一生のうち、国民の2人に1人が発症すると言われているのが「がん」だ。誰もがかかる可能性のある病気であるにもかかわらず、これまで日本ではがんを理解するための教育は積極的に行われてこなかった。
しかし、発症者が増えている現状を踏まえると、がんに関する知識は、子どものうちから学んでおくべき基礎知識と言えるだろう。
文部科学省は、政府が策定した「がん対策推進基本計画」に沿って「がん教育」の在り方を検討し、現在その普及に努めている。今回は、日本のがん教育の現状について詳しく解説する。
日本におけるがん教育とは?がん教育の目的と背景
がんは日本人であれば誰もが発症し得る病気であるため、子どもの頃から理解を深めておくことは有意義だ。しかし実際のところ、がんについて子どもたちにどのように教えるのだろうか。
以下で、文部科学省の資料をもとに、国が考えているがん教育の目的と内容、さらに導入が進められた背景について説明する。
がん教育とは? その定義と目的を解説
文部科学省によると、がん教育は以下のように定義されている。
がん教育は、健康教育の一環として、がんについての正しい理解と、がん患者や家族などのがんと向き合う人々に対する共感的な理解を深めることを通して、自他の健康と命の大切さについて学び、共に生きる社会づくりに寄与する資質や能力の育成を図る教育である(文部科学省「学校におけるがん教育の在り方について報告」より)。
誰もががんを発症するおそれがある現在、家族など子どもの身近な人ががんを発症することは十分に考えられる。また、子ども自身も将来がんを発症する可能性がある。がんが身近な病気であることや、がんの予防と早期発見・検診が重要であることを理解し、適切な行動を取れるように学習することは、子ども自身の健康を守ることにつながる。
また、子どもはがんを学ぶことを通して、自分だけでなく他人の健康と命の大切さを理解することもできるだろう。がんの発症を減らし、またがん患者と共生する社会の構築を目指す上では、学校でのがん教育は有効な手段と言える。
がん教育が注目を浴びた背景
厚生労働省の「人口動態統計」によると、人口10万人に対するがんで亡くなる人の数は、戦後間もない1940~50年代半ばまでは数十人だった。
ところが高度成長期以降、がんで亡くなる人が急増し、2015年時点では人口10万人に対してがんでなくなる人の数は300人近くいる。2015年の1年間でがんで亡くなった人は約37万人で、亡くなる人の約3人に1人はがんが死因である。
これだけがん患者が増えてくると、「親ががんになる」という状況に直面する子どもが増えてくる。国立がんセンターの推計(2015年発表)によると、親ががん患者である18歳未満の子どもは全国で約8万7,000人に上っており、がんは子どもにとって決して他人事ではない病気になっている。
ただし、がんは発症しても、ただちに身動きが取れなくなる病気ではない。仕事をしながらがん治療をする人も増えており、厚生労働省の調査によると、仕事とがん治療を両立するために勤め先から支援を受けた人の割合は68.3%に上る。
しかし、日本社会のがんに対する認識は、必ずしも実態に合っているとは言えない。「2週間に1回程度病院に通院する必要がある場合、働き続けることができる」と考えている20歳以上の人の割合は、27.9%に留まっている(内閣府のがん対策に関する世論調査、2016年)。
がん教育を進めるべきとの考えの背景には、親ががんになり得るという状況や、日本社会のがん患者に対する理解不足があるのだ。
がん教育で扱われる内容とは
文部科学省の資料によると、がん教育で扱われる内容は、以下のようなことを含むという。
・がんとは・・・がんという病気の概要と、がんになる危険性を増す要因について学ぶ。
・がんの種類とその経過・・・胃がんや大腸がん、肺がん、乳がんといったがんの種類について学び、各がんの症状と発症した際に生じる生活上の支障、治りやすさの違いなどを理解する。
・我が国のがんの状況・・・日本人の死因第1位であることをはじめ、毎年どのくらいの日本人ががんを発症しているかを学ぶ。
・がんの予防・・・がんの発生リスクを減らすために、喫煙・受動喫煙を避けること、バランスの取れた食事をすること、適度な運動することなどが有効であることを理解する。
・がんの早期発見・がん検診・・・早期がんについては、9割近くの人が治るということについて学ぶ。早期発見のためには、自覚症状がなくてもがん検診受けることが大切で、日本ではがんの種類ごとに検診が行われていることを理解する。
・がんの治療法・・・がんの治療法には手術治療、放射線治療、薬物治療などがあり、患者が主体的に医師と相談して治療法を決めることが重要であることを学ぶ。
・がん治療における緩和ケア・・・がんを発症したことで生じる痛みや精神的なつらさを和らげることの大切さを理解する。治癒が見込めない終末期の場合、心身の苦痛を取り除くための緩和ケアが行われることを学習する。
・がん患者の生活の質・・・がんは単に治すだけでなく、治療後における「生活の質」が重要であるという考え方を理解する。がんになっても、その人らしい充実した生き方ができることを学ぶ。
・がん患者への理解と共生・・・がん患者は増えているが、生存率も高まっていて、社会復帰をする人や病気を抱えながら自分らしく生活している人も増えている。そのような現状を理解し、がん患者に対数偏見をなくし、共生していくことの大切さを学ぶ。
がん教育はどのくらい行われている?
