模倣的創造と権威主義の難しいバランス

先行業績を学び先人を模倣することは、創造のために不可欠です。しかし、それは、「材料」として必要なのです。それに埋もれてしまうのが、権威主義であり事大主義です。

模倣的創造と権威への盲従とは、全く別のものです。両者は、意図において本質的に異なるものなのです。模倣的創造とは、創造を目的とし、その出発点として模倣します。最終的な目的は、模倣からの脱却です。これに対して、権威主義に陥っている人々は、創造の意欲を持っていません。

しかし、現実には、模倣と創造のバランスを適切にとるのは、難しいことです。実際には、両者の差が「紙一重」であることも少なくありません。このバランスこそが、創造的作業における最重要のポイントです。

「学んで思わざれば則すなわちくらし。思うて学ばざれば則ちあやうし」という論語の教え(為政第二)は、この点を指摘したものです。これを心に刻み込み、つねに忘れないようにしましょう。

ポイント 模倣的創造と権威主義は、全く別のものだが、「紙一重」でもある。模倣と創造のバランスを適切にとることが重要。

異質なものの拒否と新しいものへの敵愾心

島国で同質な人々が多い日本では、異質なものを排除しようという考えが支配的になります。しかし、これは、発想には最悪のものです。なぜなら、新しいものは「異質なものの組み合わせ」で生じるからです。

意見を求めるなら、異質な意見の持ち主からのものが最も有効です。議論をするなら、できるだけ異質な人を参加させる必要があります。しかし、日本社会では、なかなか難しいことです。批判されるのを嫌う人が多いからです。批判されると、全人格が否定されたと感じる人が多くいます。

異質性の排除は、攘夷主義にもつながります。英語の拒否や、「アングロサクソンの支配」に対する反発も、同じ考えから生じるものでしょう。

新しい技術に対する敵愾心も、これと似た心理状態から発します。

私は、新しいものに何でも飛びつけ、といっているのではありません。また、伝統的な価値を否定するのでもありません。しかし、新しいものを「新しい」というだけの理由で否定するなら、それは進歩の拒否以外の何物でもありません。

ポイント 異質性の排除も、発想の敵。これは、外国の拒否や、新しい技術に対する敵愾心も引き起こす。

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(画像=webサイトより)

野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問/一橋大学名誉教授
1940年、東京都生まれ。63年、東京大学工学部卒業。64年、大蔵省入省。72年、イェール大学Ph.D(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2011年より現職。著書に、『「超」整理法』(中公新書)、『「超」AI整理法』(KADOKAWA)など、ベストセラー多数。(『THE21オンライン』2019年10月16日 公開)

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