特集『withコロナ時代の経営戦略』では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が続く中での、業界の現在と展望、どんな戦略でこの難局を乗り越えていくのかを、各社のトップに聞く。

1931年(昭和6年)”村のかじや”として創業し、鉄骨建築を中心に事業を行ってきた家業を株式会社ホリエに改組したのは1989年(昭和64年)。しかし、バブル崩壊を機に鉄骨建築からニーズの多い木造住宅へ事業をシフトするも、町の工務店然とした企業形態は変わらなかった。ところが2010年、現社長の四代目が家業に就き住宅建築のコンセプトを改革してから躍進。当時10名ほどだった社員数は60名(グループ全体)にまで増え、現在では住宅建築のみならず、インテリア事業やレストラン、ホテルの建築・運営も行って事業拡大を続けている。東北の地から新しい住宅の形を発信し続けるトップに話を聞いた。

(取材・執筆・構成=長田小猛)

株式会社ホリエ
(画像=株式会社ホリエ)
堀江 龍弘(ほりえ・りゅうこう)
株式会社ホリエ代表取締役
1984年山形県生まれ。新潟大学卒。
大学卒業後、積水ハウスに3年間勤務し営業や住宅設計に携わる。2010年、株式会社ホリエに入社し、オリジナルブランドである「シエルホームデザイン」を立ちあげた。専務取締役を経て、2019年12月に代表取締役に就任。一級建築士。

100年培ってきた誠実な技術とイマドキのデザインを融合

――ご実家は3代にわたって鍛冶や鉄鋼業を営み、30年ほど前から住宅建築を担うようになり、堀江社長はその会社を引き継ぎました。

創業は1931年(昭和6年)なのですが、個人事業としての歴史が長く、1967年に堀江鉄工所として鉄骨建築工事業を始めました。現在の株式会社ホリエとなったのは1989年で、バブルが崩壊した1991年頃には鉄骨建築から木造住宅へ主軸を移しています。エコキュートを山形県内で初めて導入したのは当社で、それが2002年です。その後のリーマンショックで事業環境が大きく変わり、鉄鋼をやめることになりました。

――その後、四代目の現・堀江社長が戻られて事業を改革します。

私が当社に入社したのがリーマンショック直後の2010年です。当時の事業環境は良くなかったですね。私は大学卒業後、住宅メーカーに勤務していたのですが、呼び戻されたといった感じです。社員は10名ほど、売上は2億程度の会社でした。このままではマズイということで、2011年に新しい事業ブランドのシエルホームデザインを立ちあげました。シエル(ciel)はフランス語で、天空とか広がりを表す言葉です。シエルホームデザインは、天空のような開放感と広がり続ける夢、憧れの未来などをデザインコンセプトにした商品です。

そしてもう一つ、「リゾートに、住まう。」というデザインコンセプトも大切にしています。家の中をリゾートのような空間にして心の広がりを演出したいのです。住宅メーカーに勤務していた当時は中・高級層に向けた商品も多く扱っていましたが、その商品のほとんどは高級ホテルやリゾートホテルに行ったときのような落ち着きや安心感のある家でした。空間を安心、快適なものとすることに、高級ホテルやリゾートホテルは心血を注いでいるはずです。これは一般の住まいづくりにも通じることだと考えています。

――省エネ住宅・エコ住宅であることも重要視されています。

私たちが考える“真のリゾート”とは、高い住宅性能が可能にする、心から快適な住み心地も含みます。山形は豪雪地帯です。積雪は2メートル、冬の気温はマイナス10度にもなります。ここでリゾートな住み心地を実現するためには、高気密・高断熱の住宅が必須なのです。シエルホームデザインは構造や部材にもこだわって、寒暖の差が激しい山形に“真のリゾート”をお届けしたいと考えています。

高気密・高断熱は省エネにもつながります。実は省エネ住宅は、父の代から力を入れていました。おかげさまで私たちは、ハウス・オブ・ザ・イヤー・イン・エナジーを2014年から毎年連続受賞し、2018年には特別優秀賞と特別優秀企業賞をダブル受賞しています。

エコ住宅であることも評価を受けています。当社は東北電力の厳しい推奨基準をクリアし、オール電化住宅を建てるための知識・技術・実績の優れた施工店に与えられる「eハウスビルダー」に認定されました。これは新潟・東北地域の第一号です。経済産業省は補助金制度を設けて住宅のゼロエネ化を推奨していますが、シエルホームデザインは置賜(おきたま)地域で初めてネット・ゼロ・エネルギー・ハウスの認定も受けています。これは当社の採用サイトにも書いているのですが、積み重ねた誠実な技術と、リゾートのようにイマドキなデザインの融合した家づくりが当社の特徴です。

ホリエが手がけた内装の一例
ホリエが手がけた内装の一例(画像=株式会社ホリエ)

生活様式の変化に敏感であるために

――設計士さんには、女性を多く採用されていますが、その理由は?

それは子育て世代の女性設計士による、生活者の視点からのリアルな提案にこだわりたいからです。かつて住宅メーカーに勤務していた経験は大変貴重なものだったのですが、設計に関してはちょっとモヤッとしたものも感じていました。時代も影響していると思うのですが、設計の視点がどうしても中年男性に寄りがちであったのです(笑)。

例えば、通常の設計では戸建てにバルコニーがあるのは普通です。男性なら何も疑問は抱きません。ところがここ山形では、1年の1/3は雪が降るのです。雪のシーズンが終わると、次はすぐに花粉の季節になります。それに雨や風の強い日を含めれば、雪国ではほとんどバルコニーに洗濯物など干せないのです。であれば、家の中の洗濯機から近い場所に室内干しのスペースがあるほうが、洗濯をする人はよほど助かります。洗濯物の多い子育て世代ならなおさらでしょう。キッチンも、最近は新しい調理家電が増えました。食洗機など良い例ですね。そのため、キッチンに新しい家電の置き場所も必要です。当然ですが、家族には男性も女性もいます。どちらかに偏った視線では良い住宅は作れません。生活様式の変化に、敏感にデザインを合わせていきたいのです。

――コロナ禍は事業にどのような影響を及ぼしましたか?

緊急事態宣言下では、集客がピタリと止まってしまいました。ですがその後回復し、9月には住宅ローン減税延長締め切りの駆けこみもあって、今期は幸い増収増益となりました。ただ良い機会なので、商談はオンラインに切り替えています。お客様も、どんどんオンラインの環境を活用できるようになってきていますからね。例えば3Dの図面で新築住宅の説明をしているときでも、画面を共有しながら色などをすぐに変えていけるのでレスポンスが早く、打ち合わせがとても効率的に進みます。社内の情報共有にも、クラウド上の管理システムを使っています。インフラはもともとありましたが、コロナの影響でますます活用できるようになったと思います。

――今後はどのように事業を発展させていきたいとお考えですか?

まずは山形県だけでなく、東北で通用する会社になることが第一の目標です。住宅業界は質的にまだまだ未成熟で、お客様の要望を取り入れきれていません。私たちは生活様式の変化によって変わるお客様の要望を積極的に取り入れて、いずれは全国に通用する住宅ビルダーになりたいと考えています。「山形のシエルさん? 知っているよ」と全国どこでも言われることが次の目標ですね。そのためにはこれからも、人にも環境にも優しい住宅技術と、「リゾートに住まう。」というデザインをコンセプトに、高品質な家づくりを追及していきたいと思います。