(本記事は、齋藤孝氏の著書『仕事に使えるデカルト思考 「武器としての哲学」が身につく』PHP研究所の中から一部を抜粋・編集しています)

「憎しみ」や「悲しみ」を和らげる方法はある

悲しみ
(画像=KieferPix/Shutterstock.com)

憎しみは、どんなに小さくてもやはり必ず有害だ。そして悲しみをともなわないことはけっしてない。
『情念論』(デカルト著・谷川多佳子訳・岩波文庫)118ページ
憎しみと悲しみをどれほど避けても避けすぎることはない、とわたしはあえて言いたい。
『情念論』120ページ

●憎しみは常に有害である

ここでは、主に「憎しみ」と「悲しみ」について見ていきます。

『情念論』を読むと、デカルトは「憎しみ」と「悲しみ」を完全に否定している印象を受けます。憎しみには必ず害があり、悲しみは必ず悪いものだと断定していて、いずれも絶対的に避けるべきものであると言いきっています。

憎しみは争いや戦いに結びつくことがあります。しかし、憎んでいるわけではないのに戦うこともあります、その典型はスポーツです。マラソン、競泳、サッカー、野球……どのスポーツにも戦い、競い合う側面があります。

激しいぶつかり合いのあるラグビーですら、選手同士が憎み合って戦っているわけではありません。ノーサイドの笛が鳴ると、互いの健闘をたたえ合う姿は、ラグビーが憎しみとは無縁のすがすがしいスポーツであることを物語っています。

仕事にも競争の側面がありますが、憎しみを伴う競争がよいわけはありません。ライバル企業があったり、社内にライバルがいたりする人もいるでしょうが、仮にライバルに憎しみを抱いているようでは、いったい何のために仕事をしているのか、その人の仕事観、さらには人間性をも問われることになるでしょう。たとえ、よい業績を上げても、よい仕事をしているとは決していえません。憎しみを仕事のパワーの源泉にしてはいけないのは明白です。

●憎しみは誰も幸せにしない

若手のビジネスパーソンの場合、上司に憎しみに近い感情を抱く人もいます。「なんで、こんな意地悪をするんだ⁉」「これは嫌がらせじゃないのか」「僕が苦手なお客さんをわざと僕に担当させてるんじゃないか」……勝手にこのように思って、上司を憎んだりする人もときおりいます。

これらの思いを抱く場合、上司によるハラスメントかどうかの判断が重要です。ハラスメントであれば、しかるべき対処をする必要がありますが、そうではなく、自分の思い違いや逃げの心理が原因であれば、上司の進言や指示を「課題」や「挑戦」と考えて、前を向くことを考えるべきでしょう。

ライバルに対してだけでなく、誰に対しても、憎しみを抱きつつ仕事をすることは避けるべきです。上司、同僚、取引先、顧客……こうした人たちの誰かを「憎い」と思いながら仕事をすることは、自分自身を含めて、誰も幸せにはしません。デカルトが言うように、憎しみは避けても避けすぎることはないのです。

●経験を重ね、学ぶことで、憎しみもコントロールできる

憎しみや悲しみを避けたり乗り越えたりするには、経験も有効かつ重要です。仕事で失敗をしたり、転職がうまくいかなかったり、試験に落ちたりといったことがあった場合、何度か経験を重ねることで、それらの感情を乗り越えられることがあります。

私にもそうした経験が幾つかありますが、その一つは、初めて雑誌の連載を打ち切られたときのことです。毎号、欠かさず書かせていただいていた雑誌でしたが、あるとき、担当編集者と会って話していると、「実はリニューアルということで、齋藤先生の連載は終了にさせていただきたく、これまでありがとうございました」と言われました。

えっ、どうして⁉せっかくこれまで毎号書いてきたのに……。私はショックを受け、感情は波立ち、連載の打ち切りを決めた編集長に不快感を覚えました。

でも、考えてみると、終わりが来るのは仕方のないことです。雑誌のリニューアルという打ち切りの理由も、あとから考えると、十分ありうることです。

雑誌連載の打ち切りは、このあと、何回も経験しました。しかし私は、2回目以降は「そうですか。残念ですが、わかりました。ありがとうございました」といった感じで、その打ち切りの話を淡々と受け止められるようになりました。

テレビ番組のレギュラー出演なども同様です。「この番組は来週で終了することになりました」「齋藤さんの出演は今回が最後です」などと言われても、「なるほど、そうですか」といったように淡々と対応できるようになったのです。

