本記事は、グウェンドリン・スミス氏の著書『考えすぎてしまうあなたへ』(CCCメディアハウス)の中から一部を抜粋・編集しています。
「考えすぎ」は有害?
診療の現場では「考えすぎ」と呼ばれるような、さまざまなタイプの問題に遭遇します。実際「考えすぎ」は、近年よく言及されるテーマです。たとえば、グーグル先生に質問すると、2470万件の検索結果を表示してくれます! (ちなみに、「ネガティブな考えすぎ」を行っている人にとって、グーグル検索はとても人気のある時間の過ごし方です)。
書きながら、私自身が何時間もググっていたことに気づきました。「考えすぎ」の定義について考えすぎていたのです。
では、この行為はポジティブでしょうか、それともネガティブでしょうか? 私は何かを心配していたのでしょうか、それとも繰り返し思い出していただけでしょうか? また、心配と「考えすぎ」は、同じでしょうか、それとも違うのでしょうか。
あるいは、ちょっとだけ共通しているのでしょうか? 私は考えすぎている?
そのとおり! これらの疑問はすべて切り離せない関係にあります。
近年、医療現場では「考えすぎ」という言葉は日常的に使われるようになりました。人びとに「『考えすぎ』と心配は、同じですか?」と
私は考えすぎてしまう。それ自体は問題ないが、だんだん心配し始める。それから不安になり、次はその「不安である」という状態に悩みだす。今度はあらゆることを考えすぎるようになり、これまでの自分の行為を思い返す。しまいには、これからやろうとすることについても不安になってくる。
あなたがこの困った状態から抜け出すために、この複雑な心理現象に「やっかいな考えすぎ」という名前をつけましょう。この用語を使えば、ほとんどの事柄をカバーすることができます。
医師は、「考えすぎ」を「繰り返し思い出すこと」と同じ意味だと考えがちです。
「患者が、自身を苦しめている症状に着目し、その解決策を見つけようとするよりも、原因や結果にばかり目を向ける傾向にある」と思っているからです。
「考えすぎ」が不安と結びつくのは、たとえば悪友とつるむのに似ている―医師たちはそのようにも考えています。
健康不安の例
その典型的な例が、健康不安(かつては「心気症」と呼ばれた精神状態)です。「やっかいな考えすぎ」は健康不安に大きく関係しています。
たとえばこんな感じです。
朝、あなたは身支度をしていて、歯を磨こうとします。いつものように、まずは糸ようじを使っていると、血が少し出ていることに気づきました。舌を動かして口の中を探ってみると、小さなしこりのようなものがありました。あなたは心配し始め、その瞬間に不安が生まれます。通勤の車が渋滞に巻き込まれる時間までに、急いでグーグル先生に質問して、安心材料を探します。
「歯周病」で検索。どうしよう! 1億300万件もヒット!
多すぎます! もっと対象を絞り込みましょう。「
「
単純明快な、最悪の結果です! この30分ほどそうしていたように、もう一度口の中をチェックします。舌で歯茎の表面を刺激していましたが、そこがたしかに痛みます。この気持ちの悪い不安の正体を突き止めるべく、病院に行くべきときが来ました。
人は不安を感じると、その不安を解消し、気持ちを楽にするのが1番の目的になります。たしかに、歯茎にしこり(あるいは、しこりと思われるもの)があるのは問題ですが、人が何より求めているのは不安の解消です。健康不安のある人は、多くのお金を使って健康診断やさまざまな検査を受け、安心感を得ようとします。
医師が診察し、「何も異常なし」と伝えます。注意深く探っていた舌が歯茎を刺激していただけで、ジェル状の痛み止めを少し塗れば治るようです。
ふう、やれやれ! 不安は消えました。ただし、それもほんの少しの間だけで、心配性の人は同じことを繰り返します。心配してはまた不安になるのです。
[著者からのひと言]
安心感を求めてしまう気持ちには気をつけましょう! ここで伝えたいのは、不安は自分自身でコントロールする必要があるということ。他人に頼って得られた安心感は長続きしないからです。
「考えすぎ」に関する学術的な情報は、あまり重要ではありません。あなたの今の考え方を、もっと有益で、事実に基づいたものに変えていくことが大事なのです。そうすれば、ありのままの自分でいても平気になります。