家飲み需要を取り込んで~業界で唯一負けない秘密
東京・渋谷区、代官山の「スプリングバレーブルワリー東京」は、少量生産だが、さまざまな原料を加えて他にはない味わいを作り出すクラフトビールの専門店だ。
「ハスカップ」(930円)は、北海道産の旬のハスカップをぜいたくに使ったフルーティーな1杯。漆黒の「アフターダーク」(780円)は、麦芽を丁寧にローストすることで、コーヒーのような風味に仕上げている。店内の設備で、醸造した作りたてのビールなどを10種類以上提供。新たな客をつかんでいる。
「ビールは苦くて苦手」という客をも魅了する秘密がメニュー表にある。取り扱うビールの隣に、その味わいにぴったりの料理がズラリと紹介されているのだ。例えば店自慢の豪快に焼き上げたジューシーな「Tボーンステーキ」には濃厚な味わいのクラフト「496」が最適という。「ブラータのカプレーゼ」には、華やかな香りの「オンザクラウド」がお薦め。「アフターダーク」に合うのはチョコレートスイーツだという。
料理とともに今までにないビールの楽しさを味わう。そんな斬新な店を仕掛けているのがキリンだ。コロナ禍に苦しむビール業界で、キリンは一人好調の波に乗っている。
量販店で売れまくっている赤い箱は第3のビール「本麒麟」。メガヒットの理由は、極限まで本物のビールに近づけたその味わいにある。一方、青い箱の「一番搾り」の新商品。「一番搾り糖質ゼロ」は、ビールでは日本初となる糖質ゼロを実現。総力を挙げて最大の課題、糖質をなくしたときの味の劣化に挑んだ。
「糖質はおいしさを構成する要素の1つ。その糖質がなくてもお客様に喜んでもらえるおいしさとの両立がポイントになっております」(R&D本部・廣政あい子)
開発チームは通常の10倍におよぶ350回もの試験醸造を繰り返し、不可能と思われたおいしい糖質ゼロを実現。「一番搾り糖質ゼロ」は、発売わずか1ヵ月で100万ケースを突破した。
長年2位に甘んじてきたキリンは、日本経済新聞の推計によると。今年上半期、11年ぶりにアサヒからトップを奪い返した。コロナ禍で飲食店が大打撃を受け、多くのビールメーカーが窮地に陥った中、キリンががっちりつかんだのは家飲み需要だった。
家で手軽においしいビールを楽しめるようにとキリンが開発したのはレンタルビールサーバー「ホームタップ」(月額8250円~)。簡単な操作で、お店さながらのきめ細かい泡まで作れる。定期的に届けてくれるビールは季節限定ものもあり、1年を通じて楽しむことができる。
女子の提案に10億円即決~ヒット連発の男に密着
東京・中野区の本社。斬新な戦略で客をつかむキリンを率いるのはキリンホールディングス社長・磯崎功典だ。磯崎の社長就任はキリンが初の赤字に転落した2015年。その時から、売り上げ2兆円のキリンを立て直すべく大胆に攻め始めた。
その大きな柱が、今まで大手が手掛けなかったクラフトビールへの本格参入。タッグを組んだのがコンビニなどでクラフトを販売していた「ヤッホーブルーイング」だ。その後も磯崎は次々にクラフトビールを盛り上げる戦略を打ち出す。飲食店向けに開発した扱いやすいクラフトビールサーバーは、今や全国1万3000店に導入されている。
実は、磯崎がクラフトビールに力を入れたきっかけは1人の女性社員の提案だった。それが5年前に「スプリングバレーブルワリー東京」を立ち上げた吉野桜子だ。
当時まだ20代だった吉野は、自作の紙芝居を使って磯崎にクラフト参入を直談判。キリンを復活させるべく、原点を見つめ直そうと訴えた。
「キリンはビールが好きな会社です、私たちがやりたいのは何か。もっとおいしいビールを追求してそれを味わえる喜びをお客様と分かち合いたい、と」(吉野)
ダメ元で磯崎にプレゼンした吉野だったが、「ドキドキしながらプレゼンしたのですが、最後のページが終わると『どうせやるならすごいことをやってくれ』と言われました。今思い出しても鳥肌が立ちます。まさかそこでゴーが出ると思わなくて」。
若い社員の思いを受け止めた磯崎は、10億円を超える新規事業を即決した。
「吉野さんから非常に面白い提案を受けて、膝を打って『これは行こう』と」(磯崎)
さらに磯崎はキリンを変えるため、大胆な人材を起用した。それがメガヒットの請負人と呼ばれるマーケティング部長・山形光晴だ。「とにかくお客を見たいですね。どんな風に買っているのか。そんな地味な仕事をずっとやっています」と言う。週に1度、さまざまな場所の売り場を訪れては、1時間以上も客を観察し続ける。
最も注目するのは、何を買うか迷っている客。「探している方にとって、何の情報がパッケージに入っていたら有効か。どうしたら選ばれるかを想像しながら商品を作りますし、広告プラン、プロモーション、パッケージにもつながってくる」と言うのだ。
