目次

  1. 要旨
  2. 消費抑制は長引く
  3. 発想の転換
  4. ワクチン証明で「見える化」を目指す
  5. ワクチン接種が遅れるシナリオ
  6. 根強い消極論
  7. ワクチン・パスポートの難点
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(画像=redpixel/stock.adobe.com)

要旨

今後、ワクチン接種が進んでいくと、国内においてワクチン・パスポートを導入することで、それが消費拡大に貢献すると考えられる。すでに接種を済ませた人同士が、飲食店のワクチン・パスポートを見せて、制限なしに利用できることとする。それがなかった場合に比べて早期の消費回復が見込める。その効果は、個人向けサービスの事業者にとっても、損失を小さくできるだろう。

消費抑制は長引く

少し未来のことを想像してみたい。7月末までに、ワクチン接種を希望する65歳以上の高齢者のすべての人が、ワクチン接種を受けられたとしよう。厚生労働省のHPによると、接種後1~2週間で抗体が獲得できるとある。ならば、8月前半にはこの人達が、コロナ以前のように消費を楽しむことができるのだろうか。 おそらく、答えはNoだろう。ワクチンを接種した人同士はマスクなしで交流をしても問題がないと考えられるが、ワクチンを接種した人でも、ワクチン接種をしていない人にうつす可能性が残る。

ワクチンは、発症・重症化を抑制できても、感染※そのものを阻止する効果ははっきりとしないからだ。ワクチン接種をした人とそうでない人が混在した状況下では、警戒を怠ることができない。だから、消費活動の制限は仕方なく残りそうだ。

※厚生労働省のHPにあるQ&Aでは、ワクチン接種をすると、「感染予防」は曖昧だが、一定の「発症予防効果」と「重症化予防効果」はあるとしている。

発想の転換

今後、外食・観光など個人向けサービスの利用制限はどの段階で解除できそうなのだろうか。イスラエルやイギリスでは、ワクチン接種率が高まったため、新規感染者数が減っていくのを確認して、厳しい活動制限を緩和する方向に動いている。米国でも、独立記念日(7月4日)までに成人の7割がワクチン接種を少なくとも1回ほど済ませることを前提にして、社会活動の制限をかなり解除しようとしている。

日本の場合には、米英のワクチン接種率に到達するまでには相当の時間を要するとみられるので、消費を抑制し続ける期間は相当長くなるだろう。

しかし、発想を変えて、ワクチン接種を済ませた人達だけが集まって消費がコロナ以前のようにできるようになれば、消費水準はもっと早期に回復する。ワクチン・パスポートをつくって、接種を済ませた人達の間での消費活動の自由を認める。それができると、ワクチン接種の進捗とともに、消費産業にもプラス効果を生じる。

ワクチン・パスポートを導入しない場合には、消費活動の制限が継続して、接種を済ませた人もある程度の期間は、消費抑制を強いられるという問題である。

ワクチン証明で「見える化」を目指す

コロナ禍での問題は、当初から「見える化」ができないため、機能不全が起こってきた。社会全体に感染が拡大する中で、感染者が誰なのかが特定できないため、全員が怪しいという疑心暗鬼が発生している。13年前(2008年)のリーマンショックやサブプライム問題での混乱の本質も、この疑心暗鬼にあった。今回も同じ原理が働いている。

本当は、感染している人はごく少数なのに、全員が協力して経済活動を抑制しなくてはならないのは、感染者がどこにいるのかわからないからだ。不完全情報下が引き起こす経済の機能麻痺である。この状態は、広い意味での「市場の失敗」である。「見える化」できないから、健康な人まで疑心暗鬼に陥り、消費を抑制している。企業も、感染防止のために多大な活動制約の下に置かれている。だから、政府は民間活動に積極的に介入して、「市場の失敗」を解消しなくはいけない。

筆者は、以前からPCR検査を増やして、この機能不全を緩和すべきだと訴えてきた。その延長線上で、ワクチン接種をすでに2回終えた人に対して、ワクチン・パスポートを発行して、その証明書を利用することが有益だと考えている。消費者がワクチン接種をすでに済ませているかどうかを表示することは、他人の安全性を確認する上で重要なのである。

今後、コロナ・ウイルスに対する集団免疫に時間がかかるほど、ワクチン・パスポートの必要性は高まる。Withコロナの中での、感染管理と経済活動の両立のためには必要になるだろう。

シミュレーション 今後、ワクチン接種が2021年末までかかることを前提にして、消費減少のロスがどのくらいになりそうかを計算してみよう。その上で、ワクチン・パスポートが発行された場合、そのロスがどのくらい小さくできるのかを試算してみる。

