投資信託とは「投資(方針)を信じて託する」金融商品である。

投資初心者に「投資信託ってなんですか?」と聞かれたら、筆者は迷うことなく上記のように答えていた。ファンドマネージャーとして、長年にわたり投資信託の商品開発から運用まで携わってきた筆者は、そのように理解していた。投資信託は素晴らしい金融商品であり、選び方さえ間違えなければ、投資初心者に最適である、と考えていた。

しかしながら、最近の投資信託のなかには、投資家が自分できちんと市場見通しを立てることができなければ買えないような商品も少なくない。株式市場の先行きはもちろんのこと、物価や金利はどう動くのか、為替は円高なのか(円安なのか)などもすべて自分で判断できるような人(恐らく、そのような人は自分で「ポートフォリオ」を組んだほうが早いと思うが)でなければ買えないような商品が目につく。

考えてみれば、パッシブ運用が良いのか、アクティブ運用が良いのか、という議論が盛んになり始めた頃から、投資信託は銀行預金でしかお金を運用したことがない人を遠ざけてきたのかもしれない。それとも、よほど投資信託の選択アドバイスをする人たちの知識レベルが高くなり、投資初心者でも適切なアドバイスを得ることができるようになったのだろうか。あるいは、日本人の基本的な投資リテラシーが高まり、誰もが適切な投資方針を描いてポートフォリオ管理ができるようになったのだろうか。

お察しの通り、上記は資産運用業界に長年携わってきた者として、相当な皮肉と嫌味を込めていわせていただいている。それはあらためて調べれば調べるほど、個人的な感覚としては業界が「嘆かわしい方向」に進んでいるようにしか見えないからだ。

正しく背景を理解していただくために、時系列で投資信託の変遷をお話しさせていただく。

投資信託の「暗黒の時代」をご存知だろうか?

投資信託とは,初心者
(画像=ウーカ / pixta, ZUU online)

まず、日本の投資信託の歴史を紐解くと、それこそ「暗黒の時代」とも呼べる時期があった。1990年代半ば頃までの投資信託は、実は証券会社の自己売買部門の「ゴミ箱」のような性格のものだった。その運用実態は証券会社の自己売買部門が買い上げた株をまずは各支店の顧客に「はめ込ませる」ために割り当て、それでも処理し切れなかった売れ残りを引き受けるものだった。文字通り「ゴミ箱」のようなものである。

もっとも、当時の投資家のなかには、そのことを承知のうえで投資信託を買っていた人も少なくなかった。彼らは「証券会社から新規公開株を回してもらったりするために、ギブ・アンド・テイクの意味で投資信託を買う」と理解しているようなところがあった。

転機となったのは当局からの厳しい指導だった。すなわち、投信会社とその親会社(通常は大手証券会社だった)との間で発注量制限などが実施され、前述のような「ゴミ箱」的な状況は徐々に改善されることとなった。目論見書に投資方針を具体的に記載した投資信託や、「顔が見えるファンドマネージャー」をウリにした投資信託が登場したのもこの時期である。

また、1998年12月からは銀行での窓口販売も解禁となり、投資信託は銀行預金からの預け替え先としての位置づけも重要視されるようになった。正に投資信託業界の大改革が行われたのである。

ITバブルの崩壊、「コンプライアンス」という考え方の普及

ただ、そうした流れも残念なことにいったんは終焉を迎えることになる。

きっかけとなったのは、ITバブルの崩壊だった。当時は銀行も投資信託の販売に加わったことで、株式投資信託を中心に残高を順調に伸ばしていた。その矢先にITバブルが崩壊したのだ。結果として、株式投資信託のほとんどが基準価額の大幅な下落を回避できず、多くのお客様に大変なご迷惑をおかけすることになった。

折しも、あの頃は「コンプライアンス」という考え方が広く普及し始めた時期でもあった。当時、ファンドマネージャーとして運用の最前線に立っていた筆者は、株式市場の下落のみならず、「コンプライアンス」という「錦の御旗」のもとで変わりゆく各種ルールにがんじがらめとなり、どんどん身動きがとれなくなっていった感じでもあった。

「パッシブ運用か、アクティブ運用か」という議論が活発化

「パッシブ運用か、アクティブ運用か」という議論が活発化したのも、この時期である。

実はそれまで、多くの株式投資信託はベンチマークを設定していなかった。それは投資理論の理解度が未熟だったという話ではない(もちろん、20年以上も前のことなので、解析技術などは現在とは比較にならない)。

当時、投資信託の販売現場では「どの位で回るんだ?(リターンが上がるという意味)」という質問が中心となる、あえて今風に表現すると「絶対リターン追及型」が基本的な発想だった。そのため、インデックスの騰落率との比較よりも、基準価額の値位置が投資信託の売買の判断基準となっていた。平たくいうと、基準価額が1万円付近でなければ販売し辛く、1割も上昇したらほとんどが解約されて残高が急減するような状況だった。現在のように基準価額が2万円も3万円もする投資信託など存在しなかった。

当時の株式投信のファンドマネージャーに求められた重要な投資判断項目の1つは「株式の組入比率」だった。もちろん、それは先物やオプションを使った実質的な組入比率ということだ。いうまでもなく、よほど特殊な個別例を除き、株式市場が大きく下落すれば株式を保有するポートフォリオは当然ダメージを受ける。仮に10%や20%程度の組入比率調整をしていたとしても、それはマイナス10%下落するところがマイナス9%になるか、マイナス8%になるか程度の違いであり、「損をする」という投資家の実感には大差がない。そして、悪いことに「ITバブルの崩壊」も他のバブル崩壊と違わず、マイナス10%やマイナス20%では留まらなかった。

当然にして、随所で「運用の専門家に報酬まで払って信じて任せていたのに、どうしてこんなに損をするんだ」「株を持っていたらやられることぐらい素人にだってわかるぞ」といった議論も始まった。これらと一緒に前述したように「パッシブ運用か、アクティブ運用か」という議論も巻き起こったことが、現在の「投資信託」を形作るのに大きく影響したと思われる。

「投資(方針)を信じて託する」ために必要なことは?