山形は長年、日用品の世界企業P&Gでマーケティングを担当。シャンプーの「パンテーン」をトップブランドに押し上げた立役者だ。2015年、磯崎に直接ヘッドハントされると、独自の顧客調査手法で「本麒麟」を手がけ、狙い通り大ヒットへと導いた。
山形は、客の些細な行動の中に成功のヒントが隠されているという。例えば商品を見ていた客がいると、客が手に取った商品をすぐにチェック。見ていた秒数にも意味がある。
山形が手がけた「一番搾り糖質ゼロ」の缶でのパッケージには、ある仕掛けがある。
「一緒でもよかったけど、裏と表でパッケージが違うんです。裏に文字が入っていたら、もしかしたら『だったら1本買ってみようかな』と思うかもしれない」(山形)
実際、缶の裏側には「一番搾り麦汁だけでつくった糖質ゼロ。おいしいに決まってます。」
という文字が入っている。この文字数を、客が商品を見る秒数で決めているという。
「長くしたら10秒かかります。2、3秒で印象に残るようにする。そういうところに(観察を)生かすということです」
山形は一方、膨大な量のヒアリング調査も行っている。こうして今までにない徹底した顧客目線をキリンに叩き込むのだ。入社当初は、例えばパッケージの色を決めるとき「青がいいか、赤がいいか、部長へのお伺いのようなことがあった。上司の顔を見て決めるのではなく、お客様のデータや声で決めてほしかった」(山形)。
そんな社内の大改革が、キリンの躍進につながった。
巨大企業を大改造~「ビール」から「健康」へ
お昼時、持参した愛妻弁当を食べ終えた磯崎が、ある自社製品を取り出した。プラズマ乳酸菌入りのサプリメント。キリンが社運をかける注目の健康商品だ。磯崎はいま、キリンをビールメーカーから大きく変貌させようとしている。
「キリンはビールというイメージがありますが、今後、ヘルスサイエンス事業を事業の中核に持っていきたい」(磯崎)
磯崎は去年、健康サプリのファンケルを1300億円で傘下に収めるなど、健康をキーワードに矢継ぎ早に攻勢を強めている。その最重要ブランドが「イミューズ」と名付けた商品シリーズだ。
「イミューズ」が注目される最大の特徴は、キリンが発見したプラズマ乳酸菌。体を健康に保つ免疫機能の維持に効果があることが証明されている。発見したのはキリンで20年、研究を続けてきたヘルスサイエンス事業部の藤原大介主幹。「この乳酸菌だけが、不可能と言われていた司令塔の細胞を活性化できることを証明しました」と言う。
これまでの乳酸菌にも個別の細胞を活性化する力はあったが、プラズマ乳酸菌は、細胞の司令塔ともいえる存在に働きかけ、免疫細胞全体を活性化することができるという。
「免疫が落ちたところに外敵、リスクが来ると体調を崩しやすくなるので、落ち込みを防いで、免疫を常に維持することが期待できます」(藤原)
異端児がトップになった理由~血みどろ「ミカン畑」で格闘
神奈川・小田原市で、磯崎が富士山を望む山の斜面を走る軽トラックを運転していた。始めたのは斜面に広がるミカン畑の手入れだった。ここは磯崎が親から受け継いだ畑。毎月、わざわざ通っているのだという。
「枝を切るのが難しい。古いからといって切ってしまうと大失敗することがある。若いからといいというものではない。人事と同じです」
「全部ミカンの品種は違うものにしているんです。全部同じだと、ダメな時は全部ダメになる。一種のポートフォリオです」
「ホップもミカンも自然が相手。理屈は頭の中に入っているが、全部が理屈通りにいくわけではない。経営もそうじゃないですか」
巨大企業のトップとして、経営をするようにミカンを育てている。
1977年、キリンビールに入社した磯崎だが、屋台骨のビール事業は希望しなかった。
「当時、ビールでは我々がジャイアンツだったかもしれません。しかしそれでは面白くない。チャレンジするのが面白い。ただ、『君、変わっているね』と言われました」(磯崎)
任されたのはグループ会社・小岩井乳業のチーズの販売担当。味はいいのだが、試食販売しても全く売れていなかった。「値段が高い」という声を聞くと、磯崎は必死で考え、驚きの売り方を実行する。6個入りを買いやすくバラ売りしたのだ。チーズはバカ売れした。
「自分で努力をして新しい道を切り開いていく、それが面白い」(磯崎)
1987年、34歳の時には社内留学でアメリカへ。ホテルビジネスを学ぶ。すると帰国後、キリンの子会社が運営する兵庫県にあるホテルの総支配人を任されることになった。そこは慢性的な赤字経営に陥っていた。
「私がホテルに泊まり込んで、夜の仕事もしようと。ホテルに2年間泊まり込みで住みましたが、一度もパジャマを着て寝たことはないです」(磯崎)