まず、個人消費に占める個人向けサービス(ここでは打撃の大きな外食・交通・教養娯楽サービスの3つに絞る)の消費支出がどのくらい打撃を受けているかを計算する。母数は、コロナ以前の2019暦年の名目家計消費(除く帰属家賃)の249.8兆円を考える。その中で先の個人向けサービスは、14.2%だった(総務省「家計調査」(全世帯)の割合)。実額で35.4兆円になる。それに対して、個人向けサービスは、2020年度後半には平均▲27.4%ほど押し下げられたことがわかっている。実額では、6か月間で▲4.8兆円になる。▲27.4%は、感染リスクにさらされた個人が消費を抑制させている度合いを示しているとみる。もしも、ワクチンなしに、12月末まで厳しい消費制限を継続すれば、2021年7~12月の半年間には▲4.8兆円の損失が個人向けサービスには生じる。

次に、ワクチンの進捗ペースを考える。7月末までに高齢者が接種を終え、8月以降に4,080万人(高齢者+医療従事者)がワクチン・パスポートを入手できるようになったとする。さらに、16歳以上64歳以下の6,900万人が、1日100万人ペースで接種を進めるとすると、12月半ば(8月1日から138日後)までに2回の接種を終えられる計算になる。16歳以上の国民11,000万人が2021年末には抗体を獲得できることになる。

(1)ワクチン効果だけの場合・・・図表1 7月末に高齢者3,600万人+医療関係者480万人が接種完了し、8~12月半ばに、残りの6,900万人が接種を行ったとする。政府は、16歳以上の国民の8割(8,800万人)が接種を終えた段階(10月初)で、消費活動の制限を解除すると仮定する※※。

※※実際に政府が消費制限を解除するのは、感染のステージによって決まる。ここでの10月初の解除は、試算を行いやすいように、このタイミングで十分に感染のステージが改善したと仮定した。

このケースでは、

▼6月末から10月初までは、全世代が消費を抑制。・・・6~10月の消費減▲3.3兆円
△10月初から12月末までは消費は平常化。・・・10~12月の改善効果1.5兆円

従って、消費減少は▲3.3兆円(ワクチンがなかった場合よりも消費は+1.5兆円の改善する)

『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

(2)ワクチン効果+ワクチン・パスポートの併用・・・図表2 7月末に高齢者がワクチン接種を終えた段階で、4,080万人がワクチン・パスポートを利用できるようにすると、そこで4,080万人分の消費拡大が見込める。8月初以降は、1日100万人の接種を受ける16~64歳の国民が、順次、ワクチン・パスポートを受け取る。そこから、10月初までに6,900万人の消費が段階的に増えていく。そして、政府は10月初に成人の8割が接種を受けた段階で、消費活動の制限を解除する。

このケースでは、

▼6月末から7月末までは、全世代が消費を抑制。・・・7月中の消費減▲0.8兆円
△8月からワクチン・パスポートを持つ人が消費を平常化。
・・・8~10月の消費減▲1.0兆円、改善効果1.5兆円
△10月初からは、全員が消費を正常化。・・・改善効果1.5兆円

消費減少は▲1.5兆円(ワクチンがなかった場合よりも+3.0兆円の改善)

『第一生命経済研究所』より引用
(画像=『第一生命経済研究所』より引用)

計算結果を整理すると、まず、6月末から12月末までに現状の消費抑制が続くとすれば、半年間で▲4.8兆円の消費減が起こる。(1)ワクチン接種によって、10月初までに成人の8割が打った段階で、消費活動を一斉に戻すと仮定すれば、損失は▲3.3兆円に縮小(▲31%圧縮)。さらに、(2)7月末からワクチン・パスポートを発行すると、消費減は▲1.8兆円に縮小(▲63%圧縮)。 つまり、ワクチン・パスポートの政策効果は、(1)と(2)の差分である+1.5兆円ということになる。この+1.5兆円は、7月以降に個人向けサービスの事業者の経営を支えるプラス効果にもなる。逆に言えば、(1)の状態では、すでにワクチンを接種して、接種者同士で消費を楽しめるのに、接種者と未接種者が混在するので、長く消費を我慢せざるを得ない。つまり、経済学で言う死重損失(Deadweight loss)が▲1.5兆円も潜在的に生じていることになる。

ワクチン接種が遅れるシナリオ

上記の試算は、政府が説明するとおりに、7月末までに高齢者の接種が完了し、さらに1日のワクチン接種数が100万回を達成できた順調シナリオである。このスケジュールが遅れると、当然ながら個人向けサービスの損失は大きくなる。

