(本記事は、齋藤 孝氏の著書『100年後まで残したい日本人のすごい名言』=アスコム出版、2019年7月26日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
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なまけ者になりなさい。ーー水木しげる
後世まで名を残すような、大きな仕事をする人の中には「自分は怠け者だった」という人が少なからずいます。若い頃からさぞや熱心に学び続けてきたのだろうと思うと、そんなこともないと言うのです。言ってみれば、本質的なことに集中するため、どうでもいいことにはエネルギーを使ってこなかったということでしょう。それは本人にとって本質的でないだけで、周りには「重要なこと」に見えている場合もあります。たとえば、集団の規律を守るとか宿題をするとかは、重要なことと認識されます。とくに日本では、人から言われたことや世間から期待されていることを丁寧にやる人を評価する風潮があります。
一方、自分の好奇心を優先し、主体的に見つけた課題に対してだけエネルギーを投入していく生き方というのは、一見「不真面目」かもしれません。でも、そうやってエネルギーを一気にそそいで行うから、大きな仕事ができるのです。
漫画界の巨匠、水木しげるはその典型。好奇心に任せて、妖怪やおばけの世界を追究して漫画にし、日本中の子どもたちに伝えました。妖怪は日本において古来から伝承されてきたものですが、現代を生きる私たちがこれほど妖怪に親しんでいるのには、間違いなく水木しげるの功績があります。怖いもの、おどろおどろしいものというだけでなく、どことなくユーモラスで親しみやすいイメージをつけてくれました。
想像を絶する苦難をかいくぐってきたなまけ者
人気アニメとなった『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌には、「たのしいな たのしいな おばけにゃ学校もしけんもなんにもない」という歌詞があります。多くの子どもたちがこの歌を口ずさみ、「おばけはいいなぁ」などと思ったりしたものです。
ここに出てくるおばけは、水木しげる自身でもあるのでしょう。よく食べ、よく寝て、吞気な水木しげるは幼少の頃言葉も遅く、小学校への入学も1年遅れにしました。入学後は毎日朝寝坊をして遅刻。算数は0点。15歳で就職しても、失敗ばかりですぐにクビ。好きなことにはわき目もふらずに熱中するから、世間並みの成績をとるためのエネルギーを残しておかなかったということかもしれません。
職を転々としながら、大好きな絵を描くことに没頭する日々が続きますが、どうにもそれを許してくれない状況になります。戦争です。水木しげるは21歳で軍隊に入隊し、ラバウルに送られました。ちょっとしたことで殴られるような厳しい軍隊での生活です。しかもラバウルは激戦地。常に死と隣り合わせの恐怖の中では、絵を描くどころではありません。爆撃で左腕も失いましたし、本当に想像を絶するような苦難を経験しているのです。
生還後、紙芝居や漫画で生計を立てますが、作品が評価されて人並みの暮らしができるようになったのは40歳を過ぎてから。『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などヒットを飛ばし、一躍人気漫画家となります。そして、93歳で亡くなるまで描き続けます。90歳を超えて新連載を始めたというのですから驚きです。
ときどきなまけ者になることが、幸福の秘訣
「なまけ者になりなさい。」は、そんな水木しげるの代表的な言葉であり、「幸福の七カ条」のうちの一つ。「幸福の七カ条」とは、水木しげる自身が世界中を旅して幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出したというものです。
幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
世間一般の成功や勝ち負けではなく、自分自身の「好き」や好奇心を大切にして生きていくあり方がよく表れている七カ条です。「努力は人を裏切らない」とよく言いますが、水木しげるは「努力は人を裏切る」と言います。努力したからといって必ず報われるわけではないし、才能があるからといってお金持ちになれるとは限らない。でも、世間から評価されなくても、好きなこと、楽しいことに熱中すること自体が喜びであり、幸せなのです。それを忘れなければ、愚痴を言うこともないし、悲壮感を漂わせることはありません。
とはいえ、ときにつらいと感じることもあるでしょう。自分の好きな道に進んでいても、なかなか評価してもらえない、努力に見合う収入につながらないことはよくあります。だから、ときどきはなまけることが必要だと言います。そうしなければ、乗り越えるパワーが湧いてきません。とくに中年期以降は愉快になまけるべきなのです。若い頃はなんとかなっても、だんだん身が持たなくなりますから。
売れっ子漫画家となって多忙を極めた水木しげるの「なまけ術」は、世界中の楽園や妖怪の棲み処を訪ねる「世界妖怪紀行」でした。面白い場所を見て回り、祭りに参加し、その地に太古から伝わる踊りがあれば、輪に加わって奇声を発したりして楽しむのです。