私のこの変化は、感情が麻痺したせいではなく、最初があまりにナイーブだったのです。

依頼され、続けてきた仕事も、終わりのときは来る、という当たり前の事実を、私は経験によって学びました。それ以降、連載が打ち切られたり、続けてきた仕事が終わったりすることがあっても、悲しんだり恨んだりする感情はいっさい抱かなくなりました。

経験を積むに従って、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という、一種の感情のルールが私の中にできていきました。

どこの職場でも、いろいろな変化が起こるはずです。たとえば、上司が代わった、親会社が変わった、社内ルールが変わった……。その変化を受け入れられず、怒りや憎しみに似た感情がわき起こることがあるかもしれません。それらの変化が理不尽だったり非合理的だったりした場合は、声を上げればいいでしょうが、そうでなければ、人に対する悪感情は抑制し、冷静に感情をコントールできるようにしていくべきでしょう。その場合、経験から学んでいくことも大切です。

●悲しみも避けたり和らげたりすることができる

悲しみを避けることも大切です。大きな悲しみの一つに、親を亡くすことがあると思います。この悲しみも、軽減することはできます。

私は両親をすでに亡くしていますが、2人を亡くしたとき、打ちひしがれるほどの悲しみに襲われることはありませんでした。

私は両親ととても仲がよかったのですが、仲のよい親を亡くしたから、非常に悲しかったかというと、少し違っていました。それは、親とは十分に語り合い、十分に接してきたという思いが強かったからです。

たとえば父親とは、高校時代までよく一緒に将棋を指したり、大人になってからも一時期は、夜中の2時、3時まで、酒を飲みつつ、語り合いました。

そうした経験と記憶があると、父も母も亡くなってはいるけれど、今も自分の中では生きているという感覚があります。

もう一ついえば、諸行無常は世の常だから、生きとし生けるものはいずれ死を迎えるという厳然たる事実があります。そのことを感覚的にも身につけておくことは大切かもしれません。

ただ、順縁であればまだ受け入れられるとしても、逆縁はさすがにつらい、ということはあると思います。

私の祖母は自分の息子を先に亡くしていて、「こんな思いをするなら、長生きするんじゃなかった」と言っていたのを覚えています。こうした深い悲しみは避けようがないのでしょうが、時間の経過などが癒してくれることはあると思います。

●エゴサーチをしない

ネット上の自分の評判を見たことによって、憎しみ、怒り、悲しみなどの感情を抱いてしまうことがあります。

検索サイトやSNSなどのネット上における自分について調べる「エゴサーチ」をすると、人によっては、自分に対する書き込みがたくさんあることに気づくでしょう。そこには、好意的な書き込みがある一方で、気が滅入るようなもの、やる気が失うせるようなもの、それは誤解だと弁解したくなるようなものなどが書き込まれていることもあります。

個人差はもちろんありますが、人の心はなかなか繊細で、たとえば、100のうち99はよいことが書かれていても、残りの一が猛烈な批判であった場合、批判のほうが心に残ってしまいがちです。すると、落ち込んで、嫌な気持ちになって、そのことがいつまでも心に引っかかって、仕事にも悪影響が出てしまいます。

そうしたことが想像できるので、私はエゴサーチは絶対にしません。何かの検索をしていて、たとえば、私の本の名前が出てきても、そこは決してクリックしないで、すぐに画面を切り替えます。デカルト風にいえば、これは私にとって、憎しみや悲しみを避ける方法の一つなのです。

心理学者のマズローは、自己実現を果たしている人の特徴の一つに、限られた人たちと深い友人関係を結んでいることを挙げています。意外に思う人もいるかもしれませんが、マズローの研究によると、自己実現者たちの交友関係は案外狭いのです。しかし、深い関係を持っています。

ネット上にどこの誰か知らない人が書き込んでいる自分の評価を見て、憎しみや怒り、悲しみなどを抱くくらいなら、それらを遠ざける。つまり、そういったものは見ない、読まないという方法もあるのです。

仕事に使えるデカルト思考 「武器としての哲学」が身につく
齋藤孝(さいとう・たかし)
1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。テレビ、ラジオ、講演等、多方面で活躍。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社文庫、毎日出版文化賞特別賞受賞)、『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス、新潮学芸賞受賞)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)、『座右のゲーテ』『座右のニーチェ』(以上、光文社新書)、『使う哲学』(ベスト新書)、『他人に振り回されない自信の作り方』(PHPエディターズ・グループ)など多数。著書累計発行部数は、1000万部を超える。

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