ

堅調な内需は世界的な景気後退懸念に対しての耐性を強めているようだ。ただ、外需環境は引き続き不透明感が強い状態が続いている。日米貿易協議では日本が米国産牛肉や豚肉に対する関税をTPP水準まで引き下げる代わりに、米国は日本製自動車部品や工業製品に対する関税の引き下げや撤廃などで大筋合意した。両国首脳は最終的に9月の国連総会に合わせて署名する意思を示している。今回の通商協議では自動車関税の撤廃は見送られた。来年に大統領選を控えているトランプ大統領は米国中西部の自動車産業が盛んな州の支持を維持するためにも、自動車関税に関しては強気姿勢を維持している可能性がある。ただ、日本車でも米国で生産されれば、米国の雇用拡大や景気拡大の力となり、トランプ大統領はそれをもとに支持層へのアピールを強めることができるだろう。トランプ大統領は米国で生産されれば、メーカーが日本製であっても、日本車を問題視する可能性は低いだろう。今回の合意で、トランプ大統領は支持層に日本製自動車に対して関税を維持できたと同時に、国内の雇用拡大の可能性も確保できたとみるだろう。一方、日本政府は自動車関税撤廃を諦める代わりに、部品に対する関税引き下げなどで、米国での生産コストを下げ、国内メーカーの収益性を上げることに貢献できたことをアピールするだろう。ただ、両国に妥協策が見出された以上、自動車関税の交渉は長期化するリスクは高まったとも考えらえる。

●貿易交渉などで為替操作と指摘されないためにも、日銀は現状維持の状態を保つ必要があるだろう

グローバルに貿易問題激化懸念が強まる中、中央銀行関係者は自らの政策ツールでは貿易摩擦激化による景気後退が顕在化した場合、対応できない可能性を指摘し始めている。ただ、貿易摩擦が長期化し、実体経済に悪影響を与え始め、指標にも悪化の兆候が見られると、各国中央銀行は対応に迫られるだろう。日銀も国内のファンダメンタルスの悪化が確認されたら、直ちに追加緩和策などに動くだろう。足許では賃金上昇は続き、企業の投資スタンスも大幅には弱まっておらず、日本経済の海外の動きに対する耐性は強まっているようだ。しかし、グローバルな景気後退懸念は円高圧力を強め、ドル円は105円台を推移している。マーケットでは円高是正のためにも、日銀は近々、マイナス金利の深堀や誘導目標の容認レンジ下限撤廃など、緩和策の強化に踏み切るとの見方が出始めている。しかし、日銀はフォワードガイダンスの変更以外の緩和策に動く可能性は低いだろう。堅調な内需環境が維持されている中、円高進行を理由に追加緩和に踏み切ると、今後の日米貿易協議などで、緩和政策で為替誘導を行っていると見なされ、交渉が難航するリスクが高まるだろう。逆に内需や家計・企業のセンチメントが大幅に悪化しない限り、現状の緩和政策を辛抱強く維持すると、日銀の緩和政策は2%の物価安定目標達成へ向けての一環であり、為替誘導の意図はないということをアピールできるだろう。日銀が、日米貿易協議の合意署名がされる前に、米国から為替操作と指摘されるような追加緩和策に踏み切る可能性は低いと考えられる。ただ、外需に対する耐性は強まっているとは言え、グローバルな景気動向の影響を全く受けないという形ではないことから、日銀は緩和政策へのコミットメントをアピールするためにも、年内にフォワードガイダンスの長期化に踏み切るだろう。

●中央銀行は自らの政策が政治不安につながらないかに警戒感を強めているようだ

中央銀行関係者は政治問題による景気後退を金融政策でサポートする形に対しての懸念を強めているようだ。ジャクソンホール会合でパウエル議長は景気減速の兆候が見え始めると、適切な政策対応を行う姿勢を示した。ただ、足許の政局の不透明感などを主因とした景気減速に対する金融政策がどのように対応するか前例は無いことも指摘した。中央銀行関係者の間では、Fedが利下げバイアスを強めると、金融政策で景気減速を避けられると考え、政府が通商問題などで強硬姿勢を強め、更なる追加緩和策の必要性が増す可能性を意識しているようだ。Fedはトランプ大統領の再選を阻止するためにも利下げを拒否するべきとの見方を示したダドリー元NY連銀総裁のコラムも、政府が金融政策を自らの政策の副作用に対する保険と位置付けている可能性を指摘したものと考えらえる。ただ、指標をもとに金融政策を行わなければ、逆に中央銀行が政治化しているとの見方を強めることになるだろう。政府との距離を置き、自らの独立性を保つためにも、例え、中央銀行の政策スタンスが景気に悪影響を与える可能性がある政府の政策を後押しする形になるとしても、指標やマーケット動向をもとに政策を推し進める必要性があるだろう。中央銀行は自らの政策が景気に悪影響を与える政策を助長することを避けながら、景気拡大モメンタムを維持するという、従来より難しい形の政策運営を強いられているようだ。

●トランプ大統領は選挙戦を有利に戦うためにも、Fedの更なる緩和姿勢を求めるだろう

マーケットでは9月のFOMCでFedは今年2回目の利下げに踏み切るとの見方が強まっている。ただ、それ以降の利下げに関しての見方は定まっていない。マーケットでは年内に更にもう1回の利下げに踏み切る可能性が意識されている。ジャクソンホール会合でパウエル議長は足許の米国経済は望ましい状態にあるが、著しいリスクに直面しており、景気拡大を維持するための政策を実施していく姿勢を示した。マーケットはこの発言で9月の利上げをほぼ確実視したようだ。大統領選を1年後に控えるトランプ大統領は選挙前に景気後退を避けたいと考えるだろう。直近では米国のFedの緩和策が十分でないと、不満を強めているようだが。Fedがより緩和的にならず、様子見姿勢を維持すれば、選挙戦に近づくにつれ、景気・マーケットの拡大圧力を強めよるためにも貿易問題などで軟化姿勢を強めるする可能性が高まってくるだろう。ただ、貿易問題で過度の軟化姿勢は支持層の反発を招くリスクがあり、トランプ大統領は緩和的な金融政策による景気の安定化を望むだろう。トランプ大統領のFedに対する批判的な発言は続き、マーケットの金融政策期待が不安定化した状態は続くだろう。

●目先のイールドカーブがスティープ化に転じる可能性は低いだろうが、近い将来のスティープ化も考え始める必要があるだろう

グローバルに金利低下が続く中、円債の魅力は高まっているようだ。外国人投資家は為替ヘッジ後の円債利回りが主要国債券利回りより高いことから、円債にシフトを加速させるだろう。また、国内投資家も海外金利が低下する中、消去法で円債への回帰が加速するだろう。グローバルに低金利が続き、内外の投資家からの円債需要が強い状態が続き、また、利回りを求める動きが続くと、円債イールドカーブは更にフラット化するだろう。このような状況下で、日銀が国債買入額の減額に踏み切っても、影響は限定的だろう。ただ、足許の金利低下は行き過ぎとの見方も出始めている。今後、金融政策が緩和的になり、財政も緩和的になり、政治問題も一服すると、グローバルにイールドカーブはスティープ化するだろう。ただ、短期的にはグローバルに政治問題が決着する見通しはなく、中央銀行関係者も経済指標待ち状態で、大幅な利下げに対するコミットメントを明確に示すことに躊躇しているようだ。目先のイールドカーブがスティープ化に転じる可能性は低いだろうが、近い将来のスティープ化も考え始める必要があるだろう。

ソシエテ・ジェネラル証券株式会社 調査部
チーフエコノミスト
会田卓司