ハイブリッド軽視という判断ミス

私はエンジニアリング面においては、リーフは素晴らしい車だと思っている。走りは非常にスムーズであり、重心が下にあるため極めて安定している。EV特有の加速性も魅力であり、当時の技術力を考えればまさにベストな車に仕上がっていた。ただし、ビジネスとしては大失敗だったのだ。

これはエンジニアではなく、あくまで経営トップの判断ミスなのだ。

こうなるであろうことは、賢明な日産のマーケティングスタッフや技術陣は百も承知であり、おそらくほとんどの関係者は心の中では反対していただろう。そこに膨大な資金や技術者を投入するくらいなら、ハイブリッド車の投入を急ぐべきだった。

当時の日産にはマイルドハイブリッド車という不完全なハイブリッド車は存在していたが、まだ主要な量産車のハイブリッドモデルが投入されておらず、トヨタやホンダに大きく差をつけられていたのだ。

販売店は大混乱に

大変だったのは国内の販売店だ。ハイブリッド車の投入を心待ちにしていたのに、唐突に出てきたのが電気自動車であった。売れもしない車にノルマを与えられ、営業マンを張りつけざるを得ず、販売店は大変苦悩したという話を聞く。当然、士気にも影響しただろうし、他の車の販売にも影響が出ただろう。

日産の国内販売台数がじり貧となり、シェアも徐々に落ちていってしまったのは、リーフの影響が決して小さくないのだ。

とはいえ、ゴーン氏の神格化により、リーフの大損害は日産社内でも販売店でも半ば禁句となっていた。

国内販売を軽視したゴーン氏の負の遺産

一時期は年間150万台もの新車を売っていた日産自動車の国内新車販売台数は、最近では60万台ペースになっている。これはトヨタの半分以下で、月によってはスズキやダイハツを下回っている。かつての日産を知る者としては悲惨と言うしかない数字である。しかも、2017年の国内新車販売実績は59万1000台となっているが、タイ製のマーチ(1万4000台)と他社から供給を受けている軽自動車(18万2000台)を差し引くとわずか39万5000台。ゴーン氏以前の1995年の109万6000台から70万台も減少しているのだ。

ゴーン氏はずっと、国内市場を軽視していた節がある。スケールを求めていた同氏にとっては、より短期間に増売が図れるグローバル市場が優先だったのだろう。

だが、日本市場で成功することは、単に売上だけのメリットにとどまらない。要求レベルの高い日本のユーザーのフィードバックを得ることで、全世界で評価される製品となるからだ。

日本の開発センターはその意味で、最先端の実験の場でもある。だからこそトヨタもホンダも国内市場を重視しているし、そこで得られたノウハウが、ものづくり力の源泉となっているのだ。

国内市場を軽視したゴーン氏の姿勢は、徐々に日産の体質を蝕んでいくことになったのだ。

(『「名経営者」はどこで間違ったのか』より抜粋・再編集)

著者紹介
法木秀雄(ほうぎ・ひでお)
早稲田大学大学院商学研究科元教授/(公財)日本英語検定協会理事/八木書店ホールディングス取締役
1945年生まれ。一橋大学卒。スタンフォード大学経営大学院卒。日産自動車にて北米副社長まで務めた後、1992年退社、BMWジャパン常務、クライスラージャパンの代表取締役社長を歴任。その後、早稲田大学ビジネススクール教授に就任。シンガポールの名門大学であるNTUと早稲田大学との合弁にて、ダブルディグリーMBAプログラムを創設。サンデンホールディングスなど複数の企業の取締役を務める。

「名経営者」はどこで間違ったのか-ゴーンと日産、20年の光と影)
法木秀雄(早稲田大学ビジネススクール元教授) 発売日: 2019年10月23日
約20年に及んだ「カルロス・ゴーンの日産」は、ゴーン氏の突然の逮捕によって幕を閉じた。あれから1年、いまだ日産が混乱を続けている理由は「ゴーン氏の負の遺産」にあると著者は指摘する。
元日産自動車北米副社長。BMWジャパン、クライスラージャパンのトップ。そして早稲田大学ビジネススクール教授。そんな経歴を持つ著者だからこそ書ける「ゴーン改革の真実」とは? 成功と失敗のすべてが詰め込まれた最強のケーススタディ。(『THE21オンライン』2019年10月21日 公開)

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