識者プロフィール

インディペンデント・フィデュシャリー株式会社 代表 梅本 洋一(うめもと ひろかず)
梅本 洋一(うめもと ひろかず)
インディペンデント・フィデュシャリー株式会社 代表 梅本 洋一(うめもと ひろかず) 投資助言・代理業 関東財務局長(金商)第2965号 ICUを卒業後、野村證券を経て、学校法人・公益法人などへの投資アドバイス業務、運用体制構築のコンサルティング業務に特化。2008年12月、インディペンデント・フィデュシャリーを創設。(公財)公益法人協会の資産運用講座 (2015~2019)の講師。現在、日本版RIA(フィーオンリーの投資助言サービス)の離陸を目指す。

インディペンデント・フィデュシャリー株式会社
HP:http://www.i-fiduciary.co.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/i.fiduciary.ltd/
新しい公益法人・一般法人の資産運用
『新しい公益法人・一般法人の資産運用』
太田 達男(序)・梅本 洋一
出版社名:公益財団法人 公益法人協会
公益法人協会が行った資産運用アンケート調査結果を徹底分析し、公益法人の資産運用の現状を踏まえた「新しい運用モデル」について、具体的な運用事例をもとに、分かりやすく解説しています。 豊富な図表や読みものとしてのコラムを盛り込み、知識だけでなく、資産運用の原理原則、理論とその歴史的な背景から、理解できるようになっています。 平易で分かりやすい言葉で書かれており、公益法人・学校法人の運用担当の役職員にはもちろん、法人アドバイザーにも最適な一冊です。

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前章ではA法人とB法人の事例を通じて、「旧来型の資産運用=個別銘柄・金融商品オリエンテッド・モデル」と、「新しい資産運用モデル=分散投資・資産配分比率オリエンテッド・モデル」の違いについて解説した。

そして、それぞれが本質的に意味するところの違いは、“実質的な判断をしている担当が正しければ” “環境や発行体に大きな変化がなければ”という危うい前提の運用か、それとも“一担当者の判断は容易に間違える” “環境や発行体に大きな変化はいつでも起こりうる” ものだという前提での運用か、であると指摘した。

第3章では、「旧来型の資産運用」と「新しい資産運用モデル」とについて、さらに掘り下げて考察してみたい。すなわち、なぜ現在、A法人のような旧来型の資産運用が主流となっているのか?

また、なぜ今後、資産運用を志向する公益法人のスタイルとして、B法人のような新しい資産運用モデルが“消去法的に” 残るのか? について考えてみたい。

実は、公益法人の資産運用に大きく作用している動かしがたい制約が3つある。第一に公益法人の側の制約、第二に金融ビジネスの側の制約、第三に資産運用の側の制約である。

これら3つの制約は、A法人のような旧来型の資産運用が現在の主流となってしまっていることにも深く影響していると考えられる。と同時に、それら3つの制約が存在するからこそ、B法人のような新しい資産運用モデルへと“消去法的ではあるが” 帰着していかざるを得ないと考えるので ある。

1.第一の制約 公益法人の側の制約

資産運用
(画像=Billion Photos/Shutterstock.com)

1-1 組織的、人的な制約(公益法人の側の制約 その1)

第一に、公益法人の資産運用業務においては、慢性的な組織的、人的な制約が存在する。法人の運用業務の陣容は非常に小規模で、しかも、その責任者やスタッフの少なくとも約半数は資産運用の熟練者ではないことを認めている。また、数年ごとの異動により、責任者やスタッフが交代し続けるなど、定期預金や国債を切り替え続けたり、母体企業株式を持ち切ったりする以上の資産運用を行うには十分とは言えない体制であるようだ。

(1)資産運用実務の責任者やスタッフの陣容(2017年アンケート調査結果より)
2017年に実施した資産運用アンケートの回答からも、実際に資産運用業務に携わる陣容は、1名あるいは2名と、極めて小規模な法人がほとんどであることが判明している。しかも、近年では資産運用実務の責任者やスタッフを配置している法人の割合は、2007年度に実施した調査結果と比べ て、むしろ減少傾向でさえあるようだ。

(2)運用の意思決定と判断材料の情報源(2017年アンケート調査結果より)
では、資産運用業務について、法人はどのように意思決定しているのだろうか? 2017年の資産運用アンケートによれば、自らを熟練者ではないと認識している法人の運用責任者やスタッフが、証券会社など金融機関の情報や提案を元に判断しているケースが約半数に上っている(一方、定期預金や国債を切り替え続けたり、母体企業株式を持ち切ったりしている法人の多くが、“その他” を選んでいる。なぜなら特別な意思決定する必要がないから、と回答していることも対照的であった)。

資産運用
資産運用

(3)法人の資産運用業務についての組織的、人的な制約
このように、実際の法人の運用業務の陣容は非常に小規模である。しかも、控えめに見積もっても、約半数は責任者やスタッフが熟練者ではないことを認めており、ゆえに彼らの多くが、情報や提案のほとんどを証券会社など金融機関に依存し、それらを参考に判断、意思決定を行っているのが実態といえる。

また、責任者やスタッフには、総務、会計、その他の管理部門の出身者が就任しているケースが圧倒的に多く、およそ法人の資産運用に携わったキャリアを持っている人材はほとんど居ないのが普通である(中には、私的な資産運用の経験を持つ担当者で、同じ考え方で法人資金の運用を行っている場合もあるが、合理的な説明を必要としない私的な資産運用とそうでない法人の資産運用とはそもそもの前提が異なる)。さらに、往々にして、彼らのほとんどが数年おきに異動、交替を繰り返しているのである。

資産運用

つまり、役職員に十分な運用熟練者を確保できない、育てられない、人事異動もあるという中で、定期預金や国債を切り替え続けたり、母体企業株式を持ち切ったりする以上の資産運用を行わざるを得ない法人が非常に多いのである。熟練者ではないゆえ、彼らはほかに依存して意思決定を行わざるを得ない。それが債券の信用格付だったり、証券会社など金融機関からの情報や提案だったりしているわけで、それらなしでは彼らの資産運用業務は何も始まらない状況なのである。

(4)組織的、人的な制約の弊害(債券運用における信用格付けルールの事例)
しかしながら、法人が組織的、人的な制約(=意思決定の制約)を抱える状況では、様々な弊害が生まれている。

例えば、リーマンショック時や最近の円高時での仕組債、東芝債(粉飾決算)、東電債(原発事故)、ノルウェー輸出金融公社債(一気に7段階格下げ)など、債券の取得時およびその後のリスク管理について、どこまで本質を法人の役職員が理解していたのか、ハンドルする準備ができていたのか、については非常に怪しいと言わざるをえない。

法人における債券の信用格付けルール運用の実態は、某財務部長の次のつぶやきが全てを語っている。“債券取得の稟議書が担当者から上がってくるのですが、それに記載されている信用格付けが事実上、唯一の判断の拠りどころです。信用格付けにほとんどを依存して、稟議書に判を押し、役員に説明するほかにないのです。それが名の知れた発行体であっても、本当の中身については、私を含めてこの組織の中に判断、管理できる者は誰もいません。最近では、取得・保有する債券が絶対に安全だとは言い切れないことも悟ってきました。しかしながら、ほかに方法がないので、今のやり方を続けていくしかありません。”

