この記事は2022年7月28日に「テレ東プラス」で公開された「店舗を増やさず成長遂げる驚きの「のんき経営術」:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
目次
デパ地下・駅ナカで大人気~店内調理がウリの「メルヘン」
東京駅・新幹線乗り場の目の前にある「エキュート東京」。旅行への制限がなくなり、お弁当を扱う店にも活気が戻ってきた。中でも開店直後から賑わいを見せている店がメルヘンだ。
▽開店直後から賑わいを見せている
メルヘンは1982年創業。東京近郊のデパ地下や駅ナカを中心に27店舗を構えるサンドイッチ専門店だ。旅行客だけでなく、郊外の店では普段の食事に買っていく人も多い。
まず圧倒されるのが種類の多さ。ショーケースには常時30~40種類がズラリと並んでいる。店によってはイートインスペースもある。
▽ショーケースには常時30~40種類がズラリと並ぶ
「エビカツサンド」(540円)はつなぎを使わず、エビだけを使っているからプリプリ。老舗のすき焼きをはさんだのは「浅草今半 黒毛和牛すき焼きサンド」(994円)*グランスタ東京店限定。女性に人気なのがオレンジ色鮮やかな「にんじんサンド」(368円)。枝豆を使った「ずんだあん生クリーム」(368円)などというものもある。
▽女性に人気なのがオレンジ色鮮やかな「にんじんサンド」
そんなサンドイッチを、メルヘンでは全ての店にある厨房で作っている。大丸東京店のスタッフは「鮮度が命なので、店内厨房で作ることを守り続けています」と言う。
サンドイッチは全て手作り。野菜のカットや、カツやコロッケも1つ1つ店内で揚げている。ゆで卵も一から手作業だ。しかも「ヨード卵・光」を使ったゆで卵。1個60円するブランド卵をはじめ、素材は厳選されたものばかり。マヨネーズも自分たちで開発した酸味を抑えたマイルドな味だ。
「パンがふわふわ」なのも人気の理由。メルヘンのパンを作っている製パン工場に聞くと、そのオーダーはちょっと変わっているという。
「パン屋がいいと思う食パンを持っていくと、メルヘンは『これじゃダメだ』と。サンドイッチになった時に最大限おいしさが出る食パン。パンだけがおいしくても仕方がない、と」
通常の食パン作りでは、小麦の味わいが豊かな粉を使う。しかしメルヘンは、口溶けを優先してあえて味わいを主張しない粉を特注しているのだ。
作り方も特別。生地を作ると、通常の食パンは30度弱の温室で4時間ほど熟成させるが、メルヘンの食パンは冷室で熟成。しかも「18時間くらい。時間をかけると粉が十分に水を吸い込んでくれるので、出来上がりの口溶けや柔らかさに貢献している」という。
パンを割ってみると綿菓子のようにふわふわ。この縦に裂ける食パンが、口どけのいいサンドイッチを生み出しているのだ。
フルーツサンドの草分け~40年赤字なしの「のんき経営」
メルヘンのサンドイッチの中でも特に人気なのがフルーツサンド。ブームのフルーツサンドはメルヘンが草分け的存在だ。
季節ごとに旬の果物を使うためフルーツサンドだけで年間100種類も。夏に大人気なのが「宮古産奇跡のマンゴー生クリーム」(994円)。1個1000円以上する高級品を贅沢に使い、濃厚な甘味とトロりとした舌触りが絶品だ。また、「岡山市産清水白桃生クリーム」(692円)は華やかな香りと甘さが特徴だ。どのフルーツも旬の時期に全国の名産地から厳選してくるのだ。
愛知・安城市ではこの日、メルヘンのスタッフが2022年7月からのサンドイッチに向け、イチジクの視察にやってきた。
▽素材を厳選するため、自ら全国の産地に足を運ぶ原田さん
「甘さ以外に酸味がすごいいいアクセントになっている。……今ここで食べるのにはパーフェクトだと思いますが、製品にするとしたらもう少し若い時点で採っていただいて、少し硬めのほうがいい」と言うのは、メルヘン社長・原田純子(72)。素材を厳選するため、自ら全国の産地に足を運んでいる。
まだサンドイッチの専門店がほとんどなかった40年前にメルヘンを創業。いまや27店を展開する人気チェーンにつくり上げた原田のモットーは「のんきな経営」だ。
