Manegy
(画像=Manegy)

2020年5月26日配信記事より

『「都市」と「地方」の「働く」と「暮らす」をもっとオモシロクする』というミッションと、『「働く場」と「働き方」からいきいきとした組織と個人を増やす』というビジョンの元に、企業のオフィス移転や地方団体との取り組みなどを幅広く行っている株式会社ヒトカラメディア。今回は同社と運命的な出会いを果たしジョインされたCFO乙津康人氏にお話を伺いました。

いきなり経理部に配属。右も左も分からないなかで走った新卒時代

― 新卒で入られた会社では、経理部に配属されたのですよね。それまでに簿記などのご経験はあったのですか?

いえ、全然なかったんです。その上、当時は会計システムがまだ高価でその会社では導入していなかったので、手作業で振替伝票を書いて貸借対照表に転記するっていうことをしていました。それって貸借の意味が分からないとまず出来ないんですけど、未経験の私は本当に分からなくて。必死でやりましたけど、なぜ経理部に配属されたんだろう?とそれは今でも疑問ですね。

― 結果的に、そこがスタートで今につながっていると思うとおもしろいですね。その会社ではずっと経理部だったのですか?

いえ、その後に新規事業部に異動しました。ここでは飲食店舗の立ち上げをやりましたね。内装とか、保健所の手続きとかもすべて。名刺はなぜか経理部のままでしたが(笑)その2つの経験をして、この会社は2年ほどお世話になりました。

経理からエンジニアの道へ

― 転職されて、次も経理や店舗出店など既に経験のある分野にいかれたのですか?

いえ、これも全然違いました。当時「WEB2.0」と言われていた時代で、これからはIT企業が来るかなと思ってエンジニアになることにしました。それで、大企業の子会社で2年間エンジニアをやったんです。

― また全然違う職種ですね。それまでにエンジニアリングのご経験は?

学生時代にプログラミングをやっていたんです。今でも覚えているので、PHPとかなら書けますよ。

― すごいご経験ですね。2年間在籍されたとのことですがエンジニアとしてずっとやっていこうとは思わなかったのですか?今でもすごくニーズのある職種だと思うのですが。

そうですね。ただ仕事のペースがちょっと私と合わなかったのと、大企業の子会社にいたので歯車の一部になっているなと感じたところがあって。年功序列でもあったし、自分の将来が割と簡単にイメージ出来てしまえる環境だったので、このままここで定年までいるのかと思ったらおもしろくないかなと。それでまた転職を考えました。

「自分には武器がない」経験を積むために、ベンチャー企業に飛び込むことに

― 次の転職先はどういった軸で選んだのですか?

転職を考えたとき、今の自分には武器が何もないなと感じたんです。バックグラウンドが経理を少しと新規事業の立ち上げとエンジニアっていう。これって言えるものがこのときまだなくて、何かを掴みたいと思っていました。

そんな中、ちょうど世の中ではベンチャー企業が注目され始めた時期で。まだスタートアップって言葉はなかったですけどね。それで「上場」というのがあると知ったんです。上場を目指す会社が増えていると本で読んで。なるほど、上場というのがあるのか。上場って何だろう?と興味を持ったんですよね。

それで色々調べ始めて、最初は売上とか利益がたくさんあれば上場出来るんじゃないの?と思っていたんですけど、どうやら色々ステップがあるらしいと。でも会社でその上場準備を担当するのに特に資格はいらないって言うんですよね。

転職サイト見てても「日商簿記1級保有なら尚可」「公認会計士なら尚可」としか書いてなかったので、なら資格なくてもいけるのかと。それであれば興味もあるしやってみようと思って、経理経験一通りありますと若干背伸びして入社しました(笑)

Manegy
(画像=Manegy)

SaaS、クラウド... 時代の先端を行く企業で経験した体当たりのコーポレート業務

― 上場準備の担当者として入社されたのですよね。ということは入社された時期にはある程度事業が軌道に乗っていたのかと思うのですがこの会社はどういう会社だったのですか?

アパレル企業向けに、在庫管理のクラウドシステムを導入している会社でした。当時からもうSaaSモデルを提供している会社で、社長はかなり先見の明を持っている人でしたね。しかもクラウドだからブラウザベースで全て完結するという。

― 当時は2006年ですよね。それはすごいですね。

そうなんです。かなりニーズもあったし外部からの注目度も高かったと思いますね。入社当時は、ちょうどエクイティファイナンスを考えていた時期で。何も分からないのに、いきなりDDを任されて全然分からなくて(笑)監査法人出身のマネージャーが上司だったんですけど「君経理やったことあるなら出来るよね?」って言われて。

― どうやって切り抜けたんですか?

「はい出来ます」って言いながら、もう夜な夜な勉強してました。PLはかろうじて分かるものの、「BSのこの残高のエビデンスを下さい」とか言われてもエビデンスって何?という感じだったので、そこも「分かりました!」と言いつつ、辞書で単語調べて「ああ証拠のことね!」と分かるみたいな。そんな感じでずっとやっていました。

― すごいですね。この会社さんには6年間在籍されたと思うのですが、どのくらい経ったときに出来るようになったなと実感しましたか?