(5)組織的、人的な制約が「旧来型の資産運用」を生み出してきた構造
公益法人の資産運用とその管理においては、平均的な役職員が理解可能、ハンドル可能な運用内容、運用管理であることが重要であるということに、異論はないだろう。理解や管理(特に、取得後のリスク管理など)ができない運用内容、運用管理であってはならないのである。

ところが、このあるべき状態とは相反する運用内容、運用管理に陥ってしまう法人は少なくない。

組織的、人的な制約(=意思決定の制約)を抱える法人は、証券会社や金融機関など外からもたらされる情報に大きく依存することになる。しかも、熟練者ではないゆえ、往々にして、“うわべだけの情報・基準” で意思決定することになる。「債券の信用格付け」、「元本保証かそうでないか」、「アナリスト、エコノミスト、評論家、時事ニュースの語る見通し・意見」、「専門家の運用するファンド、過去の実績、レーティング」、「専門家が選んだファンドやポートフォリオ」など、自分たちで本当のところは何もわかっていない。

自分たちが本当に理解していたか、ハンドル出来るのかが本当にテストされるのは、常に逆境を迎えた時である。円高の時、信用リスクが高まった時、株やREITが下がった時などである。そんな時はじめて、外からの情報を盲信していたり、自分たちに都合の良い予測をしていたことに気付くのである。しかしながら、責任者やスタッフは問題がそこにあることを悟りつつも、良い方法を知らないので、以降も従前のやり方を踏襲することで黙認を決め込むのである。そのうちに、責任者もスタッフも異動、交代してしまい、次の新しいメンバーが同様の経験を繰り返すのである。

だから、A法人では、債券と呼ばれているものを一見“わかりやすい” “安易な” 拠りどころとして、仕組債投資をしてしまったのである。この2、3年の円高局面では、運用担当の役職員はその本質を垣間見たはずである。今では、本当に理解していた、ハンドル可能だったとは思っていないし、今後も理解できるとか、ハンドルできるとも思えない。ただただ、為替が回復し、何事もなく仕組債が償還されることを祈る以外に事実上できることは何もないのである。ほかに、なすすべがない以上、「満期まで持てば、元本が保証されている」「発行体である大手金融機関はデフォルトしない」というスタンスを貫くしかないのである。

(6)組織的、人的な制約を考えれば、「新しい資産運用モデル」がベター
一方、B法人も、役職員に十分な運用熟練者を確保できない、育てられない、人事異動もあるという組織的、人的な制約を抱える普通の法人である。実は、B法人も5年前までは、仕組債投資が全体の40%を占めるような「旧来型の資産運用」を行っていたのである。あれから徐々に運用方針 と運用内容を修正していき、今では完全に「新しい資産運用モデル」に切り替わった。

まず、平均的な役職員が、本当の意味で理解可能、ハンドル可能であることの最大の妨げ要因になる個別銘柄投資を大幅に制限あるいは禁止したのである。

その結果、国債などの公債と一部の短期社債を除き、個別銘柄への投資は一切行っていない。国債などの公債が中心であれば、個別銘柄投資であっても、“うわべだけの情報・基準” だけでもほぼ事足りる。最悪の事態が起こっても、平均的な役職員がハンドルできないという状況には最も陥りにくい(ほかの個別銘柄を取得している場合よりも、国公債であれば、“しようがない” と許容されやすい可能性も含めて)。

それ以外の組み入れ資産は、世界の株式市場、REIT市場、債券市場の全体を漏れなくカバーし、世界経済への投資効果に近似することを目指している(世界経済に近似する運用内容であれば、“しようがない” と許容されやすい可能性も含めて)。具体的には、必ず、各市場全体の価格変動と利子配当利回りを模倣するようなETF(ローコストかつ運用内容の透明性が高いパッシブ運用)を使って分散投資することを原則としている。

最も重要な点は、平均的な役職員が一貫性をもって継続的にハンドルできるよう、組み入れ資産や個々のETFの上がり下がり、それらの予測に基づいた意思決定を廃止したのである。具体的には、各資産の政策的な資産配分比率を中心に意思決定、運用執行、モニター、リスク管理を実施し ている。もともと世界経済への投資効果に近似することを目指しての各ETFや国公債への分散投資なので、それぞれの上がり下がり、曖昧な予測に基づいた売買、債券格付けやロスカットという種類の意思決定、リスク管理をそもそも必要としないのである。

しかも、B法人では運用方針書を作成し、維持、管理すべき政策的な資産配分比率などを明記し、背景となる考え方とともに引き継いできた。この5年の間に、理事長、専務理事、事務局長、運用担当者らは全て交代しているが、一貫した運用管理が続いている。

1-2 会計、決算の制約(公益法人の側の制約 その2)

(1)なぜ、本邦公益法人は債券運用をするのか?
そもそもなぜ、本邦公益法人は長らく円建債券を中心とした資産運用を実施してきたのであろうか?

まず、安定した利子収入が見込め、約束された期日になれば償還が約束されている(あくまで名目的な金額である。もちろん、発行体の信用リスク、デフォルトリスクが顕在化しない限りという条件付きでもあるが)。

さらに、会計や決算にも完全に一致させて処理、説明することができる。利子収入≒収益計上であり、保有額面≒資産計上である。また、満期保有目的債券とすれば、途中の時価の下落まで完全に無視できると説明することも可能≒ “元本保証なので時価の下落は関係ない” との主張もこのような考えが反映されているに違いない。

ポイントは、良くも悪くも、法人の資産運用は本体内部で行われる。だから、会計や決算と切り離して考えることができないのである。このことは動かしがたい事実であり、資産運用に対しても、とても大きな制約となって作用しているのである。つまり、ほとんどの公益法人は、資産運用の暗黙の前提として、運用元本の毀損・損切・取り崩しを避けて、保守的な運用内容を保ちつつ、安定的な期間収益を享受することを志向しているのである。

(2)米国の大学基金との違い
米国の大学基金は積極的な運用を行っているのに比べて、本邦の公益法人や学校法人の運用は保守的であると引き合いに出されることがある。しかしながら、よく調べると全く構造から違うことが分かる。米国の大学は本体の法人内部では一切運用していないのだ。

大学本体の会計、決算から完全に分離した寄付基金で自由な運用を行い、基金の時価総額の一定割合を元本も含めて取り崩し、それを大学側は、毎年「寄付金収入」として受け取っているのである。寄付基金側ではインカム収入はもちろん、キャピタルゲインやキャピタルロス、さらに取 り崩し支出まで会計処理されるが、大学側では毎年「寄付金収入」として計上するだけで済んでいるのである。

もしも、本邦の公益法人や学校法人が米国大学のような運用を行えば、たちまち本体において、インカム収入はもちろん、キャピタルゲインやキャピタルロス、さらに取り崩し支出まで会計・決算処理しなくてはいけないのである。

(3)法人本体の会計・決算と切り離せない意味とは
財産の処分とその支出については、かつての主務官庁指導から今は各法人の決議に委ねられるようになり、正規の内部手続きを踏めば、原則として法令違反などに問われることはなくなった。

しかしながら、本体の会計・決算処理にあたって、たとえそれが意図されたものや意識的なものであっても、資産運用に伴うキャピタルロスや取り崩し支出の計上や説明を進んで行いたいと思うだろうか。