その場合に、ワクチン・パスポートの消費拡大の効果はどうなるだろうか。例えば、16歳以上の国民への接種が、12月末ではなく、2022年3月末まで延びたとしよう(6か月間→9か月間)。また、高齢者の接種完了も、7月末まではなく、8月末までかかったとする。このとき、接種が完了するまでに9か月間を要し、ワクチンがなかった場合の消費減は▲7.2兆円になる(▲4.8兆円→▲7.2兆円)。16~64歳のワクチン接種は1日100万回に対して、2/3の1日65万回ペースになる。計算すると、ワクチン接種の改善効果は1.8兆円(消費減▲5.4兆円)で、そこに8月末以降のワクチン・パスポートの改善効果が加わると4.0兆円(消費減▲3.2兆円)になる。ワクチン・パスポート導入だけの効果は+2.2兆円に拡大する(損失の▲31%圧縮)。ワクチン接種が遅れると、ワクチン・パスポートの下支えは大きくなるので、リスクをヘッジするためにワクチン・パスポートが有効であることがわかる。

なお、このシミュレーションは、前提の置き方によって効果が変化することには留意が必要だ。特に、ワクチン接種が進んで、どの段階でワクチン・パスポートを開始するかで、効果は大きく変わる。また、活動を平常化するタイミングも感染状況次第で変わる可能性がある。

根強い消極論

ワクチン・パスポートには消極的な意見がある。すでに接種を済ませた人が優遇されて、まだ接種を受けられない人が恩恵を受けられないことが、政治的に問題視される。

しかし、この問題はすでにワクチン接種を済ませた人にも活動抑制を求める悪平等の問題をも同時に抱えていると思う。それに筆者は、ワクチン・パスポートを導入しない場合に、個人向けサービスの事業者が被るであろう損失(機会損失)を重く考えるべきだと思う。ワクチン・パスポートを導入して、多くの事業者を経営破綻の危機から解放するのは、政府の役割として重大なことだろう。考えてみると、ワクチン・パスポートを使えない人の不公平感は、数か月ほど我慢すれば解消するものだ。その理由だけで、ワクチン・パスポートを利用しないのはもったいないと思う。

また、こうしたワクチン・パスポートは、ワクチン接種を100%に近づけるための動機付けにもなる。また、ワクチン・パスポートがない場合に比べて、ワクチン接種のペースは早くなる。きっとワクチン接種を怖がって打たない人も潜在的に多くいると思うので、そうした人が他の国民がワクチン・パスポートを積極的に利用するのをみて、不安を和らげて接種するかもしれない。

筆者は、ワクチン接種とは他人にウイルスをうつさないための措置でもあると心得るので、公共性があると考える。だから、政府が接種率を100%に近づけるためにワクチン・パスポートの仕組みを作ることは公益にも適うと考えている。

ワクチン・パスポートの難点

筆者は、ワクチン・パスポートの必要性を強調するが、その導入には技術的な難点もある。システム対応がごく短期間にできるのかという問題である。

自治体などが所持する接種済みの個人データを、政府が一元管理したデータベースにしなくてはいけない。いや、ブロックチェーン技術を用いれば、一元管理の必要はないかもしれない。いずれにしても、ワクチン・パスポートを運営するシステムを構築し、それを個人向けサービスの事業者が簡単に利用できるようにするには、数か月間の時間がかかる。その期間が遅くなれば、ワクチン接種が先行して、ワクチン・パスポートの利用メリットは相対的に小さくなる。

そうしたシステム対応の問題が念頭にあるとき、ウルトラCの簡便策がないかを頭の体操をしてみたい。例えば、8月以降にワクチン接種を受けた65歳以上の高齢者だけでも、活動制限を解除する方法である。高齢者の多くは、年金手帳など65歳以上を証明するものを若者よりも身近に持っていることが多い。それとワクチン接種記録券を見せて、店舗などで消費制限を緩和してもらうという方法である。特段のシステム対応はいらない。そもそも論として、厳格な本人確認をして、政府は偽造防止に多大なエネルギーをかける必要があるかを考え直してもよいと思う。高齢者は、若者に比べて重症化しやすく、接種の証明資料を偽造するインセンティブは低いはずだ。政府が本人確認のための緻密なシステムを作っている間の時間的ロスを考えると、不完全でもよいので制度を回していく方が、経済的メリットを失わないためにも有効であろう。もちろん、ワクチン接種は今回で終わりではないので、来年以降の利用ニーズもある。海外渡航のための証明書も、いずれ必要になってくる。そうした要請に基づき、厳格な本人確認ができるデータベースは、少し時期を遅らせて完成させればよいと考えられる。

そうした意味でも、政府はまずは早急に国内向けの利用を念頭に置いたワクチン・パスポートを前向きな議論を開始すべきであろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生