ロシア軍がウクライナ侵攻を開始して、8ヵ月(原稿執筆時点)が経った。これまでの主要な出来事を振り返りながら、ウクライナ侵攻が起きた理由やロシアの思惑、戦況についてまとめた。

目次

  1. そもそものロシアとウクライナの関係性は?
  2. ウクライナ侵攻を時系列で振り返る
    1. ロシア軍がウクライナへ侵攻開始
    2. 戦況は混迷、ロシア軍がウクライナ東部への攻撃に転換
  3. ロシアはなぜウクライナに侵攻した?
    1. NATOの東方拡大
    2. ウクライナの地理的重要性
    3. NATO軍の派遣はなし
  4. ウクライナ侵攻に関するプーチン大統領の発言録
    1. 「90年代にNATOは1インチも拡大しないといったではないか。我々は騙されたのだ」
    2. 「ウクライナは歴史、文化、精神的に譲渡できない不可分の一部だ」
    3. 「ロシア、そして国民を守るには他に方法がなかった」
  5. ゼレンスキー大統領の発言録
    1. 「皆ここにいて私たちの独立と国を守っている」
    2. 「私はここにいる。ここは私たちの土地だ。私たちの祖国。私たちの子供たち。私たちは彼ら全員を守る」
    3. 「停戦の用意はない」
  6. ウクライナ侵攻に関するQ&A
    1. ウクライナ侵攻はいつから始まった?
    2. ロシアとウクライナ戦争の名前は?
    3. ウクライナ侵攻の影響は?
    4. ウクライナ侵攻はいつ終わる?
  7. ロシアVSアメリカ全面核戦争の可能性も
  8. 事業承継・M&Aをご検討中の経営者さまへ
プーチン・ゼレンスキー発言録 ウクライナ侵攻はなぜ起きたのか
(画像=MURATGOCMEN/stock.adobe.com)

そもそものロシアとウクライナの関係性は?

ロシアがウクライナを侵攻した理由を知るには、両国の歴史的背景を理解することが不可欠だ。

歴史は中世にさかのぼる。東ヨーロッパ地域には「キエフ・ルーシ大公国」という大国家があった。その中心として繁栄した都市が、現在のウクライナ首都・キーウだ。そして、キーウで生まれた文化や宗教は東方へ拡大し、現在のロシアを形作った。

つまり、キーウは現在ウクライナが所有する都市でありながら、ロシア発祥の地でもある。このことからは、両国は「兄弟国」と呼ばれることがある。ウクライナは1991年のソ連崩壊によって独立したが、現在も人口の2割がロシア系だ。

ロシアのプーチン大統領は就任後、旧ソ連の勢力権を取り戻す「大国復活」を掲げて、これまで他の旧ソ連諸国に軍事介入を繰り返してきた。特にウクライナへの執着は顕著で、2014年にウクライナ南部のクリミア半島を武力で一方的に併合し、2021年7月に発表した自身の論文で「ロシア人とウクライナ人は同一の民族であり、一体不可分」と持論を展開している。