できれば、なるべくキャピタルロスや取り崩しの計上を避けて、保守的な運用内容を保ちたいとは思わないだろうか。その上で、事業・法人運営に必要な期間収益は、資産運用の果実によって安定的に確保できている状態を望むのではないだろうか。これが、法人本体で資産運用の会計・決算処理もしなくていけないという制約のなかで、法人が目標としている資産運用の本当の姿ではないかと思う。つまり、債券運用は、長年、このような目標達成のための一つの有効な“手段” だったのである。

(4)債券運用=運用目標=会計・決算の整合の時代⇒債券運用≠運用目標≠会計・決算の不整合の時代へ
国債の利回りが2%~3%であったなら、ほとんどの法人の運用責任者やスタッフは悩むことがなかったであろう。債券運用と会計・決算はぴたりと整合し、法人が目標とする資産運用の果実も手にすることができたからである。運用の果実を度外視できるのであれば、今でも国債での運用が会計・決算と一番整合性が高いことに変わりはない。事実、超消極的な商品選択を行っている法人はいまだに預金や国債での運用(加えることの母体企業株式持ち切り運用)を続けている。

債券運用=運用目標=会計・決算との整合という関係式は、どんな債券でも常に成り立つわけではない。①発行体がデフォルトしないこと、②利回りが十分な水準にあり、かつ安定していること、という2つの条件が揃う必要がある。

ところが、②の条件がだんだん満たされなくなってきたのである。本邦バブル崩壊以降、山一証券、長銀、拓殖銀行ショック、ITバブル崩壊、世界同時多発テロ、リーマンショック、ギリシャ・ユーロ危機、日銀量的緩和、マイナス金利導入へと続いた歴史は、金利低下の歴史そのものであった。と同時に、公益法人が、国債から社債へ、サムライ債・劣後債へ、また日経リンク債や為替仕組債へと運用対象を変遷させていった歴史でもある。

そして、残念ながら、それは、ダイエー社債、マイカル社債、アルゼンチン国債ほかサムライ債などのデフォルト、仕組債やデリバティブ投資の失敗など、公益法人の資産運用における数々の汚点の歴史とも重なるのである。

(5)手段が目的と化してしまっている債券運用
債券運用=運用目標=会計・決算の整合という関係式は、国債やせいぜいそのほかの公債の利回りで納得できるなら、運用の素人でも達成可能である。しかしながら、それ以外の債券で成り立たせようとすると、①発行体がデフォルトしないこと、②利回りに十分な水準があり、かつ安定していること、この2つ条件の部分で“予測” “賭け” をしなければならないことは当然の理屈である。国債以上の安定利回りがタダで手にいれられるはずがないのが道理である。

問題は、運用を担当する未熟な当事者が“賭け” をしていることに全く気づいていないか、“まあ大丈夫だろう” と意識が希薄か、気づいているのに“ほかにしようがない” と開き直っているか、のいずれかの状態が20年以上もずっと続いていることなのである。

公債以外の社債、劣後債、仕組債での運用は、債券運用≠運用目標≠会計・決算の不整合の状態に簡単に陥り得るにも関わらず、まるで債券と呼ばれるもので運用すること自体が法人の運用目的にすり替わってしまったかのようである。“運がよければ” “見込みとおり” ならおとがめなしだが、そうでなければ運用収益や運用元本という法人として最も大切なはずの運用目標を犠牲にしてしまうような債券運用に、である。そして結局、会計・決算に汚点を残すことにつながってしまうのである。

(6)会計、決算の制約と「旧来型の資産運用」が生まれ、継続する構造
だから、A法人などは、今でも社債、劣後債、仕組債ほかの“債券” の体をなした個別銘柄での「旧来型の資産運用」に固執する。それは、法人本体で資産運用の会計・決算処理しなくてはいけないという制約が深く作用しているように思う。決算報告は自ずと理事会など公の目にもさらされることになる。

個別銘柄の債券であれば、一定の条件が揃えば、“元本保証” “額面で償還される” と主張できる。一定の条件が揃えば、キャピタルロスや取り崩しの計上を避けることができる。一定の条件が揃えば、運用収入と運用元本についての会計・決算処理も国債で運用しているのと何ら変わらないのである。

つまり、一定の条件が揃いさえすれば、ややこしい説明や処理は避け、形式的には従前のやり方を踏襲できる。表面的には、国債で運用しているのと同じように、何事もないかのようにやり過ごすことができるのである。運用担当や組織全体は、無意識的あるいは意識的に、その方が組織内に面倒な波風を立てることがなく、無難だと判断しているのである。

ただし、結果的に一定の条件が揃うかどうかは、いつも実質的な判断を下している担当者の“運が良ければ” “見込みとおりならば” ということに完全に依存せざるを得ない。A法人の事例などは、“そうでなかった時”は法人の存在自体を脅かしかねない厳しい洗礼に甘んじなければいけない ことを示している。

(7)会計、決算の制約と「新しい資産運用モデル」との整合
法人本体で資産運用の会計・決算処理もしなくてはいけないという制約の本質が、“なるべくキャピタルロスや取り崩しの計上を避けて、保守的な運用内容を保つ。その上で、事業・法人運営に必要な期間収益は、資産運用の果実によって安定的に確保できている” という運用目標を志向するものだとすれば、もはや時代が変わった今、B法人のような「新しい資産運用モデル」の方が適合しているのではないだろうか。

第一に、B法人の資産運用では、キャピタルロス(損切り、ロスカット)を前提としていない。まず、その誘因となる個別銘柄投資は、大幅に制限あるいは禁止しているからである。個別銘柄で保有できる債券は国債などの公債などで、そのほかの短期社債などにも厳しく制限をかけている。次に、それ以外の資産について徹底的な分散投資を原則としている。具体的には、世界の株式市場、REIT市場、債券市場の全体を漏れなくカバーし、世界経済への投資効果に近似することを目指して、各市場全体をトレースするETFを使っている。各市場は、元本保証ではないが、個別銘柄のように消えてなくなる確率は極めて小さい。また、一時的に下がったりすることもあるかもしれないが、個別銘柄に比べて、未来永劫に復元しない下落へと陥ってしまう確率も極めて小さい。世界経済の重要な構成要素であるオーソドックスな債券、REIT、株式市場と、それぞれに連動しているETFについては、個々にキャピタルロス(損切り、ロスカット)の対象とする前提はそもそもないのである。

第二に、B法人は保守的な運用内容を志向している。これは個々の金融商品・金融資産ごとに部分最適の努力・精査を積み重ねるのではなく、運用財産全体で保守的な運用内容となるように全体最適化のアプローチで考えている。具体的には、国債や為替ヘッジ外債ETFを含む保守的な資産 が70%、そのほかの外債、REIT、株式が30%となるよう全体の資産配分比率をあらかじめ政策的に決めている。この資産配分比率による価格変動リスクは最大▲10%程度を許容している(▲10%といえば、金利上昇時の国債価格の下落率と同程度、不況時の社債価格の下落と同程度ぐらいであると考えている)。

第三に、B法人は利子配当収入という期間収入を安定的に確保して、事業・法人運営をサポートすることを志向している。収入の源泉は、国債などの利子収入と世界の株式市場、REIT市場、債券市場の全体の平均利子配当利回りであり、それらにトレースするようETFを使っている。源泉は、グローバルかつ性質の異なる資産に広く由来し、さらに、それぞれの資産ごとにも何十~何千銘柄に自動的に分散投資されている。そこから生じる市場全体の平均利回りは、個別(銘柄)の要因に大きく左右される確率が低いので、安定的かつ将来の推計も比較的容易である。