ダラダラと寝て過ごして、疲れをとるわけではないのですね。両目を開けていると愉快すぎて疲れてしまうから、片目をつぶって休ませることもあるのだとか。この「なまけ術」が長寿の秘訣でもあったのではないでしょうか。とにかく心から好きなこと、楽しいことに向かっているわけです。
現代を生きる私たちが疲れやすいとしたら、それは世間の評価を気にしすぎるからかもしれません。好きなことをやっていても、人の目が気になってしまう。「いいね!」の数が気になるし、フォロワーの数が気になる。そのぶんエネルギーを消耗してしまうのです。
七カ条の最後は「目に見えない世界を信じる」。自分たちだけの力で生きているわけではないという、大きな世界観です。なまけ者でちょっといいかげんなおばけや妖怪たちも一緒に暮らしているような世界で、ときどき自分もなまけながら好奇心を全開にして生きていくことができれば、とても豊かで幸福なことではないでしょうか。
「なまけ者になりなさい。」は名言年齢としては本書の最年少ながら、日本古来からの妖怪とつながっているような感じもする奥深い言葉ですね。
「サヨナラ」ダケガ人生ダーー井伏鱒二
人生は出会いの連続ですが、別れの連続でもあります。生きていればさまざまな別れを経験します。
転校、転勤、転職。恋人との別れ。別居や離婚。死別。ペットとの別れ。家に犬が来たときは、「かわいいね」くらいのものだったのが、何年も一緒に過ごしたのちにお別れのときがきたら、それはもう、大変な痛みがあります。
別れは、つらく、さみしい。しかし、別れは一種の儀式ととらえることもできます。見ないようにしたり何となくやり過ごしたりするのではなく、味わうことも人生を豊かにする技法だと思います。たとえば、卒業式を思い浮かべればわかりやすいでしょう。卒業は別れです。当然、さみしさがある。同時に、新たな人生の門出ともなる祝祭です。「さようなら」と手を振って、先生や友人たち、これまでの生活と別れ、旅立っていくのです。
私自身が小中高、大学と卒業してきたのはもちろんのこと、私は大学の教員をしていますので今も毎年卒業式を間近で見ています。卒業式はいいものです。明治大学では毎年、3月26日に日本武道館で卒業式をします。式を終えた学生が校舎に戻ってくると、私は各学生と思い出話をします。「あのとき、あんな発表をしたよね」などと話すのです。懐かしさがこみあげ、うるっときます。そして一緒に記念撮影をします。この別れのときを味わうのが、私はとても好きです。
井伏鱒二の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」は、そんな別れの祝祭的側面を感じさせてくれる名言です。
もともとは唐代の詩人、于武陵による「勧酒」という五言絶句を井伏鱒二が訳したものです。
勧酒于武陵
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
友人との別れに際し、最後の酒を酌み交わしている情景が思い浮かびますね。「さあ、遠慮するな。最後なんだから飲んでくれ」と。
後半の「花発多風雨 人生足別離」は、一般的に「花が咲けば雨が降ったり風が吹いたりするように 人生には別れがつきものだ」といったような意味にとれます。それを「花に嵐のたとえもあるぞ/『さよなら』だけが人生だ」とした井伏鱒二の訳は、まさに名訳です。この言葉でなければ、これほどまでにインパクトを与えなかったでしょう。
「『さよなら』だけが」と言いたくなるほど、人生には別れがあり、痛みがあるけれど、それをむしろ迎え撃つ言葉。別れを祝祭にする力のある言葉です。
人生を支えてくれた名言へ、寺山修司の挑戦状
この言葉を愛し、心の支えにしていた人がいます。寺山修司です。歌人、劇作家、映画監督、写真家、エッセイストなど多彩な顔を持って活躍し、若者たちの心をとらえ続けた寺山修司にとっての、最初の名言が「『さよなら』だけが人生だ」でした。『ポケットに名言を』(角川文庫)の中で︑このように言っています。
私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。
さらには、この言葉を受けて「幸福が遠すぎたら」という詩を書いています。「さよならだけが人生ならば/また来る春は何だろう」から始まり、「さよならだけが人生ならば/人生なんていりません」で締めくくるこの詩は、井伏鱒二へのアンサーソングのようなものでしょう。「さよならだけが人生ならば/人生なんていりません」というと、一見、「『さよなら』だけが人生だ」を否定しているようですが、この言葉を嚙みしめ、支えにしてきたからこそ、今度はそれを乗り越えようとする、そんな挑戦状のようにも思えます。
言葉の達人同士のハイレベルなぶつかり合いです。それほど、「『さよなら』だけが人生だ」という言葉に力があったということなのです。
別れの儀式をすることで次へ進む
「さよなら」の語源は、「左様なら」です。「左様なら(=そういうことなら)、これにてご免」といった言い方から、「左様なら」の部分が別れの挨拶になったのです。「さらば」も同じです。そう考えると、「さよなら」という言葉自体、別れの状況を受け入れる潔さや覚悟のようなものが感じられます。
