ウクライナ侵攻を時系列で振り返る
以下、ロシアのウクライナ侵攻を時系列で解説していく。
ロシア軍がウクライナへ侵攻開始
・2月24日 ロシア軍がウクライナへ侵攻開始した。
・2月26日 欧州連合(EU)と米英などが、国際送金システムを担うSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアを排除することに合意した。重大な経済制裁を科し、ロシアの孤立を狙う。
・4月2日 ロシア軍が首都・キーウから撤退、ウクライナはキーウ全域が「解放された」と表明した。翌日、キーウ近郊のブチャなどで民間人の殺害が判明し、ゼレンスキー氏が「ジェノサイド(集団殺害)だ」と非難した。
・4月5、6日 EUがロシアからの石炭の輸入禁止、米国がロシア最大手銀行などへの追加制裁を発表した。
戦況は混迷、ロシア軍がウクライナ東部への攻撃に転換
・4月18日 ゼレンスキー氏が東部ドンバス地方へのロシア軍の本格攻撃が始まったと表明。
・5月9日 アメリカでウクライナなどへの武器貸与の権限を大統領に与える「武器貸与法」が成立。
・5月18日 フィンランドとスウェーデンが新たにNATOに加盟申請(7月に承認)し、32ヵ国体制へ。
・9月21日 プーチン氏が「部分的動員令」を発令し、約30万人の軍隊経験者、予備役を招集。
・9月30日 プーチン氏がウクライナ東部と南部4州の併合を一方的に宣言。ウクライナは、NATO加盟手続きを正式に申請すると表明。
・10月8日 ウクライナ南部クリミア半島とロシアを唯一結ぶクリミア橋で爆発。ロシア軍の兵力維持に大きな影響を与える。ウクライナ治安部隊が工作したとみられる。
ロシアはなぜウクライナに侵攻した?
NATOの東方拡大
プーチン大統領はウクライナ侵攻の理由を「NATOの脅威に対する自衛措置だ」と主張している。ここで重要なキーワードになるのがNATOだ。
「NATO(北大西洋条約機構)」とは、東西冷戦期にアメリカ、イギリス、フランスなどの西側諸国が、旧ソ連(ロシア)など東側諸国に対抗するために結成した軍事同盟である。防衛を最大の目的とし、加盟国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権を行使すると規定している。
つまり、旧ソ連の軍事力を抑制することがNATOの狙いであり、東側諸国も対抗して「ワルシャワ条約機構」を結成した。こうして東西冷戦の対立を象徴する「NATO 対 ワルシャワ条約機構」という構図が完成した。
冷戦終結を受けてワルシャワ条約機構は解体されたが、NATOはその後も存続し、かつてソ連に侵攻や支配を受けた経験があるポーランドやバルト諸国などが次々に加盟を希望した。結成当時は12ヵ国だった加盟国は東方に広がり、ウクライナ侵攻開始当時には30ヵ国に達していた。プーチン大統領はこの「NATOの東方拡大」を強く非難している。
ウクライナの地理的重要性
そもそも、ロシアがNATOの東方拡大を恐れる理由はその歴史にある。広い国土を誇るロシアは、これまでも幾度となくヨーロッパからの侵攻を受けてきた。例えば、フランスの皇帝、ナポレオンによる「ロシア遠征」、第二次世界大戦中のナチス・ドイツのヒトラーによる「独ソ戦」だ。いずれも激しい攻防の末、冬の寒さに耐えかねた敵国が敗走し、ロシアは自国を守ることができた。
このような「トラウマ」を持つロシアには、国防の観点から、隣接する東欧諸国を親ロシア派国家にし、ヨーロッパとの「緩衝材」にしておきたいとの思惑がある。だからこそ、東欧諸国のNATO加盟の動きに警戒を強めた。隣接するウクライナに対しても然りだ。
そんなウクライナ国内では長年、「NATOに加盟したい」という親欧米派と、それに対抗する新ロシア派が対立を続けてきた。2019年、クリミア奪回とNATO加盟などを主張するゼレンスキー政権が発足した。
前述した通り、ロシアにとって歴史的、国防的観点から見て非常に重要なウクライナがNATOに加盟することは決して看過できることではない。ロシアはNATOに対する批判を強めていった。
NATO軍の派遣はなし
ロシアが侵攻を開始したのには、NATOの軍事的介入が行われないことも考慮していたとみられている。
NATO加盟国が攻撃された場合、米国は防衛する義務があるが、ウクライナ・ロシア間で緊張が高まっていた昨年末、アメリカのバイデン大統領はその義務は「加盟国ではないウクライナには適用されない」として、米軍を派遣しないことを明言した。これは、アメリカ国民が米軍派遣に消極的だった世論調査の結果を踏まえた判断とみられている。
NATO軍事力がロシア軍の抑制としては機能しなかったことも、侵攻開始に至った一因だ。それでも、専門家の間では「侵攻しないだろう」というのが大方の見方だった。なぜなら、侵攻すればロシアは国際的批判から免れられず、強力な経済的制裁を受けて自国経済が大打撃を受けるためだ。
それでもウクライナ侵攻を断行したこの判断は合理性を欠いており、「大国復活」を掲げるプーチン氏の個人的な世界観に依拠したものではないかと言われている。