全国の小中高では、現在どのくらいがん教育が行われているのだろうか。2017年度に文部科学省が全国の国公私立の小中高を対象にアンケート調査(回答総数3万7,401校)を実施しているので、その結果から実態を見ていこう。
がん教育の実施状況と実施方法
「2017年度にがん教育を実施しましたか」との問いに「実施した」と回答したのは、全体の56.8%だった。内訳は小学校が52.1%、中学校が64.8%、高等学校が58.0%。実施していない学校がまだまだ多いことがわかる。
がん教育の実施方法を見ると、全体の92.9%が「体育・保健体育の授業」で実施されていた。特別活動の授業(7.4%)、道徳の授業(2.9%)、総合的な学習(2.5%)で実施された学校もあった。
がん教育を実施しない理由とは
では、がん教育を実施していない学校は、なぜそのような判断を下しているのだろうか。これについて尋ねたアンケートで最も多かった回答は(複数回答)、「指導時間が確保できなかった」(57.2%)だった。がん教育のためだけに授業時間を割くのは難しいことがわかる。
他にも、「がん教育以外の健康教育を優先したいため、必要でないと思った」(36.4%)、「指導者がいなかった」(23.3%)、「講師謝金などの経費を確保できなかった」(8.7%)などの回答があった。これらの理由は、今後がん教育を普及させていく上で参考になるだろう。
外部講師を活用して教育するケースも
がん教育は医療的な専門知識を必要とするので、学校の教師だけでは対応しきれないこともある。その場合は、外部講師を招いて授業をしてもらうというケースが多いようだ。
がん教育を実施している2万1,239校に「外部講師を利用したかどうか」を尋ねたところ、2,676校(12.6%)が外部講師を招いていた。外部講師は、がん経験者やがんの専門医、薬剤師などが多い。
文部科学省が考えている今後のがん教育の方針
現状では4割強の小中高ががん教育を実施していないが、今後さらに取り組みを普及させていくために、文部科学省が考えている計画の方向性について解説する。
がん教育には一定の有効性があることを示すデータもあり、取り組みをさらに進めることは子どもたちのがんへの理解を深めることにつながるだろう。しかし、すべての学校でがん教育を行えるようにするためには、解決すべき課題もある。
がん教育の有効性
がん教育を実施している学校では、子どもたちはどのくらいがんに対する理解が深まっているのだろうか。文部科学省ではがん教育を行っている島根県の中学校の生徒を対象に、がん教育の有効性に関するアンケート調査を行っている。
調査結果によると、「がんは身近な病気であると思うか」という質問に対して、がん教育を実施する前は「そう思う」と答えた生徒の割合は全体の29.0%だった。しかし授業直後は78.5%まで上昇し、4ヵ月後に同じ質問をしても71.7%の生徒が「そう思う」と答えている。
前述のとおり、がんは日本人の多くが発症し、身近な人を含め誰もが発症する可能性のある病気だ。「そう思う」という回答が多いということは、それだけがんに対する理解が深まったのだろう。
同様の傾向は、「がんには食事や運動などの生活習慣が関係するか」や「早期発見には検診が大切か」などの問についても見られた。がん教育により、生徒のがんに対する理解が深まっていることが結果から読み取れる。
がん教育の今後の方針
文部科学省の資料によると、がん教育を行うための教員や外部講師の質の向上を図り、各都道府県で行われている事例を共有するための研修会を実施し、普及に向けた啓発を進めるとしている。
また、地域の実情に応じたがん教育を促進することも方針として掲げている。こちらも教育関係者向けの研修会や会議などを通して、自治体での取り組みの成果を学ぶ機会を設けるなどの施策を進めていくとしている。全国一律の内容で教育するよりも、地域の事例を通して学んだほうが、子どもたちの理解も進むだろう。他にも、外部講師の活用体制を整えることも今後の方針として挙げられている。
がん教育の普及は、がんと共生する社会の構築に向けて必要なこと
死因第1位であるがんは、世代・性別を問わず日本人の誰もがかかる可能性のある病気だ。高度な医学知識までは必要ないとしても、がんという病気の概要や種類、緩和ケアの実態や早期発見の大切さなどについて、子どもの頃から知っておくことは有意義と言える。
現在文部科学省が小中高で「がん教育」を進めているが、「指導時間がない」「教える専門知識を持つ人がいない」など、教育現場では問題が生じていることも事実だ。現場の先生方に大きな負担をかけることのないよう、国・自治体側が十分に配慮することも求められる。(提供:THE OWNER)
文・崎井将之(ダリコーポレーション ライター)