最後に、このような「新しい資産運用モデル」は会計・決算処理にも整合的である。国債やETFの利子配当収入は期間収益として仕分けされる。また、半永久的に保有し続けることを前提としているので、キャピタルロス(損切り、ロスカット)は原則考えないで済む。時価評価しなくてはいけなくなるが、元本の方は貸借対照表にただ据え置いていればよいのである。ただし、計算書に記載されることになる価格変動(評価損)が大きくなりすぎないように資産配分比率をあらかじめ留意する必要はある。一方、決算(報告)に際して、理事会などで、“ETFとは元本保証なのか?”と質問され、納得できる説明ができないリスクも考えられるが、それは担当者の“技量の問題” であり、この運用手段そのものやその会計処理についての“ロジック、技術的な問題” ではない。

2.第二の制約 金融ビジネスの側の制約

資産運用
(画像=tsyhun/Shutterstock.com)

証券会社、銀行、投資顧問会社、コンサルティング会社などに至るまで、投資家にサービスを提供しているビジネスは多岐にわたる。

もしも彼らが存在しなかったら、公益法人の資産運用は大変不便になるに違いない。資産運用に熟練していようが、していまいが、法人の担当者は証券会社など金融機関からの情報や商品提案を受けられなくなる。直近のアンケート調査によれば、彼らからの情報や商品提案を参考にして資産運用しているとする法人は少なくとも7割にのぼることは先に紹介したとおりである。投資顧問会社もなければ、気軽に分散投資できるETFや投資信託、そのほかの運用委託や助言サービスも利用できない。法人の担当者が自らインターネットなどで情報収集して、ネット証券で自分の判断で、個別の債券、REIT、株式を取得・管理する姿を想像できるだろうか?

このように、証券会社、銀行、投資顧問会社、コンサルティング会社などがあるおかげで、法人の意思決定が直接的あるいは間接的に随分と助けられているのは否めないのである。と同時に、彼らが提供している投資家サービスの根底には動かしがたい制約があり、それらが悪いほうに作用すれば、投資家の利益を不当に損ねるリスクがあることを常に心にとどめておくべきだと考える。

一言でいえば、金融ビジネスの側の制約とは、証券会社、銀行、投資顧問会社、コンサルティング会社の提供する投資家サービスの収益の源泉は、全て投資家側が支払うコストで成り立っていることである。

◆金融機関等による「顧客本位の業務運営」
 (フィデューシャリー・デューティー)の確立と定着
……資金提供者と資金調達者との間に立って金融商品の販売、助言、商品開発、資産管理、運用等を行う金融機関等の側においても顧客本位の業務運営が行われることが重要である。すなわち、金融機関等が……顧客の利益に適う金融商品・サービスを提供するためのベスト・プラクティスを不断に追求することが求められる。

フィデューシャリー・デューティーの概念は、しばしば、信託契約等に基づく受託者が負うべき義務を指すものとして用いられてきたが、近時ではより広く、他者の信任に応えるべく一定の任務を遂行する者が負うべく幅広い様々な役割・責任の総称として用いる動きが広がっており、我が国においてもこうした動きを広く定着・浸透させていくことが必要である。すなわち、金融商品の販売、助言、商品開発、資産管理、運用等のインベストメント・チェーンに含まれる全ての金融機関等において、顧客本位の業務運営(最終的な資金供給者・受益者の利益を第一に考えた業務運営)を行うべきとのプリンシプルが共有され、実行されていく必要がある。

運用機関: 顧客本位の活動を確保するためのガバナンス強化、運用力の向上(運用人材の確保・育成)等、顧客のニーズや利益に適う商品の提供等

販売会社: 顧客本位の販売商品の選定・提案、顧客本位の経営姿勢と整合的な業績評価、顧客本位の取組みの自主的な開示、商品のリスクの所在等の説明(資料)の改善、顧客が直接・間接に支払う手数料率(額)及びそれがいかなるサービスの対価なのかの明確化、これらを通じた顧客 との間の利益相反や情報の非対称性の排除(情報提供の充実)等

*金融庁 平成28事務年度行政方針(平成28年10月)P10~P11より抜粋

2-1 フィデュシャリー・デューティー(fiduciary duty 受託者責任)

上記は平成28年10月に金融庁が発表した平成28事務年度の行政指針の抜粋である。金融商品の販売、助言、商品開発、資産管理、運用等を行う金融機関等の側における顧客本位の業務運営(フィデュシャリー・デューティー)の確立と定着を指針としている。

裏返せば、金融機関等においては顧客本位の業務運営(フィデュシャリー・デューティー)はいまだ確立、定着していないと金融庁が認めているのである。

なぜなのか?それは先に述べた金融ビジネスの側の制約に由来すると考える。つまり、証券会社、銀行、投資顧問会社、コンサルティング会社の提供する投資家サービスの収益の源泉は、全て投資家側が支払うコストで成り立っている構造に由来すると考える。

2-2 金融ビジネスの側の制約

証券会社、銀行は金融商品の販売会社である。すなわち自社の取り扱う金融商品を投資家に販売(あるいは売買)することから利益が発生している(あるいは投資信託の信託報酬やSMA、ファンドラップなどの勧誘販売をきっかけとした預かり資産から発生している)。また、投資顧問会社 は自社が運用管理する投資家の資産から利益が発生している。投資助言会社やコンサルティング会社は投資家に請求する助言料やコンサル料によって利益を得ている。

これらを総称した金融機関等は皆、投資家の利益を最優先して行動することが求められる(受託者責任、フィデュシャリー・デューティー=fiduciary duty)。

しかし、同時にこれらの金融機関等は全て、投資家が直接的/間接的及び明示的/非明示的に支払っているコストによって成り立っており、かつ、どのようにすれば金融機関等の側の利益が増えていくのかという一定のルールが存在するのである。

2-3 金融ビジネスのインセンティブ、バイアス(利益相反や不当なコスト請求が生まれる構造)

投資家のコスト=金融機関等の利益という構造や、一定の利益・報酬ルールがあることは、サービスを必要とする投資家と必要なサービスを提供する金融機関等がバランスして共存していくためにも必要であり、それ自体が問題ではない。

問題なのは、それが極めてビジネス・ライクなインセンティブ、バイアスをいとも簡単に引き起こしてしまうことである。商売としては、売れるか/売れないか、儲かるか/儲からないか、お金を集めるか/集めないか、長期契約か/短期契約か、それぞれどちらが良いか聞かれた時、経営者や営業部門はどちらを選ぶだろうか? 想像してみるとよい。

すなわち、投資家にコストをなるべく多く、なるべく長く、なるべく気づかれないように支払わせようとするインセンティブ、バイアスを簡単に引き起こしてしまうのである。

金融庁が指摘している金融機関等の利益を優先し、顧客(投資家)の利益をあまり顧みない金融商品やサービス、利益相反、エージェンシー問題などの本源は全てここにあると考える。

2-4 ビジネス・ライクな金融サービスにおける関係式

ビジネス・ライクなインセンティブ、バイアスに支配されてしまった金融サービスは、比較的顕著な特徴を持ち、かつ、それに固執する傾向がある。

(a)単純なもの、透明なものよりも、(b)複雑なもの、不透明なもの(専門性を誇示できるもの)を推奨されるケースが多いのではないだろうか?また、(α)明示的/非明示的なコストが安いものよりも(β)明示的/非明示的なコストが高いもの(高いコストを請求する理由づけができるもの)を推奨されるケースが多いのではないだろうか?

