プライベートバンカー(以下、バンカー)がどんなにスチュワードシップに則って、また前回お伝えしたように「無知の知」をもって誠実にお客様に対峙していたとしても、お客様の側が胸襟を開かなければ、残念ながら理想的なウェルス・マネージメントは出来ない。米国では医者、会計士そして弁護士などと同じようにファイナンシャル・アドバイザーも「自分の全てを曝け出して付き合える相手を見つけろ」と言われるが、残念ながら日本ではなかなかそうはなっていない。
もう一つ、米国のエグゼクティブが掛かりつけの重要な存在とするのが心理カウンセラーだ。日本で言うなら心療内科や精神科のドクターという事になるのだろうが、日本ではまだまだ「掛かりつけの精神科医が居ます」などと言うと、要らぬ誤解を招く場合がありそうだ。だが「メンタルヘルス」を常に好調に保つ価値は日米共に違いは無く、徐々にその重要性も認められつつある。
米国では医者、会計士そして弁護士と同等に捉えられている存在としてファイナンシャル・アドバイザーがあるのに、何故日本では中々そうならないのか。恐らく問題のひとつは「銭儲けは卑しいもの」という概念が古くから日本人にはあり、1980年代の大バブルの最中に広まった「財テク」という言葉も、その後のバブル崩壊の中でやはり「忌まわしきもの」というイメージが刷り込まれたからかも知れない。子供の頃から投資教育が行われる米国では「資産運用」という概念は極めて身近なものであるのとは正反対だ。
「株なんかしちゃ駄目だよ」と上司に言われた時代
実際1987年2月にNTTが上場するまでは、株は特殊な人達が扱うものという印象が強かった。筆者が新入行員として1985年4月に初任店へ着任時、支店次長から「株なんかしちゃ駄目だよ」と言われたのを鮮明に覚えている。今でこそ「株長者」は羨ましがられる存在だが、「相場で一儲けした人」というのは今とは全く違う見方をされていた。「相場師」とか「山師」などという言い方が普通にあった時代だ。だから、まさかその翌年に自分がファンドマネージャーに指名されるとは夢にも思わなかった。
日本では「プライベートバンク(略したPBを含む)」や「プライベートバンカー」という言い方が、本来の業務内容から言えば「バンキング(銀行業)」よりも「証券業」に近いにもかかわらず使われている。最近はその反動もあるのか「ウェルス・マネージメント」という言い方もするようになったが、多くのバンカーの名刺の肩書は「プライベートバンカー」となっている。「バンカー=お堅い銀行員」というイメージでも残っているのだろうか。
ただ一方で「命の次に大切」とも言われるお金の問題について、専門家のアドバイスを受けないというのもおかしな話だ。健康維持の為なら胸襟を開くどころか、それこそ恥も外聞もなく「大腸内視鏡検査」も平気で受けられるのに、お金の事となると心を閉ざしてしまわれる方が多いのは何故だろう。もし数多の金融不祥事件が金融業界全体の信用失墜の原因となっているのなら由々しき問題だ。