▽40年前にメルヘンを創業「のんきな経営」がモットー
「『のんき』って一言で言うと誤解されてしまうのですが、『どのくらい稼がなきゃいけない』とか、『どのくらい大きくしなきゃいけない』とか、大袈裟なことは思わずに、みんなが楽しく働ける職場が作れたらな、と」(原田)
従業員にとって原田は「母親みたいな存在」とか。東京・八王子の本社では昼時、テーブルの上に原田が作ったいろいろな料理が並んでいる。手作り料理を振る舞うのが好きだという。どれもが素朴なお袋の料理だ。
「私はこういう食事が好きなのです。ご飯が好き。だから日本人に好まれるサンドイッチになった」(原田)
こうしたランチ会が新作サンドイッチのヒントにもなるという。実際、商品には「梅肉入り蓮根と鶏肉のサンド」(389円)、「千葉県産生のりとアボカドのサンド」(519円)など、和テイストのものも多い。
独自の商品で客を魅了するメルヘンには出店依頼があとを絶たない。
名古屋きっての人通りがある地下街「サカエチカ」。運営会社から出店依頼があり、原田が視察にやってきた。実はこのオファーを原田は1度断っている。前回より条件の良い場所を提案され再び訪れたのだ。
「こちらの区画は駅の改札を出てすぐで一番通行量の多いところです」(「サカエチカマチ」・林剛史さん)という説明を聞いた原田は、「(階段から)ちょうど2軒目というのがいい」と言う。階段を降りてすぐよりも、視界が開けた2軒目がベストな立地なのだという。
「通勤客がかなり通るので、コロナ前だと喫茶店でモーニングを食べる方が多かったのですが、今はテイクアウトが主流になっています。視覚的に彩り鮮やかなメルヘンのサンドイッチは、他のいろいろなサンドイッチ店の中でベストマッチだと思います」(林さん)
こうした出店依頼は多い日には3件もあるという。しかし店舗数はここ10年、あえて20軒後半にとどめている。
「1店舗出せば1店舗減らすことを考えながらやっています。商品作りを丁寧にやっていきたいので、手の行き届く範囲で確かなものを作る」(原田)
原田がいう「のんき経営」とは、目の届く無理のない規模で、いざという時に備えて準備をしておくことなのだ。
「やっぱり、『のんき』にやるための努力をいつもしながらの『のんき経営』だから。もちろんやるときはテキパキやらなきゃならないです」(原田)
そんな手堅い経営で、創業以来40年間、赤字なしを続けている。
郊外から都心の百貨店へ~東京駅進出で大躍進
東京・八王子市のメルヘン西八王子南口店に。スタッフへの差し入れを持って原田がやって来た。
▽スタッフへの差し入れする原田さん
原田が「産休を経て、その後またパートで戻ってきてもらって、すごく助かっています」と言うのが、勤続12年目の樋口由希子だ。正社員時代はフルタイムで働いていたが、産休明けはパートとして週3日の5時間勤務に変えてもらったという。
「引っ越しして、保育園を転園しなければならなくなり、働ける時間が限られる環境になった時も変わらず、今もこうやって働けています」(樋口)
従業員への気遣いは現役だけではない。この日は本社近くの和食店にある人たちを招いていた。長年働くパートやすでに引退した人を定期的に食事に招いているのだ。
「皆さんのおかげで今日までやってこられた。安心していろいろなことができた」(原田)
原田は1950年、山梨県生まれ。高校卒業後、電子メーカーに勤めながらある学校に通った。
「池坊お茶の水学園というのですけど、茶道やお琴を習うなど、花嫁修行の学校みたいな感じでした。その学校で学ばれてから結婚するみたいな。昔でしたから」(原田)
花嫁修行を終えて27歳で結婚。それを機に食品会社に再就職する。新人の教育係となり、成果もあげていったが、やがて会社に疑問を抱くようになった。
「銀行からの天下りのような役員たちが、分からないのに数字のことばかり言って、努力していない要領のいい人を『この人、数字をあげたじゃないか』みたいな感じで引き上げたり。もう私の教育係としての役割は終わったな、と」(原田)