3か月くらいで普通に出来るようにはなりましたね。

― 早いですね!

ひたすら詰め込んで勉強して実践してを繰り返していましたし、エクイティファイナンス1回目が終わった直後に、監査法人出身の上司が退職してしまったんですよ。それで上の人がいなくなっちゃって、自分含めて4人くらいのメンバーでやっていかないといけなくなり。VCさんとかからも調達していたので上場の目安期限も設定されたし、そうなると事業伸ばすために採用も強化しないととなって、入社当時は10人ちょっとだった会社を急激に拡大しなくてはならなくなったんですよね。そうなるともうコーポレートが追い付かないので、とにかくやらなきゃいけないと。気合いと根性でしたね。

サブプライム、リーマンショック、震災で潮目が変わった時期。経営者への転機が訪れる

― では、この時期もすごくハードワークしていたのですね。

そうですね。全然知識がなかったのでもうやって覚えるしかなくて。4人のメンバーみんな上下とかなくて、とにかくやらなきゃいけないからみんなで頑張ってやるという感じで。上場準備なので監査法人も証券会社も契約するってなって、しかも当時ちょうどJ-SOXの最初の波が来た頃で、J-SOX?内部統制?なんですか?みたいな。新しいことなので監査法人の方も何が正解なのか分からなかったみたいで、お互いに何とかドキュメント作ってみたいなのをずっとやっていましたね。

― ここでもかなり実践で経験を積まれたのですね。

もう本当に現場の叩き上げなんですよ。VCさんや監査法人や証券会社からボコボコにされて(笑)それで何とかかんとかやってこられた感じです。

― 実際にIPOは果たされたのですか?

いえ、出来なかったんです。かなり順調に準備は進んでいたのですけど、途中でサブプライム、リーマンショック、震災が起こりましてね。そこで売上がかなり落ちてしまったんですよ。特に震災のときは顧客であるアパレル企業の業績自体もかなり落ちてしまっていたので。それで私のいた会社も人員整理を余儀なくされて、このタイミングで私も退職しました。このままいるのはちょっと難しいかなと。

その後、ご縁があり経営者の道へ。0から事業を創り、大企業への売却を実現

― 次はどんなことをされたのですか?

2社ほどIPO準備に携わるということでベンチャー企業にいきました。そのうちの1社にいるときに、同僚から転職する会社が新会社を立ち上げたばかりだから、手伝ってもらえないかと言われたんです。それで、副業みたいな感じでその会社を手伝うことになりました。それがAppBroadCastという会社です。

― 創業に携わったのですね。ずっとセミコミットのまま関わっていたのですか?

いえ、途中からフルコミットしています。最初、シリーズAの資金調達までは業務委託の形でお手伝いをしていました。外部CFOみたいな感じですね。それで、シリーズAが終わった後に正式に入社して欲しいと言ってもらえたので、いくことにしました。自分もその会社の経営を0からやってみたかったですし。

色々な人とお話したり自分で考えていくなかで、何というか自分のキャリアに対して頭打ち感を強く感じるようになったんですよね。それまでの6年間でベンチャー企業のイチコーポレート部門メンバーとしてやれそうなことは全部やり切ったなと。そうしたら次はもう経営サイドになるか、上場企業の社員になった方が良さそうだと思ったんです。そう思っていたのもあって、経営サイドを選んだという形です。

― その後、このAppBroadCastさんはKDDIグループに売却したのですよね。この売却も乙津さんが主導されたのですか?どのようにして実現したのでしょう?

相手があることですし、かなり細かく入念に準備をしました。私も自分の会社の価値に自信を持っていたので、うちの会社だったらこのくらいの値付けはして良いはずだという値段を自分で決めていたので、その値段から1円も安くなってはいけないと思っていたのですよね。そう思って先方とのDD(デューデリジェンス)を受けていました。先方は30人くらいいて、私は1人で対応しましたね。大きい会議室にポツンと座って。

― かなり緊張しそうな場面ですね。

緊張感はありましたね。ですけど、結果的に「完璧なDD」と言ってもらえて自分が決めていた金額より安くならずに終えました。

― 元々自信がありましたか?

そうですね。その自信って結局現場での知識や経験をきちんと活かせば、それがきちんと数字になって表れるというだけだと思っているんですよ。

1つ1つをグレーにせずにやっていれば、ドキュメントにある数字に対して根拠がないはずがないんですよね。だからDDで「これはどういうことですか?」って言われたら、普通にちゃんと説明出来る。こういうことをやり続けていた感じです。

これがコーポレート部門の仕事の根幹だと思います。ここをブレさせたらいけないなと。もちろん、経営していくなかである程度グレーなことをやるというのも理解は出来るんですけど、そういうときに「こうあるべき」というものを理解しておかないと、はらんでいるリスクに誰も目を向ける人がいなくなってしまう。コーポレート部門、バックオフィスの仕事というのは、こういうときに要となるものだと思うんです。

Manegy
(画像=Manegy)

バックオフィスは「コストセンター」ではない。価値を示せるバックオフィス人材育成のために会社を設立

― 2020年に入ってご自身で「合同会社バックオフィスデザイナー」という会社を設立されていますが、こちらはどういった想いで始められたのですか?