一般に、金融商品、金融サービスにおいては、だいたい(a)=(α)、(b)=(β)の関係式が成り立つことが多い。例えば、国債やETFは構造が単純でコストが安い一方、仕組債やSMA、ファンドラップは複雑でプロの高い専門性から生みだされたと喧伝され、明示的/非明示的なコスト は高いというような分かりやすい関係が、金融商品、金融サービスのいたるところに存在している。

つまり、ビジネス・ライクなインセンティブ、バイアスに支配されてしまった金融サービスにおいては、(b)複雑なもの、不透明なもの(専門性を誇示できるもの)の方が、(β)明示的/非明示的なコストが高いもの(高いコストを請求する理由づけができるもの)なので、こちらを推奨したがる。一方、(α)明示的/非明示的なコストが安い(a)単純なもの、透明なものはほとんど推奨されない。(b)(β)>(a)(α)の関係式が彼らの行動に顕著に表れるようになるのである。

(1)事例1:国債ラダー運用
今となっては、あまりにも利回りが低くなりすぎて、実際に新たに取得するのには躊躇される環境ではあるが、あえて皆さんに一度お聞きしてみたい。これまでの過去に国債などの公債でラダー運用をしていた、あるいは現在もそのようなラダーポートフォリオを保有中であるという法人はどれくらいの割合で存在するだろうか?

おそらく、現在もそのようなラダーポートフォリオで運用できている法人は非常に少ないのではないかと予想する。むしろ、これまでも一度として、そのようなラダーポートフォリオを保有したことがないという法人も相当な割合であるのではないだろうか。

5年前のB法人もそれまで一度も国債などの公債でラダー運用をしたことがない法人だった。資産構成をみると、およそ仕組債40%、社債30%、投資信託30%というものだった(図表3-4)。

資産運用
資産運用

新たなポートフォリオに改善していくために国債を取得した際に、“いままで国債を購入したことがなかった。うまく取引できるか緊張した” と当時の専務理事が語ったのを鮮明に覚えている。

多くの金融機関が取り扱い、取引価格に競争原理が働く国債は、①投資家が希望する年限の銘柄を決める、②複数の金融機関に同じ銘柄の価格を同じ時間に引き合う、③一番安い(利回りの高い)価格を提示したところから買う、ことがいつでもできる(同じように売却することもできる)。

そのようなことを知らない法人は、受け身で金融機関からの情報や提案に対応するしかない。ある意味で、こんな受け身の姿勢の方が運用担当にとっても楽なのかもしれない。国債と異なり、社債、サムライ債、ユーロ円債、劣後債、仕組債、外貨建て社債などは取り扱う金融機関が限定あるいは絞り込まれる、そこに取引価格の競争原理は生まれにくい。取引価格に含まれ、投資家が負担する非明示的なコストは金融機関の側が主導権を握ることになる。

5年前のB法人の運用内容はそれを物語っている。知らない投資家、受け身な投資家のポートフォリオは、取り扱い金融機関が限定あるいは絞り込まれる=競争原理が働きにくい金融商品が占めるという運用内容になりやすいのである。

一方、国債の取引は投資家の側からアクションを起こさなければ進まないことが多いようだ。時には、金融機関に対して、強く国債購入の意志を示す必要もある模様である。“国債は利回りが低いですよ。もっと期間が短くて、利回りが高い債券がほかにありますよ” と言われて、グラつく投資家は国債にたどり着けないかもしれないのである。

(2)事例2:ETF(上場投資信託)
勉強会などでETF(上場投資信託)の話をすると、“初めて聞いた” “そんなものが存在するとは知らなかった” “金融機関からも勧められたことがない” という反応が必ず返ってくる。

5年前のB法人も全く同じ反応だったことを記憶している。“ETFは初めてだから、本当に大丈夫か心配だ。少しずつ様子を見ながら取得したい“と心配していたものである。それが、今では国債などの公債のラダー運用と短期社債以外は、ETFなどに代わってしまった(*短期社債は、昔から持っていて、償還を待って為替ヘッジ外債ETFなどに再投資の予定)。

ETFは投資信託の一種であるが、①証券取引所に上場しているので多くの金融機関が取り扱い、取引価格の競争原理が働く。しかも②株式と同程度の手数料は必要となるが、一般の投資信託、SMA、ファンドラップと異なり、金融機関に支払う管理報酬などのランニングコストが生じない(ただし、ETFを運用する運用会社へのランニングコストは一般の投資信託と同様に生じる。要するに、金融機関に支払う管理報酬などが発生しない分、ランニングコストは投資信託、SMA、ファンドラップの約1/2~1/10以下にもなる)。

5年前のB法人の運用内容は、知らない投資家、受け身な投資家のポートフォリオがどのように方向づけられやすいかを示している。

一方、ETFの取引は投資家の側からアクションを起こさなければ進まない。時には、金融機関に対して、強くETF購入の意志と具体的な取引方法までを指示する必要もあるもようである。“ETFはリスクが高いですよ。もっと確実で、有利な金融商品がほかにありますよ” と言われて、グラつく投資家はETFにはたどり着けないかもしれないのである。

(3)事例3:専門的・プロフェッショナルという権威(情報の非対称性、情報格差の利用)
先ほどの金融庁の平成28事務年度行政方針の最後の部分に、「情報の非対称性の排除」という文言があったことに気づかれたであろうか。

情報の非対称性とは、金融機関等の側が知っていることを投資家の側が知らない状態、情報格差があることを指す。先ほどの国債ラダー運用やETFの事例もその一つであろう。

投資家の側が知り、理解できる状態まで金融機関の側が歩み寄らない状態は、金融庁も問題視しているところである。しかしながら、そのような情報の非対称性、格差を堂々と作り上げ、維持することに役立つ手法がある。しかも、投資家の利益に寄与するという“衣” をまとっているのである。

それが金融商品やサービスの権威、専門性を誇示することなのである。それによって常に、専門・プロフェッショナルな金融機関サイドvs 専門・プロフェッショナルでない投資家サイド、という非対称性、格差を堂々と作り上げ、それを維持することができるのである。

投資家側がその専門性と同等まで知識を高めるまで非対称性、格差は埋まらない。しかしながら、自らを専門家レベルにまで引き上げようとする投資家と、専門家を信じ、お任せしようと思う投資家とでは、どちらが多そうか考えてみるとよい。

卓越した実績を誇るファンドマネージャーによる運用、アナリストが厳選、モニターするファンドによる運用、最新のテクノロジーから生まれた債券、ポートフォリオ、金融工学を駆使して生まれた金融商品などから始まり、大手金融機関であるという立場そのものや信用格付けやファンド・レーティングに至るまで、金融サービスの世界は専門性とプロフェッショナルの権威にあふれているのである。

(4)事例4:コンサルティング会社
例えば、コンサルティング会社のアドバイスによく見かけられるケースであるが、彼らは優れた運用会社の優れたファンドマネージャーなどが運用するファンドを投資家に推奨したがる傾向がある(つまり、優れたファンドマネージャーなどのスキルによって好成績を狙うというアクティブ運用を推奨したがる)。

