令和の年号のもととなったといわれる万葉集。読まれる歌には、季節の風景を表現するさまざまな場面が出てきます。歌にちなんだ日本の風景を感じられる場所を紹介します。

4,500首を収録、1300年前に作られた最古の和歌集

万葉集,旅,ロマン
(画像=HunterKitty/Shutterstock.com)

万葉集は全20巻、4,500あまりの歌から成り、天皇や貴族から農民に至るまで、さまざまな身分の人のよんだ歌が収録されています。成立時期は8世紀ごろと見られ、歌には当時の人々の心情や世相が様々な風景に織り交ぜられて表現されています。

そこで詠まれた土地は飛鳥地方のほか、近畿各地や関東、九州など全国に及んでいます。和歌をいくつか詠みながら、各地の風景に触れていきましょう。

飛鳥に遺る古代の風景

奈良県の橿原市や明日香村には、古代の飛鳥浄御原宮や藤原京といった都が所在し、万葉集に詠まれたさまざまな風景が残っています。

ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしさも
(香具山に霞がたなびいている。春になったらしい)

7世紀後半から8世紀前半に活躍した歌人、柿本人麻呂の歌には大和三山の1つ、香久山が登場します。

かつては「香具山」と表記されたこの山は、奈良盆地南部にあり、畝傍山、耳成山とともに三山を構成します。3つの山が男女の仲を争う人間のように見立てた中大兄皇子の歌もあります。

香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ
(香具山は畝傍山を妻にしようとして耳梨山と争った。神代からそうだったらしい。人の世も昔からそうだったのだろうか)

この三山は蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅が麓にあった甘樫丘の頂上から眺めることができます。中大兄皇子に入鹿が殺された「乙巳の変」と蘇我氏の没落、中大兄皇子に協力した中臣鎌足に始まる藤原氏の繁栄を思い浮かべれば、この地の風景に当時の権力争いを重ねることができるでしょう。

激動の政治舞台となった琵琶湖を詠む

中大兄皇子は667年、都を琵琶湖の湖畔近くの大津宮に遷都し、間もなく天智天皇として即位しました。大津宮は琵琶湖南端の西岸付近、現在の大津市にあったとされています。

逢坂を うち出でて見れば 近江の海 白木綿花に 波立ちわたる
(逢坂を越えてみると、近江の海は白木綿花のように波立っている)

作者不明の歌ですが、かつての都から北上し逢坂山を越えた先に広がる琵琶湖を「近江の海」と表現し、湖面が波立つ様子を歌った一首です。

また、琵琶湖は大和から北陸地方に抜ける交通の要衝であり、船が行き交っていました。

高島の 阿渡の水門を 漕ぎ過ぎて 塩津菅浦 今か漕ぐらむ
(高島の阿渡の水門を漕いで過ぎていった船は、塩津か菅浦あたりを今ごろ漕いでいるだろう)

「高島の阿渡の水門」は琵琶湖中部西岸の高島市の安曇川河口付近と考えられています。菅浦は琵琶湖最北部に近い場所で、その間を船が行き来していた様子が目に浮かびます。

新しく造られた大津宮も天智天皇崩御後の壬申の乱で再び遷都、飛鳥へと戻ります。この乱で勝利した天智天皇の弟、大海人王子が天武天皇として飛鳥浄御原宮を開くのです。

筑波山や大宰府も登場

万葉集には、都からはるか遠い地を詠んだ歌も収められています。東国の人々に共有されていた歌も収録され、「東歌」と呼ばれています。

筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも 愛しき子ろが 布乾さるかも
(筑波の山に雪が降っているのだろうか、いや違うのだろうか。いとしいあの娘が布を干しているのかもしれない)

ほかにも筑波山を詠った歌は数多くあり、関東平野にそびえて遠くからも目立つこの山が古くから親しまれていたことがわかります。

一方、都から遠く西の九州北部の太宰府で詠まれた歌もあります。

大野山 霧立ち渡る わが嘆く おきその風に 霧立ちわたる
(大野山に霧が立ち渡る。私の嘆く息の風で霧が立ち渡る)

歌人、山上憶良の歌で、友人の大伴旅人が筑紫で妻を失った悲しみをうたった歌に対する返歌で詠んだ追悼の一首です。「大野山」とは現在の福岡県の「大城山」だと考えられています。なお、大伴旅人の子には万葉集の編さんに関わったとの説もある歌人、大伴家持がいます。

万葉集の詠まれた土地を巡ることは、まさに古代の日本の歴史を感じる旅です。そうした旅に出るのも贅沢な時間といえます。(提供:JPRIME


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