なぜ、ラテラルシンキングが必要なのだろう?

学校教育はロジカルシンキング

ラテラルシンキングでは、ロジカルシンキングと違って、「唯一の正解」がありません。

だから、ラテラルシンキング的立場では、どの答えも間違いではないのです。

ところが普段、わたしたちは、ベストの答えをひとつだけ選ぶことに「慣らされて」います。

なぜでしょうか?

それは、学校で教わるのが「ロジカルシンキング」だからです。

テストで求められる正解はひとつだけ。「13 個のオレンジを3人で分けるにはどうすればいい?」という問題が出題されたら、皆さんはどう答えますか?

4つずつに分け、残りの1つを3等分にする、という方が多いかもしれませんね。

でもこんな方法もラテラルシンキングでは考えられるのです。

「ジュースにして分ける」

「余ったオレンジの種を植え、できた果実を同数ずつ分ける」

ただし、そんな解答は、学校の算数では不正解になってしまいます。

学校だけではありません。

仕事でも、いくつかの条件を考慮して、ひとつの案に絞ることを要求されます。それも、できるだけスピーディーに判断しなければいけません。

最近では、報道番組もわかりやすさを重視して、情報を単純化して伝えるようになっています。

本来、さまざまな意見や解釈が存在する社会問題も、AかBかという、わかりやすい構図でとらえようとする傾向があります。

ここでも、答えをひとつに絞ろうとするマインドが働いているのでしょう。

毎日こうした刷り込みがなされているので、わたしたちは「答えは複数存在しない」という考え方に慣らされています。

これを「正解はひとつ症候群」と呼ぶことにしましょう。

ロジカルすぎると窮屈になる

わたしたちの社会がロジカルシンキングに支配されているのは、ある意味で当然であり、仕方のないことです。

いくつもの正解を認めたり、突飛な発想ばかりを採用したりすれば、あらゆることが停滞してしまいます。

論理的に物事を進めなければ、世の中は間違いなく混乱してしまうでしょう。

ただ、発想がロジカルシンキング一辺倒になってしまうというのは、それはそれで大きな問題なのではないか。

そんなふうに思います。

先ほど、複数の答えは存在しないという意識を「正解はひとつ症候群」だと表現しました。

この症状が重くなると、どんなことが起きると思いますか?

発想が貧しくなり、アイデアの数が減ってくるのです。

それだけでなく、当たり障りのない答えを選ぼうとするため、つまらない発想しか生まれなくなるのです。

さらに、自説が正しいと信じて、他の考えをすべて否定するようになってしまうなんてことにもなりかねません。本来なら共存できるはずなのに、ひとつの考え方以外を認めなくなってしまうのです。

「正しい答えはひとつだけ。あとはすべて不正解」

これって、すごく窮屈で排他的な発想だと思いませんか?

前にも述べましたが、ラテラルとロジカルは対立するものではありません。物事を考えるときには、両者をバランス良く採用すべきなのです。

考える機会を奪っているものとは?

世の中には、考える機会を奪う「しくみ」があります。

たとえば、ルール。

ルールが決まっていれば、行動する前に自分で考え、判断する必要はありません。ただ、それに従っていればいいからです。

だから、マニュアルや取扱説明書のある仕事は、とても楽なのです。

また、固定観念も、わたしたちから考える機会を奪うものです。

固定観念とは、常識や思い込み、先入観など、ガッチリ固まってしまった思考のことです。

なかでもやっかいなのは、常識でしょう。

常識とは、圧倒的多数の人が “ 正しい” と考えている共通認識のことです。そえゆえ、常識に沿った判断をすれば、一応の「合格点」を得ることができます。

それに、よほどの例外がない限り、常識的に考えれば非難されることもありません。だから、わたしたちは、常識に頼り切って「自分で考える」ことを放棄してしまうのです。

確かに、考えるのは大変なことです。人間はもともと省力化志向にできていますから、すきあらば怠けようとします。

考えなくて済むのなら、迷わずそちらを選択して、楽をしようとする。そういう意味では、ルールや固定観念は非常に「便利」です。

しかし、ルールや固定観念は、便利な反面、やっかいな面もあります。新しいことを始めようとするときには、まったくあてにならないのです。

ルールや常識は、「すでにあるもの」をもとにしていますから、新しいものの前では、まったくの無力です。

だからわたしたちは、新しいことを始めるときには、濃い霧の中にいるかのように、手探りで進まなければなりません。

このとき役に立つのは、常識にとらわれず、複数の選択肢を検討できるラテラルシンキングなのです。

どんな変化にも対応できる思考法

今の時代、変化のスピードは驚くほど速くなっています。

たとえば、IT 業界では技術革新が目ざましく、他の業界の7年がIT 業界の1年に相当するとも言われています。

こうした環境では、今日「常識」だったことが、明日には「非常識」になってしまうことも珍しくありません。そうなると、常識的に発想するロジカルシンキングでは、太刀打ちできません。「常識」が覆されてしまえば、また一からロジックを組み立て直さなければならないからです。

その点、はじめから常識にとらわれないラテラルシンキングなら、変化に柔軟に対応することができます。

変化が速いということは、それだけチャンスが多いということでもあります。それなのに、古い常識にこだわって、ありきたりの発想から離れられないのは、もったいない。

変化を察知していち早く対処できれば、人より1歩抜きん出ることができるのです。

どうです?

楽しいと思いませんか?

ずるい考え方
木村 尚義
流通経済大学卒業後、ソフトウェア開発会社を経てOAシステム販売会社に転職。その後、外資系IT教育会社にて、それまでの経験を生かした研修を展開。2万人以上の受講者から好評を得る。従来の発想の枠を越え、常識にとらわれないビジネススタイルを「創客営業」と名付け、全国にてセミナーを実施中。株式会社創客営業研究所代表取締役・アカデミーヒルズ六本木ライブラリー個人事業研究会会長

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