シンカー:同じように財政政策の役割の重要性を主張するものであっても、主流派経済学者が前提とするような政府の予算制約式の有無が物価水準の財政理論(FTPL)と現代貨幣理論(MMT)の本質的な違いであると考えられる。シニョリッジを加え予算制約式の形を変えただけのFTPLと比較し、それを消滅させてしまったMMTは、主流派の経済学者には体系化するのが困難であるので批判が強いようだ。政府の予算制約式が主流派が考えるような形で存在するのかどうかは実際のところ断定できない。しかし、主流派が反省すべきは、経済モデルを解くときの方便であった予算制約式を、何の疑問もなく絶対視してしまっていなかったかということだ。最低限いえることは、「そもそも政府は予算制約式を満たさなければならない、よって。。。」、または「そもそも将来世代にツケを回すことはいけない、よって。。。」と、それが真実であるか分からないイデオロギーであるにもかかわらず、予算制約式の存在をほとんど絶対的な前提として財政政策を議論し、その他の考え方を排除してしまうことが間違いだということだ。残念ながら、現在の財政政策の議論は、予算制約式のイデオロギーから抜け出すことができず、柔軟性に欠けるようだ。より柔軟な議論をするためには、国内の資金需要・総需要を生み出す力、資金が循環し貨幣経済とマネーが拡大する力であるネットの資金需要(企業貯蓄率と財政収支の和)の水準で、財政政策と金融政策の役割の強弱を判断すればよいと考える。ネットの資金需要が過小・過大であった時には財政政策の役割が大きく、適度であった時には財政政策の役割は小さく、金融政策のみで景気・物価動向をうまくコントロールできると考える。

SG証券・会田氏の分析
(画像=PIXTA)

現代貨幣理論(MMT)も物価水準の財政理論(FTPL)も、金融政策の役割に偏重する主流派の経済学の考え方に対して、財政政策の役割の重要性を指摘するものだ。

しかし、FTPLと比較し、MMTは主流派の経済学者からの批判が強いようだ。

その大きな理由は、予算制約式の考え方の有無によるのかもしれない。

経済モデルと作るとき、解を得るため、行動を制約する条件が必要になる。

目的関数を最大・最小とする解を得るためには、変数の動きを限定する予算制約式が必要になる。

政府では、現在の実質負債は将来の実質財政収支の現在価値に等しくなるというのが予算制約式である。

負債が存在するのであれば、将来のどこかの時点で財政収支を黒字にしなければ、予算制約式は成立しない。

「将来世代にツケを回している」という財政政策を議論する時に頻繁に聞く言葉も、予算制約式の存在を前提とした考え方である

よって、経済厚生を最大化するための政府の行動には制約がかかることになる。

FTPLは、現在の実質負債は、将来の実質財政余剰の現在価値に等しくなる。

この実質財政余剰には、財政収支に加え、シニョリッジ(通貨発行益)も含むところが新たな考え方だ。

シニョリッジが含まれれば、政府の予算制約式は緩くなる。

結果として、財政政策を拡大する余地が、シニョリッジを含まず予算制約式を考える主流派より大きいと考える。

一方、MMTは、「自国の通貨を発行して借金ができる国は財政赤字を増やしても、インフレが問題化しない限り心配ない」と考える。

政府には主流派が前提とするような予算制約式は存在しないと言い換えられる。

政府の行動を制約するのは予算制約式ではなくインフレであると考える。

しかし、インフレが発生し、それを安定化させるメカニズムは不確定なところが多い。

よって、主流派が経済モデルを作るときに使う予算制約式と比較すれば、財政政策の役割を織り込んだ経済モデルを作ることがかなり困難である。

黒田日銀総裁は3月15日の定例記者会見で、「MMTは必ずしも整合的に体系化された理論ではない」と指摘している。

これは経済モデルとして体系化することがかなり困難であることを示しているのだといえる。

同じように財政政策の役割の重要性を主張するものであっても、政府の予算制約式の有無がFTPLとMMTの本質的な違いであると考えられる。

シニョリッジを加え予算制約式の形を変えただけのFTPLと比較し、それを消滅させてしまったMMTは、主流派の経済学者には体系化するのが困難であるので批判が強いようだ。

または、予算制約式を前提とする経済モデルでの学術研究が主流派の経済学者のキャリアの本流であったため、生理的に受け入れられないのかもしれない。

政府の予算制約式が主流派が考えるような形で存在するのかどうかは実際のところ断定できない。

しかし、主流派が反省すべきは、経済モデルを解くときの方便であった予算制約式を、何の疑問もなく絶対視してしまっていなかったかということだ。

ポール・クルーグマン教授が、金融危機後の経済学者らの議論に対して、「モデルの美しさと真実を取り違える」と、数学による精緻なモデルの問題点とそれが必ず現実であると認識してしまう間違いを指摘していたことと同じだ。

最低限いえることは、「そもそも政府は予算制約式を満たさなければならない、よって。。。」、または「そもそも将来世代にツケを回すことはいけない、よって。。。」と、それが真実であるか分からないイデオロギーであるにもかかわらず、予算制約式の存在をほとんど絶対的な前提として財政政策を議論し、その他の考え方を排除してしまうことが間違いだということだ。

残念ながら、現在の財政政策の議論は、予算制約式のイデオロギーから抜け出すことができず、柔軟性に欠けるようだ。

より柔軟な議論をするためには、国内の資金需要・総需要を生み出す力、資金が循環し貨幣経済とマネーが拡大する力であるネットの資金需要(企業貯蓄率と財政収支の和)の水準で、財政政策と金融政策の役割の強弱を判断すればよいと考える。

ネットの資金需要が過小・過大であった時には財政政策の役割が大きく、適度であった時には財政政策の役割は小さく、金融政策のみで景気・物価動向をうまくコントロールできると考える。

図)ネットの国内資金需要

ネットの国内資金需要(企業貯蓄率と財政収支の和)
(画像=日銀、内閣府、SG)

ソシエテ・ジェネラル証券株式会社 調査部
チーフエコノミスト
会田卓司