人は、別れを経験するたびに強くなっていくものだと思います。卒業が一つのステップであるように、区切りをつけることで次の段階へ行けるのです。私は、ある女性が別れた男性の写真を次々に燃やす現場に立ち会ったことがあります。「本当に燃やすんだ!」と驚きましたが、彼女はそうやって区切りをつけていたわけです。好きだった人だけれど、彼は結婚することになった。「そういうことなら」と、写真を燃やした。そのメラメラと燃える様子を見ながら「ああ、これが『さよなら』だけが人生だ、なのか」と思うわけです。
人との別れだけではありません。自分の夢と決別することだってあるかもしれません。たとえばずっと歌手を目指していたけれど、違う道に進むことにした。そういうことなら、と楽譜を捨てる。別れの儀式をすることで、次へ進むのです。
人生に別れはつきもの。別れを祝祭にする「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」は、この先も私たちの心を支えてくれるに違いありません。
世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしるーー坂本龍馬
歴史上の人物の人気投票をすれば、必ずベスト3に入るスターが坂本龍馬です。小説、映画やドラマにも繰り返し取り上げられ、多くのファンがいることがうかがえます。
坂本龍馬といえば、薩長同盟に尽力したこと、大政奉還実現に向けた「船中八策」を立案したことが主な歴史的業績です。明治維新に向けた大きな活躍ではありますが、その業績に比べてもちょっと人気が高すぎるのではというくらいです。それは、生き方に憧れるからなのでしょう。龍馬は常に恐れずチャレンジし、若々しい青年の覇気を持つイメージがあります。しかも、物事をよく見ており、合理的思考も持ち合わせている。とても魅力的な人物なのです。龍馬誕生の地、高知市上町にある「龍馬の生まれたまち記念館」を訪れたとき、来館者が書くことができるノートが置いてあるので何気なく開いてみると、龍馬に対する思いが綴られていました。その文章の熱いこと。龍馬について本当によく勉強しているし、生き方に共感・憧れていることが伝わってきました。
「世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」は、龍馬が遺した言葉の中で最も有名なものの一つでしょう。「世間の人には好きなように言わせておけばいい。自分のすることは自分にしかわからない」といった意味です。人に流されず、信念を貫く龍馬の覚悟、気概にあふれた句です。
土佐藩を脱藩した龍馬は、勝海舟の弟子になります。もともと攘夷思想を持っていた龍馬は、開国派に見える勝を快く思っていませんでした。しかし、勝が語る世界情勢と日本の近代化の必要性に感服し、弟子入りするのです。「天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ」という内容の手紙を、姉の乙女に送っています。ちょっと子どもっぽさもある、かわいい手紙ですね。龍馬は旅先から乙女によく手紙を書いており、これらの書簡集を読むと龍馬の人となりが伝わってきます。
「日本を今一度せんたくいたし申し候」も有名な言葉ですが、これも乙女への手紙の中にあった表現です。長く幕藩体制でやってきたけれど、黒船がやってきて開国を迫られているような状況の中で、政治体制を入れ替えて日本を一新しなければ対応できない、ということでしょう。日本を洗濯するという言い方は面白く、龍馬はこんなふうに自分の言葉で語れる人だったのだなぁと感じます。
勝の弟子となった龍馬は、薩摩と長州という対立する藩を結び付けて、倒幕に向けて動きます。先生である勝は幕府側にいるのですが、弟子が幕府を倒すよう仕向けたのです。対立する藩を結び付けるのも並大抵のことではないし、非常に混乱した世の中です。事情を知らない人、先が見えていない人は好き勝手なことを言うに違いありません。
でも、龍馬は自分のやっていることの意義をわかっていました。だから、何と言われようといいのです。それは気概でもあるし、やわらかな心とも言えるでしょう。「自分がわかっているのだから、それでいい」という気持ちがあるわけです。
「誰もわかってくれない」を「自分だけは知っている」に
自分がやっていることを誰も理解してくれないと感じると、つらいものです。心が折れそうなときの原因をたどってみると、そういうことがままあります。しかし、「自分だけは知っている」と思えば、そうつらくもなくなります。
考えてみれば、自分だって周りの人のやっていることを本当にわかっているわけではありません。誤解していたり、よく知らずになんだかんだと言っていることもあるでしょう。「わがなすことは われのみぞしる」は、みんながそうであるはずなのです。
とくに、内側にある信念、自分の持つワールドは「われのみぞしる」くらいでちょうどいい。いたずらにダダ漏れさせて、「わかってもらえない」と傷つく必要はないと思うのです。もちろん、龍馬にとっての「姉への手紙」のように、一人の理解者にそのときどきの気持ちを伝えることができれば、それも大きな心の支えになるでしょう。
齋藤 孝
1960年静岡生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞ベスト10、草思社)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。
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