「よそ者」が集まって銚子電鉄を変えてきた

銚子電鉄,竹本勝紀,寺井広樹
(画像=THE21オンライン)

──寺井さんに限らず、銚子電鉄は外部の人の力をうまく使っている印象があります。

竹本 そもそもうちは零細企業です。電車を安全に走らせるだけで、おいしい「ぬれ煎餅」を作るだけで精一杯。だからこそ、何か新しいチャレンジをするためには、外部の力を借りる必要があるのです。

寺井 銚子電鉄には人が自然と集まってくる魅力があります。営業戦略を担当されている方も別会社の社員なのですよね。

竹本 実はこの出会いもネーミングライツで、犬吠駅のネーミングライツを買っていただいた沖縄の旅行会社・OTSさんの社員の方が、こちらの仕事を手伝ってくれています。

寺井 銚子電鉄に集まるのは、どの方も地域を良くしたいという思いを持った人ばかりです。スポンサーというよりサポーター、応援団という感じです。

竹本 公式には「ネーミングライツパートナー」ですが、私は「銚電ファミリー」と呼んでいます。

前社長の横領、震災……覚悟を決め再建に邁進

──そもそも竹本社長ご自身が、プロパーではないですよね。

竹本 私は元々税理士で、銚子電鉄の顧問弁護士から「会計や税務の指導、資金調達のアドバイスをしてほしい」と依頼されたのが2005年初頭のこと。当時、銚子電鉄には顧問税理士がおらず、帳簿類もすべて手書きでした。しかもその前年、当時の社長が会社のお金を横領して逮捕され、資金繰りに支障をきたしていた。ただちに会計ソフトを導入して業務の効率化を図りつつ、資金調達に奔走しました。 ついでに鉄道イベントでぬれ煎餅の販売を手伝い、「銚子電鉄公式オンラインショップ」を立ち上げて、公式サイトからリンクを貼ってもらいました。とにかく売上げを増やさなければどうにもならない状況だったのです。

──それがどうして社長をやることになったのですか

竹本 社長の逮捕後、なんとか資金調達をし、「ぬれ煎餅」のヒットもあって、経営が軌道に乗ってきたのです。ただ、その直後に震災が来て業績が急下降。1億円あった資金はついに100万円を切ってしまいました。そんな状況下で一時的に経営のかじ取りを任されたのです。結局6年半も社長を続けていますが。