昨年末におおむね合意をみた米中貿易協議は、2020年1月15日に第一段階の正式合意として結ばれた。合意自体の実体的インパクトはそれほど大きくないが、トランプ大統領が自身の再選に向けて、有利に波乱を回避していることが、株式市場では好感されているのだろう。一方で、誰の目にも、第二段階の合意に向けて米中間の厳しい問題は先送りされていることは明らかだ。それを巡って大統領選挙戦の中でトランプ大統領は所信を尋ねられるであろう。

経済
(画像=PIXTA)

合意内容の整理

すでに、日米株価には織り込み済のニュースだが、1月15日にワシントンで米中間での貿易協議について第一段階の合意を行った。合意内容は7項目に及ぶが、それ以外の論点を含めてその概略を整理しておくと、

(1) 制裁関税第4弾のうち12月15日に予定していた1,600億ドルは見送る。
(2) 第4弾のうちすでに9月1日に実施した1,200億ドル分。この1,200億ドル分は、追加関税を+15%から+7.5%に半減。
(3) 残りの第1~3弾2,500億ドル分はそのまま。
(4) 中国は2年間で2,000億ドル輸入拡大する。内訳は、工業品777億ドル、エネルギー524億ドル、農畜産品320億ドルなど。
(5) 競争的な通貨切り下げや為替レートの目標設定を自制する。
(6) 農産品の非関税障壁を削減、金融サービスは外国企業の参入障壁を削減。
(7) 知的財産権の保護強化、外国企業への技術移転の強要を禁止。

これらのインパクトは実体面では大きくない。実際に軽減されるのは、9月1日に実施した1,200億ドル分に限定される。それでも、事前に警戒されていた第4弾すべてへの制裁関税の追加がなくなり、かつ、将来的に第1~3弾までの2,500億ドルも、条件次第で引き下げられる可能性が出てきたことは、悲観から楽観への期待修正を行うシンボルとして注目される。第一段階の合意は、一時休戦によってこのまま米中経済が混乱するシナリオにひとまず区切りをつけた点が特徴である。

一時休戦の意味合い

トランプ大統領は、合意の後、「すぐに第二段階の合意に向けて交渉を始める」とした。第一段階の合意には、「中国の合意状況を監視して、政府間協議で解決できなければ関税などの罰則を行う」とあり、第二段階の交渉の行方は、今後の監視の結果次第の部分もある。従って、米中間の摩擦は流動的な側面があることは十分に注意すべきだろう。

ところで、日米株価が、制裁関税の延期・引き下げといった実体面でのインパクト以上に好感していることを具体的にどのように理解すればよいのだろうか。筆者なりの仮説を考えてみると、次の通りとなる。

(1) トランプ大統領は、選挙に注力するために外交・軍事面では波乱を起こしたくない。基本的に紆余曲折があっても混乱回避に動く(イランとの戦争回避の如く)。
(2) 米経済は好調を維持し、貿易戦争のダメージは経済全体を脅かさない。FRBも2020年内金利据置き。
(3) 米株価上昇と経済好調は、トランプ再選に向けた追い風になる。民主党のリベラル派候補が、トランプ大統領を落選させる可能性が排除されるほど、経済への悪影響は想定されなくなる。

この3つのロジックは、筆者の好き嫌いとは全く別の話である。もちろん、トランプ大統領が再選されても、将来には数多くの不確実性が待ち構えている。それでも、2016~2019年にかけて、トランプ大統領の下で波乱を経験してきたことは、経済拡大が結局は脅かされなかったという自信を与えているのだろう。この点は、「トランプ再選後の不確実性はすでに経験したことと似たものになるだろう」という安心感をもたらす。リベラル派の民主党候補が大統領になると、経験したことのない未知の不確実性に直面する。トランプ再選ならば既知、リベラル派候補ならば未知と言うと少し誇張し過ぎだろうか。未知の対象については、リスクが大きく感じられ、既知の対象はリスクがあっても経験値がある分だけリスクが小さく感じられる。

先送りされている課題

第一段階の合意が成立することは、その反面で米中間の難しい課題が第二段階以降の交渉に先送りされるという予想になる。先に、「トランプ再選ならば既知」と述べたが、正確に言えば米中間の難題にトランプ大統領が取り組むことは、やはり未知の部分が大きい。ただ、問題解決は別の大統領が処理しても未知のシナリオを辿りそうな点で同じである。おそらく、第一段階の合意が米中間で結ばれると、その後、棚上げになっている事項にトランプ大統領がどのように取り組みそうかという観測が強まるだろう。

特に、米大統領選挙が、3月くらいに民主党候補が誰になるかが見えてくると、トランプ大統領も所信を述べることを求められるはずだ。

今後、米中間で火種になりそうな論点は次の3つである。(1)知的財産権の保護、(2)外国企業に対する技術移転の強要、(3)産業補助金を使った中国企業の支援、である。このうち、(1)と(2)は第一段階の合意の中に含まれている。しかし、米国側が、合意内容の確認を行って、そこで恣意的な評価を行う可能性がある。また、中国政府の対応がどこまで実効性を持つかは、未知の部分が大きい。第二段階の合意に向けた交渉では、厳しい議論が行われた後、新たなルール化が行われると考えられる。

チャイナ・イノベーションを抑え込む

達観してみると、米中対立とは中国の外交・軍事的台頭を米国が抑え込むことを狙って起きている。経済・軍事覇権を中国が握れないように、技術覇権を奪おうとしている。貿易摩擦は、技術覇権争いへと主戦場を移していくだろう。前述の(1)~(3)は、そのときの主要テーマでもある。

中国の実質成長率は、2017年6.8%、2018年6.6%だったが、業種別には情報通信・情報技術サービスは2017年21.8%、2018年30.7%と突出して大きく伸びた。これが、チャイナ・イノベーションと呼ばれる発展である。その原動力は、米国から中国に帰国した技術者(いわゆる海亀)が、米国で学んだ技術を実用化することや、中国企業が海外企業から引き抜いた人材を使って技術を活用することである。それらは合法的なものだが、米国はそうした技術移転のルール化をもっと厳格にすることで、技術利用の幅を狭めていこうとしている(図表)。また、合法的な技術移転であっても、その技術が軍事転用される可能性があれば、制限されることになる。

米中合意は第一段階に踏み出す
(画像=第一生命経済研究所)

こうした合法的な活動を絞っていくことが、どこまでチャイナ・イノベーションの勢いを縛っていくのかはまだよく見通せない。おそらく、そこには中国経済を不安定化させるリスクが、米国側の勝利と隣合わせの関係で存在する。 米中合意の第一段階が結ばれたことは、その先にある米中経済の不安定化のリスクを一時的に封印したものに過ぎないことは心得ておくべきだろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生