なぜなら、そういった運用会社やファンドマネージャーなどを見極められることが、投資家に対して、彼らの専門性を引き立たせることを知っているからである。投資家は優れた運用会社やファンドマネージャーなどを見極めることなどできない。だから、コンサルティング会社の言うことに依存することになり、以降、運用モニター、評価(A、B、Cなどのレーティングされる)に至るまで、コンサルティング会社がいないと何も判断できなくなる。このような依存関係が出来上がれば、投資家とコンサルティング会社との契約は長期になりやすい(契約解除されにくくなる。推奨したファンドがうまくいかなかった時の“言い訳” も、彼らは非常に上手に用意してくれるので、組織に説明しなければいけない運用担当者は大助かりなのである)。

一通りの説明と定期的なフォローは行われるが、運用哲学や運用手法などの細部の専門知識は投資家が聞いてもほとんど理解できないし、以後も理解できるようになることはまずない。投資家が認識できるのは、実績などを示す数字と彼らが評価するA、B、Cというレーティング記号ぐらい であろう。

2-5 金融ビジネスの側の制約と「旧来型の資産運用」、「新しい資産運用モデル」

A法人の運用内容が、実体は複雑怪奇な“債券もどき” な金融商品である仕組債投資に傾倒してしまったのは、先の組織的に人的な制約、会計・決算の制約にも原因はあるが、このような金融ビジネスの側の制約も大きく作用しているのではないだろうか。特に、知らない投資家、受け身な投資家に対して金融ビジネスはどのように振るまいがちなのか、金融庁も危惧していることは先に述べたとおりである。

一方、B法人のポートフォリオは結果的に、構造が単純なもの・透明なもの、明示的/非明示的なコストが安いものでほとんどが構成されている(預金・国債、オーソドックスなETFなど)。

まずは、このように構造が単純で透明性が高く、コストが安い運用内容を基礎、ベースとすることは、特に法人の資産運用においては非常に重要である。なぜなら、法人の能力、理解の及ぶ範囲に運用内容、管理方法をとどめておくことは、説明責任が求められる組織の資産運用の大前提だからである。

国債などとETFを組み合わせて、世界経済に連動を目指すポートフォリオで運用するというコンセプトであれば、ぎりぎり、普通の公益法人の役職員でもその能力と理解の及ぶ範囲にとどめられるのではないかと考える。

大事なことは、本当のところは何も分かっていないのに、分かったつもりになって、あるいは専門家を過信、丸投げするかたちで、いきなり複雑なもの、不透明なもの(専門性を誇示できるもの)、明示的/非明示的なコストが高いものに誘導されないことである。

将来、プロのスペシャリティ、高い専門性、独自性、裁量などを含む金融商品やサービスについても、法人の側の能力、理解を超えることがなくなった時点で、吟味して、ポートフォリオに付加していくのは、全く構わないと考える。

(1)最後に
最後に、誤解を招くことがないよう断っておきたい。複雑なもの、不透明なもの(専門性を誇示できるもの)、明示的/非明示的なコストが高いものを全面的に否定しているわけではない。数は非常に少ないが、中には長期間にわたって、比較的高いコストにも見合う利益を投資家に還元している金融商品、サービスは存在する(ただし、投資を行う前の時点で、それを見極めることはとても難しい)。

また、金融機関等の経営者や営業部門、コンサルティング会社の全てがここで指摘したような振るまいをしているわけではない(顧客本位の業務運営(フィデュシャリー・デューティー)を常に実践している営業担当やコンサルタントも存在する。ただし、そのような営業担当やコンサルタントに出会うことは、投資家が思っているほど、簡単ではない)。

3.第三の制約 資産運用の世界の制約

資産運用
(画像=tadamichi/Shutterstock.com)

資産運用とは切っても切り離せない制約について解説したい。どれも当たり前の常識的なことではあるが、運用担当という立場になったとたんに、これらの制約を無視した行動、意思決定に流されることが往々に起きてしまう。

3-1 何が起こるかは誰にもわからない(資産運用の世界の制約 その1)

地震などの自然災害は、いつ、どこで起こるかは全く分からない。このことは素人である一般庶民も、高名でその道の権威と考えられている地震学者や研究者においてもほとんど同じである。その道の権威が行なう地震予知なども、それがズバリ的中することなどほとんどない。頻発する地震などの全てを的中させることなどあり得ないだろう。

また、一旦、地震などの自然災害が起こると、我々の期待や願望を全く顧みない非情、冷徹な結果を引き起こす。被害を軽減したり、自分の身を守ったりするための唯一の方法は、常日頃から備えておく以外にない。これは素人、一般庶民であろうが、その道の専門家であろうが、同じである。

資産運用の世界で繰り返されている現象も、地震などの自然災害の場合での我々の見識がほとんどそのまま当てはまる。いつ、どの銘柄(発行体)、市場で何が起こるか(何事も起きないか/デフォルトするか、上がるか/下がるか/横ばいか、暴騰するか/暴落するか)は絶対に分からない、 予測不可能である。

資産運用

それらについて洞察する能力は、資産運用の熟練者だと思っていようが/思ってなかろうが、さらに権威ある専門家と考えられているアナリスト/エコノミスト/大手金融機関格付け会社/評論家/新聞/ニュース/その他のメディア、全て“地震予知” 程度の価値しかないと思った方がよい。参考意見の一つにするのは構わないが、それらに依存して、資産運用の成否まで重ねる行動を取ってしまうのは軽率であり、賢明とはいえない。

(1)「旧来型の資産運用」にありがちな対応(東電、金融機関発行債券の事例)
資産運用の世界では、いつ何が起こるかは誰にもわからない。冷静に考えてみれば、当たり前の常識的なことではある。しかしながら、「旧来型の資産運用」では、運用担当という立場になったとたんに、このような制約を無視して行動してしまう。

A法人の仕組債投資もそうであるが、社債、サムライ債、ユーロ円債、劣後債、仕組債、外債、REIT、株式などの個別銘柄を次々と取得していく。しかも、往々にしてそれらは似たような発行体ばかりだったりする。為替市場や株式市場、個々の発行体や特定の業種について、いつ何が起こるかは誰にもわからないのに、である。

印象的な事例がある。2010年10月にある法人から東電株式の公募増資の株式の購入を相談されたことがある。今はやりの高配当利回り株式、資産株投資のような案件である。結果、その企業に何かあった場合のリスクの大きさに対して、せいぜい数%の配当利回りは見合わないという理由で見送ったわけである。その後の経緯は、皆さんもご存じのとおりである。

東電はもちろん、全ての電力株が暴落、高利回り株から無配に転落、全ての電力債も暴落した。投資家にとってみれば、倒産、整理に至っていないだけ、“まだ、まし” な事例ともいえる。

転じて、多くの法人の債券ポートフォリオをみると、発行体はほとんど金融機関ばかりである。個別の信用リスクは言わずもがなであるが、同業種、似たような発行体の塊になっている。これまで幾度も周期的に繰り返してきた金融危機が次にめぐってきた時には、きっと肝を冷やすに違いない。