磯崎は諦めなかった。打開策を探るべく近くにあった宝塚の劇場へ視察に。そこで女性客の想像以上の熱気を目にする。そこで「女性たちが泊まりたくなる空間を」と、フロアを丸ごと改装。当時では斬新な女性フロアを設置すると、これが当たった。
磯崎はどんな苦境にも大胆なアイデアで挑み、結果を出してきた。その後もキリン傘下となったフィリピンのビール会社へ赴任するなど、本流のビールではないさまざまなビジネスを渡り歩いた。
磯崎がどんな事業でもどんな苦境にもへこたれなかった理由が、ミカン畑にある。
「私は中学3年の時に父が病気で倒れて半身不随になってしまった。草刈り機がなかったので全部鎌で切ったのですが、血豆ができて血がついて……」(磯崎)
中学生の頃に働き始めたミカン畑の厳しい労働こそが、磯崎を鍛え上げたのだ。
「私にとって一つの財産です。やはり人間は楽をするより苦労した方がいいと思います。苦労した方がその後のためになる。今の時点ではそう思う。あの頃分かっていたら、もっと違っていたかもしれませんけど(笑)」(磯崎)
ホップで健康ベンチャー~未来へ絶品を守れ
キリンが健康に関する「インホップ」という新会社を立ち上げた。東京・港区にあるベンチャーが入居するシェアオフィス。メンバーは金子裕司社長の他、わずか7人だという。 今、金子たちはユニークなビジネスを仕掛けている。やってきたのは東京・渋谷区のレストラン「sio」。ミシュランで星を獲得した鳥羽周作シェフの店だ。
焼き上げたフレンチトーストに、金子が持ってきたシロップをかけて試食をする。「国産ホップを使ってホップの香りとハーブ独特の香りを楽しめるシロップ」(金子)だ。
挑むのは、ビールの原料であるホップを使った新たな食品ビジネス。苦味のあるホップで今までにない味わいができないか、シェフのアドバイスを聞きに通い詰めているのだ。
「熟成ホップという、ホップを水で抽出したものが入っているのですが、抗肥満効果と認知機能の改善効果があることが分かっていて、これまで健康素材として研究開発を続けてきて、これをお客様に届けるためにどんな商品にするか、一生懸命考えています」(金子)
すでに第1弾として開発したのが、熟成ホップを入れたグミやサプリの商品。シンキングサプリ「ホップイングミ」は受験生などをターゲットにネットで販売を始めている。 「思考する時間をサポートする商品として訴求しています」(金子)
一方、岩手県の内陸部にある遠野市はホップの一大生産地。長年、キリンの原料を支えてきた町だ。しかしここ数年、農家の高齢化が進み、生産量は減少し続けている。そこでキリンが現地に設立したのが「ビア・エクスペリエンス」という会社。リーダーはキリンビールからの出向で東京から移住してきた浅井隆平だ。
「遠野で持続可能なホップの生産体制モデルを作ることを使命にしています」(浅井)
浅井たちは、ホップで町全体を盛り上げるべく、おしゃれなバル「遠野醸造」の立ち上げをサポート。地元のビールを楽しめる場所としてにぎわいを作り出した。また、道の駅「遠野風の丘」に並ぶのは、地元のメーカーとタッグを組んで作ったクラフトビール「ズモナビール」。作っているのは1789年創業の日本酒の酒蔵「上閉伊酒造」だ。
「遠野のホップを使ってビールを作ってもなかなか広まらなかったのですが、キリンが応援してくれてファンが増えたと思います」(上閉伊酒造・坪井大亮さん)
キリンのサポートもあって、今ではホップ農家を志す若者も増えてきたという。創業以来培ってきたビール作りの歴史を次につなげるべく、キリンは走り続けている。
~村上龍の編集後記~
昔は飲み屋で「とりあえずビール」と言った。今はコロナの影響もあり、聞かなくなった。そんな時代、アサヒとどっちがシェアを取ったかとか、どうでもいい。ただ、どうでもいいと断言するのはむずかしい。磯崎さんは、堂々と「どうでもいい」と言うだろう。
決して出世の本流を歩んでいない。またそういう人を社長にする取締役会も素晴らしい。「趣味」は、実家のミカン畑の手入れだ。すごい斜面で作られている。その斜面に立つとき、大事なヒントが浮かぶのだろう。「とりあえずミカン畑で」、磯崎さんはそう言うかもしれない。
<出演者略歴>
磯崎功典(いそざき・よしのり)1953年、神奈川県生まれ。1977年、慶應義塾大学卒業後、キリンビール入社。1998年、キリンホテル開発株式会社へ。2004年、フィリピン・サンミゲル副社長に。2015年、キリンホールディングス社長就任。
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