バックオフィスって、よくコストセンターって言われるじゃないですか?

分かりやすいからそう言われるのだと思うんですけど、バックオフィスの仕事って、営業とかフロントに立っているメンバーの正しい売上、活動を第三者に伝える仕事だと思うんですよね。第三者というのは、税務署だったりステークホルダーだったり様々ですけど、どこに対しても彼らの正しい活動を証明出来る。それには内部統制とか正しい会計の知識が必要になるので、そこは日々のインプットが重要だと思っています。

合同会社バックオフィスデザイナーでは、こういうあるべきことをしっかりやれるバックオフィスの人たちを増やしていきたいし、バックオフィスの仕事の価値をちゃんと伝えていきたいと思っています。例えば、決算書を期日通りに正しく出すって当たり前だと思うじゃないですか?でも私は正しいものを正しい日までに出すってとんでもなくすごいことだと思っているんです。企業で働いているときちゃんと期日までに経費精算出してました?

― 遅れるときもあったかもしれないです...

大体みんなその経験あると思います。なのになんでバックオフィスの経理が絶対に期日通りに決算書を出さないといけなくて1円も間違ってはいけないのか。その世界観は不思議ですよね。だから、それが出来てるってものすごいことだと思っているんです。これはもっと正しく評価されても良いはずだと。

我々バックオフィスがいるからフロントの営業の人たちは自分の仕事に専念出来るし、営業の人たちがちゃんと数字を作ってくれるから我々バックオフィスが存在出来るとも思っています。そういう、共存の意識が大事だと思うのですよね。どっちが上とか下とかは全然ないと思います。

地方への取り組みも強化しているヒトカラメディア。同社のCFOでいながらライフワークにも取り組める理由

― 現在、ヒトカラメディアでCFO職に就かれていますが、今後もご自分の会社の業務と平行して行っていくのですか?

そうですね。辞めるつもりは全くないですし、弊社代表の高井(ヒトカラメディア代表取締役:高井淳一郎氏)ももちろん活動を応援してくれています。

ヒトカラメディアは、都市の他にも地方の「働く」と「暮らし」をもっとオモシロクするというミッションがあるのですが、バックオフィスの仕事ももっと地方に住んでいる方々にも質が高く、オモシロク取り組んでもらえるようにサポートしていきたいんですよね。そういう想いとやりたいことが一緒なので、違和感なくやらせてもらってますし、今すごく楽しいです。

元々、AppBroadcastのときのオフィス移転をヒトカラメディアに依頼したことが高井との出会いだったんですけど、そのときの仕事ぶりに感動したんですよ。そこからこの会社が大好きになって、後にジョインして欲しいとお声がけいただいたときには2つ返事で承諾しました。後に知ったのですけど、ヒトカラメディアのオフィス移転第一号案件がAppBroadcastだったみたいですね。今から思えば運命的でしたね。

「バックオフィス×〇〇」を作ることが大事

― 最後にManegy読者へアドバイスをいただけますか?

Manegyをご覧の方はバックオフィス業務に従事している方が多いですよね?いまバックオフィスの経理とか人事とか、1種の職種しか経験していないとしたら、今後は自分の選択肢を増やすことをして欲しいと思っています。

1つの分野でプロフェッショナルだったとしても、これからの時代いつそのプロフェッショナルが失われてもおかしくないですよね。そうなったときに、1つの経験しかないと潰しがきかなくなってしまうので「バックオフィス×営業」とか「バックオフィス×エンジニア」とか、何でもいいので他の職種と掛け合わせてより自分のバックオフィスという専門性に価値を持たせることが重要だと思います。営業の人にちょっと同行させてもらうことから始めてもいいし。

そうやって自分の可能性をどんどん拡げていけることが、自分の思った通りに楽しく生きていけることに繋がりますからそういう可能性を見せてあげること、どうやったら良いかサポートしてあげることを、これからの自分のライフワークとしてやっていきたいと思っています。

― 叩き上げでバックオフィス業務を習得した乙津氏。転職=スキルアップと捉えているからこその転職回数の多さも、転職のたびに違うステージに進まれていることからとても納得感がありました。乙津氏のこれからのライフワークは、バックオフィサーの希望の光になりますね。ありがとうございました。

乙津康人氏
(画像=Manegy)

【プロフィール】
乙津 康人
株式会社ヒトカラメディアCFO / 合同会社バックオフィスデザイナー代表

大学卒業後、飲食店の経理→上場企業の子会社システムエンジニア→複数のベンチャー、スタートアップにて経営管理部長、CFOを歴任→株式会社AppBroadCast取締役CFO→KDDIグループに売却→グループ会社コーポレート副本部長→複数のベンチャー、スタートアップにて経営管理部長→現在

なお、現在は複数のスタートアップの外部CFO・ファイナンスアドバイザー・バックオフィス構築アドバイス等を行っている。