(2)「新しい資産運用モデル」の対応(何が起こるかは誰にもわからない前提で備える)
結局、地震などの自然災害に備えた防災、減災の取り組みと同様、投資家が事前に出来る最善の対応は、金融危機などの非常時を想定して、可能な限りダメージを小さくするよう平素から備えておくぐらいしか出来ないのである。残念ながら、それが唯一残された、最も現実的かつ賢明なやり方なのである。いつ何か起こるか誰も知ることができないのであれば、いつ起こっても慌てないよう平素から準備しておく。自らの投資判断はもちろん、専門家、メディアの情報も絶対的な基準になり得ないのであれば、それらに勝りそうな基準で資産運用を行なえばよいのである。

「新しい資産運用モデル」では、何が起こるかは誰にもわからない。最悪の事態はいつだって起こり得るという前提で考える。だから、B法人では、国債等を除き、個別銘柄投資は行わない(あるいは厳しく制限する)。代わりにETFなどを利用して徹底的に分散投資を行う。ポートフォリオ 全体で“世界経済” に近似させて分散投資しておけば、金融危機や経済恐慌などが起こり、最大級の下落に見舞われるかもしれないが、資産運用の“種火” まで消してしまう確率は極めて低くしておけると考えている。個別銘柄や特定業種への偏重運用と異なり、運用資産の“息の根” まで止めてしまわないようにと考えるのである。

そして、最悪の事態についても常に具体的にイメージしている。過去最大級の価格下落に見舞われたリーマンショック時に、同様の資産配分比率のポートフォリオはどの程度下落したかを一つの目安としている。現在運用中のポートフォリオの時価総額にそれを当てはめて、具体的な下落率や含み損の金額の目安を平素から確認しておくことで、来たる最悪の事態に備えているのである。

3-2 簡単に陳腐化してしまう(資産運用の世界の制約 その2)

(1)公益法人の資産運用の長い歴史と金融商品ビックバン
公益法人の資産運用は長い歴史の中で脈々と続いてきた。そして、今後も半永久的に続いていくに違いない。そんな資産運用の中身、金融商品や運用に関連する環境やテーマは変遷を繰り返してきた。

この20年間ぐらいをみても、預金・国債から社債へ、サムライ債・劣後債へ、また日経リンク債や為替仕組債へと公益法人が運用対象を変遷させてきた歴史については、先に紹介したとおりである。今後はその変化のスピードが加速していくのではないかと思われる。

しかしながら、今のように変遷を繰り返し始めたのは、つい最近のことで、その昔は変化が緩やかな時代がずっと続いていた。長い間、公益法人が預金と国債を中心に運用してきたのはなぜだろう? 安全確実だからという理由だけだろうか? もう一つの大きな理由は、運用手段として預金と国債ぐらいしかほとんど存在しない時代が長く続いたということではないだろうか。

国債は昔から投資家の身近に存在していた。しかし、かつては企業の資金調達は銀行借り入れが中心だったので、社債を発行して資金調達をするのは、一部の国営企業債、電力債と今はなき金融債以外を除いて、ほとんど存在していなかった。運用対象は預金、国債、上場株式ぐらいしか実質的にはなかったのである。これは高度成長期の間もほぼ、ずっと続いた。

一般の上場企業の社債発行が顕著になり始めたのは1980年代のバブルの時代前後からそれ以降である。一部の国営企業債、電力債と金融債発行が認められていた銀行以外にも、多様な企業の発行する様々な種類の債券が投資対象として加わり始めた。今はお目にかからないが転換社債やワラント債などが流行った時期でもある。

やがて、海外の発行体が円建てで発行するサムライ債、ユーロ円債、外貨建ての国債や社債も取得しようと思えば容易になっていき、運用手段の選択肢はさらに増えていく。昔は金融機関の発行債券と言えば、今はなき長信銀などが発行する金融債だけだったが、その他のいろいろな大手金融機関も普通社債、劣後債、永久劣後債などの大量発行を続けるようになり、数多の外国の金融機関が発行する債券とともに、法人の前に溢れるようになった。

さらに1990年代後半からは、デュアル債(元本は円、利子は外貨あるいは、元本は外貨、利子は円で支払われるという債券、のちの為替仕組債の原型のようなもの)、EB債(他社株転換可能債)、日経リンク債、為替仕組債、クレジットリンク債、さらには仕組み預金、デリバティブを組込んだ特殊な投資対象まで出現してしまった。

投資信託やファンドも、かつては満期を定めた単位型投信や今では出会わなくなった金銭信託、貸付信託など、種類も非常に限られていた。それが、MMFや各種追加型投資信託が爆発的に増えた。それら追加型投資信託の中身については、毎月分配型投信やデリバティブを使った通貨選択型 投信(二階建て、三階建て投信とも呼ばれる)が一世を風靡したかと思えば、IT関連、BRICS・中国関連、シェールガス・新エネルギー関連、環境関連、AI・自動運転・フィンテック関連など様々なテーマの投信が次々と現れ、栄枯盛衰を繰り返している。最近ではSMA、ファンドラップ、ロボアドバイザーなどの投資運用サービスが盛んに喧伝されている。

(2)金融商品ビックバンの背景と教訓
このように、法人が利用できる運用手段は、経済的な時代背景、産業界(それ自体の動向とそれに対する政策)、金融界(それ自体の動向とそれに対する政策)に深い関係があるのである。過去から現在までの流れを一言でいえば、規制から自由化・多様化の流れといえる。この大きな流れは止むどころか加速しそうである。だから、法人の資産運用を取り巻く金融商品や運用に関連する環境やテーマとその変化のスピードも加速していくと思われる。今後もいろいろな発行体の有価証券、様々な種類の有価証券、投資運用サービス、情報が次々とものすごいスピードで法人の前に現れ続けるに違いないのである。

今も昔も名実ともに変わらないのは預金、国債ぐらいのものであろうか(利回りは随分変わってしまったが)。上場株式も昔からあるが、発行体によっては随分と変わってしまっている。これは社債の発行体も同じである。消えてなくなった発行体、凋落してしまった発行体も数知れない。

金融債はスキームとしてもなくなったし、その発行体のほとんどが現存しない。転換社債やワラント債というスキームもわずかに残るだけ。金融機関発行の劣後債、永久劣後債というスキームの盛衰も今後の金融行政と金融機関本体の体力次第である。特に、仕組債などデリバティブを組込んだ金融商品は栄枯盛衰が激しい。投資家の利便性を考えた場合に、恐らく今のスキームの仕組債は衰退していくであろう。ただし、デリバティブを組込んだ別の金融商品に形を変えながら、生きながらえる可能性は非常に高い。

単位型投信やMMFも姿を消した(ただし、法人の分配金収益計上ニーズから単位型投信を復活させようとする動きも最近あるようだ)。追加型投信の中身は毎月分配からAI・自動運転・フィンテック関連に至るまでテーマが激しく変わり続け、栄枯盛衰を繰り返している。

つまり、資産運用と金融商品および、そのテーマは栄枯盛衰を繰り返す、そのほとんどが簡単に陳腐化してしまうということである。そして問題は、このような中、法人は何をよりどころとして資産運用に当たるべきかである。

(3)「旧来型の資産運用」にありがちな対応
ひょっとして、超消極的な「旧来型の資産運用」を行う法人は、栄枯盛衰を繰り返すことや、簡単に陳腐化してしまうことに薄々気が付いているのかもしれない。だから、目の前にどんな金融商品が現れようと預金と国債を選択する。直感的にこの2つは時代を超える普遍的な価値があると感じ取っているのかもしれない(収益性は無視することになるが)。