32歳で退職した原田は、楽しく働ける職場を作ろうと東京・田無に「メルヘン」を開く。たった2坪の小さな店で、設備はすべて中古で揃えた。
手作りの味が評判を呼び、たちまち地域の人気店に。毎年郊外に1店舗だけ増やしていき、3年目には年商1億円に達した。
開店から10年目、メルヘンに大きな転機がやってくる。小田急百貨店の食品部長が出店要請の声をかけてきたのだ。きっかけは「メルヘン」のファンだった食品部長の娘さんだった。
「それで百貨店のみんなで試食し検討したら、おいしかったということで、出店の申し出がありました」(原田)
小田急百貨店での成功が評判となって、大手百貨店から次々と出店の誘いが。そして2010年には東京駅にオープンした「エキュート東京」への出店を果たす。
「東京駅が日本の玄関口ということで、和モダンというのがテーマでした。うちも日本人好みのサンドイッチを作っているというコンセプトも一致しました」(原田)
駅ナカに出現したおいしいサンドイッチ店は通勤客や旅行客で大盛況。この店だけで1日の売り上げ120万円という過去最高を記録し、メルヘンのサンドイッチは不動の人気を確立した。
人気上昇の落とし穴&コロナ危機~初心に帰って自由な現場へ
だが、そこに大きな落とし穴があった。
「店員の応対なんかも、『え、またお客が並んでいる』みたいになっちゃいました。だから、一番簡単なサンドイッチを作ろうとか、手がかからないものにしようとか、発想が貧弱になった。作りやすさが優先で、お客さんのためではないわけです」(原田)
あまりの忙しさに、従業員は目先の仕事をこなすのに追われ、接客から笑顔が消えた。
当時を知る社員・土肥幸は「売り上げが上がっても、喜ぶ人はいませんでした。従業員が疲弊して不満が出てきた。我々の仕事は手作りサンドイッチを作ることなので、急に人を雇っても、教育できないのです」と振り返る。
そんな状況下、今度はコロナショックが襲いかかる。客で溢れかえっていたメルヘンからパッタリと人が消えた。1日120万円を売り上げた東京駅の店はわずか2万円と、最低を記録してしまった。
ただし、一方で郊外店の売り上げが「売れたところでそれまでの2倍。全体で3割増し」(原田)となり、経営を支えた。そしてコロナで客が減ったピンチを、原田は従業員の教育のチャンスにした。
たとえば、「1時間ごとに残っているサンドイッチを数えて、その後の売り上げ計画を立てる」。一度にたくさん作るのではなく、その日の売れ方を見て作る種類や量を加減し、売れ残りを出さない工夫をするようになった。
また、お客が減って手が空いた店長を集めてサンドイッチ作りの基礎を再確認しあい、店にフィードバックしてもらった。参加したエキュート立川店の坂幸一郎店長は「コロナでお客さんがあまり来なくて、サンドイッチを作れない時期もあった。初心に戻れたのでよかったと思います」と言う。
▽手が空いた店長を集めてサンドイッチ作りの基礎を再確認しあう
基礎を確認する一方で、新たな商品作りも進めている。例えば「イチジクに生ハムとごまソースのサンド」。イワシのオイル漬けに大葉で巻いてトマトの酸味を合わせたサンドは、原田が試食してボツになった。
▽基礎を確認する一方で、新たな商品作りも進めている
「最初の一口目はおいしかったけど、後味が悪いね。メルヘン本来の後味の良さを追求していることからすると、遠くなる。もう1回、仕上げてみてね」(原田) 品質へのこだわりは創業以来、変わっていない。
~村上龍の編集後記~
会社名はメルヘンだが、経営はリアルだ。のんきな経営などと言っているが、余裕を持って判断をくだすだけで、単純に「呑気」なんかではない。
コロナで都心部の売上は落ち込んだが、郊外店では行列ができた。創業以来、味を追求してきた。他社のことは考えたことはなかった。客の口コミで広がっていったので、宣伝や営業に力を入れる必要もなかった。
ただし、卵を茹でることから全店、すべて店内厨房で作る。コストがかかる。だが、そのコストが、メルヘンを日本一にしている。