一方、積極的な「旧来型の資産運用」を行う法人は、常に“良い商品”を探している。次々目の前に現れる商品の情報収集、精査に勤しみ、時間と労力を割く。その中で良さそうなものを自分で、あるいは誰かと相談して決める。ただ、そうやって取得した金融商品が時代を超える普遍的な価値があるかまでは考えが至っていない。目先をしのげれば、それで良いのである。そういった目先しのぎの運用を行っているうちに、結果、陳腐化に陥る金融商品をいくつも掴んでしまうことになる。A法人の仕組債投資などは、それの典型例のひとつにすぎないのである。

(4)「新しい資産運用モデル」の対応(なるべく普遍性のある資産内容に保つことに腐心)
「新しい資産運用モデル」は普遍的な資産を運用の中核とすることを常に念頭においている。流行り廃れが付きものの個々の発行体や、短期的な為替変動や株価変動などを超越したいと考えている。そのために、世界の債券、REIT、株式市場全体を運用資産に組み込みたいと考えている。そして、それらの市場全体から生じる利子配当を期間収入として安定的に受け取りたいと思っている。

だから、B法人は国債などとともに、オーソドックスなETFを使って世界の債券、REIT、株式市場全体を複製して保有しようとしているわけである。

さらに、政治、経済、金融市場の動向の変化(時には大変動)、それらに伴う様々なニュース、専門家の意見を注視、参考にはするが、それらによって今の運用内容をドラスティックに変えることはこれまで一度もなかったし、将来もないと考えている。

3-3 決してコントロールできない(資産運用の世界の制約 その3)

「“ 自分にコントロールできることと、できないことを分ける。コントロールできないことに関心を持ってはいけない」。ルーキーイヤーの松井の言葉だ。”

“ヤンキース入団直後に不振だったころ、厳しいニューヨークのメディアについて聞くと、松井は「気になりません。記者が書くことは僕にはコントロールできません。コントロールできないことには関心を持ちません」と答えた。”

“イチローも、打率争いについて尋ねたとき「愚問ですね。他の打者の成績は僕には制御できない。意識することはありません」と話した。”

2014. 1, 28朝日新聞「EYE 西村欣也/田中にバトン 超一流の処世術」より

一流のアスリートの言う“コントロールできること、できないことを分ける。コントロール出来ないことに関心を持たない(コントロールできることだけに焦点を当てる)。” という教訓は、資産運用の世界にもそのまま当てはまる(上記)。

相場が上がるか、下がるか、個々の発行体が期待どおりの業績、格付け、利払い、償還を維持してくれるかについて、投資家の側からコントロールできることは何もない。これらに関してはっきり言えば、投資家側のどんな“精緻な見通し” “慎重な監視・管理” も無意味なのである。できることが有るとすれば、投資するか(続けるか)/しないか(やめるか)だけである。間違っていた場合に被る復元困難なダメージに陥るリスクはとても大きい。運よく間違っていなかった場合のリターンを遥かに上回る。大きなリスクに対して、僅かなリターンでは釣り合わない、見合わないのである。

(1)出来ないことのコントロールを試みるような「旧来型の資産運用」
「旧来型の資産運用」を行う法人が、うまくいき続けるための条件は、相場が上がるか、下がるか、個々の発行体が期待どおりの業績、格付け、利払い、償還を維持してくれるかについて、①コントロールすることが出来ているか、あるいは②幸運が起こり続けるか、のどちらかである。もしも、これまではうまくいっていると言うのであれば、それは①が原因でなく、たまたま②だった可能性が高いと思った方がよい。

当たり前の常識的なことではあるが、相場が上がるか、下がるか、個々の発行体がどうなるかを投資家の側がコントロールできるものかどうか、冷静に考えてみればよい。

しかし、運用担当という立場になったとたんに、このような制約を無視した意思決定をしてしまう。あるいは制約を無視して、自分の能力を過信するようになってしまうのである。

仕組債に傾倒してしまったA法人は、まさか①為替変動をコントロールできると真剣に考えていたとは思えない。むしろ、②自分なら為替変動を予測できると運用担当が過信に陥っていたか、③為替変動はそんなには悪い方向に転ばないだろうと淡い幸運を祈っていたかのどちらかであろう。

いずれにしろ、やっている行為は、結果的に「①為替変動をコントロールしようとしている」ことに等しいのである。

(2)「新しい資産運用モデル」の対応(コントロールできることだけに集中)
一方、「新しい資産運用モデル」では最初から、相場が上がるか、下がるか、個々の発行体が期待どおりの業績、格付け、利払い、償還を維持してくれるかは、決してコントロール出来ないというスタンスである。そんなことで成否が決まる資産運用とは最初から決別したいと考えている。だから、コントロールできないことには一切関わらず、コントロールできることだけにフォーカスして運用を組み立てる。

コントロールできることは2つしかない。①あらかじめ資産を分散することと、②あらかじめ資産配分比率を決めること、だけである。

B法人がETFを使って世界の債券、REIT、株式市場全体に分散投資して、あらかじめ決めた資産配分比率に従って運用管理を行っている理由は、コントロールできることだけにフォーカスするためである。

4.まとめ

図表3-7に総括しているように、公益法人の資産運用には、それを取り巻いている3つの制約が存在している。

資産運用

そして、それらの制約は、A法人のような「旧来型の資産運用=個別銘柄・金融商品オリエンテッド・モデル」がなぜ、過去において生まれ、現在に至るまでその形式をとどめているのかに深く関係しているのである。

しかしながら、今日「旧来型の資産運用=個別銘柄・金融商品オリエンテッド・モデル」は金属疲労をおこしている。もはや3つの制約の中で、うまく適応し、機能しなくなってきているのである。それは、平均的な公益法人とその役職員の理解、管理能力の限度をはるかに超え始めたばかりでなく、法人そもそもの運用目標や、会計・決算とも矛盾する結果を招くようになったのである。

そして、今と同じ環境条件で、平均的な公益法人とその役職員でも、うまく適応し、機能させることができるとしたら、もう一方の「新しい資産運用モデル=分散投資・資産配分比率オリエンテッド・モデル」しか見当たらない。

つまり、非常に( あるいは非情に) 不確実かつ目まぐるしく変わり続ける経済・金融の世界の中で、普通の公益法人の役職員が、①その本質まである程度理解でき、一定の規律に従って管理が可能な範囲に運用内容をギリギリとどめられる、②保守的な運用内容を保ちつつ、損切りやロスカットを避けながら、利子配当収入で期間収益を安定的に達成していくためには、この「新しい資産運用モデル=分散投資・資産配分比率オリエンテッド・モデル」しか、残念ながらほかに見当たらないのである。

新しい公益法人・一般法人の資産運用
『新しい公益法人・一般法人の資産運用』
太田 達男(序)・梅本 洋一
出版社名:公益財団法人 公益法人協会
公益法人協会が行った資産運用アンケート調査結果を徹底分析し、公益法人の資産運用の現状を踏まえた「新しい運用モデル」について、具体的な運用事例をもとに、分かりやすく解説しています。 豊富な図表や読みものとしてのコラムを盛り込み、知識だけでなく、資産運用の原理原則、理論とその歴史的な背景から、理解できるようになっています。 平易で分かりやすい言葉で書かれており、公益法人・学校法人の運用担当の役職員には勿論、法人アドバイザーにも向けた一冊です。

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